AppleもGoogleもeBayも初期の投資を断られた. でもそんな「間違いの多いVC」を愛してほしい

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そろそろ「ノイズ」に、真剣に対処すべき時がやってきた

最近、ベンチャーキャピタリストで技術評論家でもあるPaul Kedroskyに会って、このところますます激しくなっている“ベンチャーキャピタリスト批判”(たとえば本誌のこんな記事)について考えを聞いた。彼はVCたちが一般的にやっていることや、そのやり方の巧拙について、やや違う意見を持っている。実はぼく自身も、どっちかというと彼の側だ。スタートアップのエコシステムの全体を動かす資金の多くは、VCたちが出している。ベンチャーキャピタリストというものが存在しなければ、世界はかなりおもしろくないものになってるだろう。

Kedroskyは自分のブログInfectious Greed blogにもいろいろ書いているし、短いものなら@pkedroskyでも読める。–Michael Arrington(TechCrunch編集長)

ベンチャーキャピタリストの悪口を言うことは、とても楽しい。結局やつらは、アホで、持ってるものは金だけで、口ばかり達者で、なーんにも分かってない連中だ。イノベーションを台無しにし、有能なファウンダをクビにし、エンジェル投資家たちを押しつぶし、われわれに、ふつうの商業銀行のほうがずっとましと思わせるだけのために存在してるのさ。

…最近増えているベンチャーキャピタリスト批判を要約すると、まあ上のようになるね。上の“われわれ”は、VCいじめが大好きな人たち全員だ。しかもVCは、とってもいじめやすいのだ: おめーら、仕事(雇用)を一体どれだけ作り出したというんだい? 重要な投資機会を見逃してばかりいるじゃん。10年後に投資家に渡すリターンがたったあれっぽっち? スタートアップの倒産率は、あんたらが投資した企業のほうが、そうでない企業よりも高いじゃない。それでいて、うぬぼれが強くて、皮肉を言っても通じないんだから。

でも、だからといって、VCはいかがわしい金貸し業ではない。VCは、楽な仕事でもない。世の中になくてもいいものでもない。VCはなくてはならないものであり、優秀な人たちも決して少なくないし、しかもみんな毎日、ものすごく苦労して仕事をしているのだ。

スタートアップを育てて成功に導くことは、資本主義経済の下(もと)でできることの中で、もっとも難しいことの一つだ。起業家たちは、どっちの方向を見ても不安だらけという海の上をあっぷあっぷしながら泳いでいる。自分の技術でうまくいくだろうか? 優秀な人材を雇えただろうか? 市場は相手にしてくれるだろうか? 必要な資金を調達できて製品やサービスは採算ベースで売れるだろうか? 

大企業の社員としてプロジェクトを担当しているのなら、企画に失敗してその特定の製品が売れなくても会社は倒産しない。プロジェクトは失敗したが担当者は昇進した、なんてこともある。でもスタートアップは、上のどれかに失敗したらそれで終わりだ。起業家は暗くて曲がりくねった迷路を歩いていく。ここは通れる!と思った道の途中に落とし穴があることもある。

そもそも、スタートアップへの投資をビジネスにするという考え方そのものが、世間のふつうの人から見るとやや異様だ。相手は、売り上げも利益もない企業だ。明確な市場もない。担保も流動資産もない。目の前にあるのは、Enronが倒産したときにはまだ高校生だった世代の、あどけない瞳(ひとみ)をしたファウンダたちだけだ。…これらの要素を全部足し合わせてビジネスを成り立たせるなんて、中古のキャンピングカーをまともに修理してオークションで売るよりも難しい〔部品が手に入らないことが多い〕。だから、ベンチャー資金をもらえる企業がすごく少ないことが不思議なのではなくて、もらえる企業が一社でもあることのほうが宇宙の七不思議の一つだ。ベンチャーキャピタリストって、病的な楽観主義者だろうか? 業界にはこんな言い伝えがある: 最良のベンチャーキャピタリストは、何度も何度も破局を経験して、それでも恋をする能力を失わない。

そして、破局の機会は山ほどある。公式の企業統計には表れないことが多いが、スタートアップの死亡率は高い。ハイテクにかぎらずすべての分野で、スタートアップの約1/4が最初の1年で死ぬ。5年生き延びるのは半分弱だ。ただし、ベンチャーキャピタルが投資しているスタートアップに話を限定すると、最初の数年間の死亡率はむしろ低く、それ以降が高くなる。

ベンチャーキャピタルは、なんか、みじめでさもしいビジネスだろうか? 私はそうは思わない。世間はVCのことを、辛抱の足りない投資家と見ているようだが、事実はその逆で、VCこそが、辛抱強い投資家の代表なのだ。VCはリスクを抱えた企業に実験の機会を与え、うまくいく路線を見つける後押しをする。この点がきわめて重要だ。なぜなら、成功したスタートアップは、最初に考えたこととは違うことをしている場合が圧倒的に多いからだ。このような辛抱強い支援は、一般の投資市場には逆立ちしても提供できない一種のぜいたくだ。

ベンチャーキャピタリストにはイノベーションを正しく見分けて育てる能力がない、という悪口もある。たしかに、Bessemerの有名なanti-portfolioを見ても分かるように、彼ら(ベンチャーキャピタリスト)は、GoogleにもAppleにもFederal Expressにも投資をことわったのだ(FedExは7回もことわられた!)。これらの、イノベーションに充ち満ちた企業が、もっと早く資金を得ていたら、今ごろどうなっていただろう。Googleなどのように、初期にさんざん投資をことわられても最終的には成功する企業もある。でも一般的には、VCは毎年、何万回も「ノー」と言わなければならない。だから、「イエス」と言うべきだった企業に「ノー」と言うこと(あるいはその逆)は、当然のようにある。

“VCはイノベーションを育てるべき”説は、GoogleやAppleのようなビッグネームに対しては通用しない。ああいう連中はいつもリスクの大きなスタートアップを作って、最後には名誉を独り占めしてしまう。つまりそれは、Sergey Brin(Google)、Jeff Bezos(Amazon)、Steve Jobs(Apple)のような連中だ。でも、ここで一言だけ言っておきたい: 会社を作るのはVCではない、会社を作るのは起業家だ。ベンチャーキャピタリストの資金が世界を変えないことを責めるのは、Viagraが結婚生活を救わなかったからPfizer〔製薬会社〕を責めるのと同じだ。つまりイノベーション云々という問題の所在はVCではなく、起業家側にある。

それでもやはり、ベンチャーキャピタリストはイノベーションにもっと積極的にコミットすべきだろうか? もちろん、できればそうしたほうがいいだろう。でもそれは、スーパーモデルたちが一緒にぼくの家に来てくれたら嬉しいな、という話と同じだ。それももちろん、願望としてはけっこう。しかしイノベーションは、スタートアップビジネスが結果として追い求める(ことができる)ものではなくて、最初の入力の一部として、あるとしたらたまたまある、という性質のものだ*。最初から、結果としてのイノベーションを狙うスタートアップやVCは、すぐにこけてしまう。ベンチャーキャピタルの投資ビジネスは、それ自身がとても難しい事業だから、大仰な売り込みにだまされてディズニー映画のような夢を追っている余裕はない。〔*訳注: 本物のイノベーションは、それがイノベーションかどうか、VCにもファウンダ自身にも最初の時点では分からない。…そう言って筆者は、VCに対する過剰期待を批判している。〕

ベンチャーキャピタリストには、次のことを期待すべきだ。初期段階の企業を見つけて支援し、新米経営者のさまざまな困難を解決してやり、その独り立ちを助けること。それと同時に、十分な利益を適正なタイミングで確保し、気の短い投資家たちに報いること。しかし、一度も間違った投資決断をせず、すべての投資で世界を変えるようなビッグなイノベーションを後押しして、批評家たちを満足させることは、できない。それは、VCというもののバグではなく、機能特性だ。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))