Appleのクローズド戦略が反トラスト法問題に陥る理由

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編集部注:ゲストライターのTim Wuはコロンビア法科大学院教授で、最近の著書にThe Master Switch: The Rise And Fall Of Information Empiresがある。先週同氏はここで情報モノポリーについて激論を戦わせた。

反トラスト問題の注目は長い間Googleに向けられてきたが、本来その動向を注視すべき会社はAppleだ。1980年代初めにAppleのSteve Jobsは、Apple当初のオープンデザインを捨て、「クローズド」― あるいは同社が好む「統合的」― 手法によるコンピューターやエンターテイメントの提供を推進し始めた。この事実はどのAppleユーザーにとっても馴じみがある。Apple製品のデザインで最重視されるのは、人間、他のApple製品、そしてずっと離れた3番目が他社である。Appleシステムは「外部アタッチメント」を受け入れることもあるが、決して歓迎されたことがない。

熱心な「オープン主義者」が思うところとは裏腹に、Appleの手法には利点もある。協調して動くように作られた製品群の方が概して優れている。ただしそれは会社の技術者がより多くの情報を持っているからにすぎない。iPhone用のアプリケーションを作っているApple技術者は、Androidが動く全機種のアプリを書いている誰かよりもずっとよくiPhoneを知っている。さらに、称賛に値するのはAppleが1950年代のAT&Tのような統合原理主義者ではないことだ。AppleはWiFiなどの標準プロトコルを採用し、iPhoneに外部アプリケーションを走らせ、ウェブを再発明しようとしなかった。この賢いオープンとクローズドの微妙なバランスが、Appleの本当の秘密だというべきなのかもしれない。

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クローズドには隠されたコストがかかる。Appleの市場での力が大きくなるにつれ、その思想は、Appleを米国やヨーロッパにおける競争法との慢性的衝突に直面させる宿命にある。いくつかの市場でのモノポリーを思い浮かべ、これに排他的思想を組み合わせてみれば、容易に反トラスト問題を予言できる。ダッジのチャレンジャーがスピード違反で捕まる運命にあるのと同じように。

2000年代、Appleが反逆者で、もっと美しい製品を作るアウトサイダーだった頃は違っていた。iPodを発売した時、Appleの思想に法律との関連性は殆どなかった。なぜなら市場支配力がなかったから。反トラスト法との緊張関係は、Appleが大成功した次の10年の出来事になる。Appleは市場シェアを獲得し、オンライン音楽ダウンロードやポータブル音楽プレーヤーなどいくつかの市場で、実際にモノポリー状態になった。研究によって数値は異なるが、殆どの調査結果によるとAppleは、iTunesとiPodによって音楽ダウンロードおよびポータブル音楽プレーヤーの両方で70%のシェアを持っている。

成功は、もちろん違法ではない。反トラスト法はモノポリーになることを罪としていない。むしろ米国法が禁じているのはモノポリーの威力を使ってモノポリーを維持することだ。あるいはAppleに関していえば、「不当に排他的」であること。もちろんこれは法律用語だが、Appleの場合残念ながらこれがそのまま「クローズド」という一語に翻訳される。

2001年のMicrosoft事例がわかりやすい。有名なNetscapeの件だ。Microsoftはさまざまな手段でNetscapeブラウザーをWindows 98から取り除こうとした。しかし、全部ではないが一部のやり方が、不当に排他的な行為であり、よって違法である判定された。もっと近いところでは、2005年のDentsplyの事例で、義歯製造会社がディーラーに対して競合他社の製品を売らないというルールを課した。Dentsplyは市場の67%を保有しており連邦上訴裁判所はこれを、モノポリーの威力を「競争の妨害に用いた」と裁定した。

Appleの設計思想は果たしてこの意味で「排他的」なのだろうか。常にではないが、例えばiTunes-iPodの組み合わせを考えてみてほしい。「排他性」が起きるのは消費者がiPod以外の音楽プレーヤーをiTunesと同期したい時だ。ちゃんとは働かない。こうしてAppleはほぼ間違いなく、他社音楽プレーヤーを「排除」あるいは「対応拒否」することによって自社のモノポリーを守っている。

もっと具体的には、Appleが「アップグレード」によってライバルを排除する性癖もトラブルの源だ。2009年、AppleはiTunesを何度か改訂してPalm PreがiTunesと同期することを妨げた。アップグレードが正確に何をしたかを知ることは困難だが、少なくとも、8.2.1などいくつかのアップグレードは、Palmの同期機能をブロックする以外の目的が殆ど見当たらない。Apple側は平然と「iTunes 8.2.1は数多くの重要なバグ修正を提供し、Appleデバイスの検証における問題に対応します」と言っている。これは、Preをブロックすることを意味する暗号である。

排他的アップグレードは、皮肉なことに、Microsoftが1990年代にトラブルに遭った原因だ。当時MicrosoftはWindowsをアップグレードしてExplorerとオペレーティングシステムを単一製品としたため、Netscapeが非難の声を上げた。連邦上訴裁判所は、当該アップグレードに何らの「競合促進的正当性」がみられず、よってこれを違法な排他行為であるとすることに合意した。法廷によると、Microsoftは「同社OSのモノポリーを保護する以外の目的を達成する」行為を示すことができなかった。

手っ取り早く言うと、iTunes-iPodのアップグレード手法は、あきらかに違法であるということだ。米国では連邦政府あるいは個人が、両方の市場でAppleが確かにモノポリーあるいはそれに近い状態にあることを証明し、おそらくそろに加えてこのしくみが消費者を害していることを証明する必要がある(私は普通の携帯電話がiTuneと同期できても、私のiTunesライブラリーと一緒に動く安いMP3プレーヤーを買うのも構わないが、Appleは、競争がないことは消費者の益であると法廷を説得しようとするかもしれない)。Palmをブロックするアップグレードに関していえば、問題は、それが実際に製品の向上であったのか、単なる排除行為だったのかどうかである。もう一つこれ以外にApple側で注目すべき点は、同社の多くの製品が長い間クローズドであるが、Microsoftが1990年代に行ったように、ライバルを潰すためにクローズドにしているのではないことだ。

これは、個別のケースに帰属する話ではない。むしろこれは、Appleの排他的行動が習慣的なものであることを裏付けるものであり、よって競争法との衝突が避けられない可能性が高い。ちなみにこの分析は、なぜGoogleのモノポリーへの注目度が高いにもかかわらず、Appleの方が先に反トラスト問題にぶつかるだろうと私が示唆する理由だ。Googleのオープン思想は議論のあるところだが、これを反トラスト用語にあてはめると「非排他性」になる。念のために言うと、もしGoogleが「かつてはオープンだった」プラットホームをクローズし始めれば、問題に巻き込まれる道が確実にある。例えば、GoogleがYouTubeとライバル関係にある会社の広告を拒否した場合だ。iPhone対Google Androidの違いは好みの問題だが、後者のデザインが多くの反トラスト問題を避ける傾向にあることは確かだ。

もし私の言うことがすべて正しければ、なぜすでに何かが起きていないのだろうか。いくつか理由がある。Appleが美しいアウトサイダーだった頃、同社には反トラスト行為における主要な要素が欠けていた:市場支配力である。第2に、ブッシュ政権は概して競争法を強く適用することを拒んだ。Appleのしたことで一番目立ったのがMicrosoft訴訟を取り下げたことくらいだった。最後に、司法省がAppleを注意深く監視しているという事実がある。実際今年、Adobeらの訴えに基づいて、AppleのiPhone開発手順に対して初期捜査が行われたという報告が明るみに出た

これまでAppleについて書いた経験に基づくと、一部の読者がこれを読んで激しい怒りをもって反論してくることが想像できる。連邦政府は製品デザインに関心を持つべきなのか? Appleのビジョンに対する不必要な介入なのではないか? そうかもしれないが、私は政権がAppleを優先事項にすべきだと言っているわけではない。繰り返しになるが、これは単にAppleの排他的行為と市場シェア獲得が組み合わさると、競争法との衝突が避けられないことを明確にしているだけだ。これは「こうあるべきだ」ではなく「、こうである」という主張なのだ。

(画像:via j/f/photos).

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(翻訳:Nob Takahashi)