FacebookがGoogleを廃業に追い込む理由

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編集者注記: ゲストライターBen Elowitz(@elowitz)は、Wetpaintの協同ファウンダ兼CEOで、そのサイトは各月のユニークビジター数が1000万に達するオンラインパブリッシャーだ。彼はブログDigital Quartersのライターでもあり、Wetpaintの前には高級品の小売サイトBlue Nileの協同ファウンダだった。彼は、メディアやeコマース企業に対するエンジェル投資家でもある。

最近驚いたのは、Googleの元CEO Eric Schmidtが、Facebookに追いつく機会をこれまで幾度も逃してきたことを、一般に公開される記事の中で嘆いたことだ。

私にとってGoogleとSchmidtが率いるその巨大なデジタルの帝国は、羨望の的だった。Googleは人類の歴史上もっとも複雑な形の独占を手中にしていた。そのデータ集合は、史上類のないほどすばらしいものであり、またそれを利用するためのアルゴリズムはきわめて精妙だった。そこには、10億のユーザの多様な関心が表現されていた。そして、数百万もの広告掲載者たちが、これらの消費者に到達するための有利な位置と機会を激しく競い合った。

それだけではなくGoogleには、スケールすれば収益も増えるという幸運な加速性があった。あれほど膨大なクェリの量を抱えてあれほど巨額の研究開発費を投じられる企業は、Googleだけだった。しかも広告主たちには、ただ一度の契約でそのほぼ全人口に届く機会を与えた。Googleは、まるで当然のように成功した。

Googleの勝因は、その頭の良さだった。

Googleは、キレる会社だった。

だから、勝った。

Googleの強さは単純に当然視され、YahooやMicrosoftのような大金持ち企業でさえ、Googleの大きさとアルゴリズムのノウハウに打ち勝つことをあきらめた。

もはや、Googleを止められる者は誰もいない、と私は思っていた。

でも最近私は、ある重要なことに気づいた。今のGoogleは1時間おき、ときには数分おきにインデクスを更新し、(Twitterのストリームなども検索対象にして)リアルタイム検索にも取り組んでいるが、でもGoogleが支配しているデータ集合は死んでいる。それに対してWebは、毎日毎日が「新しい一日」であり、生気にあふれ、力強く生き続けている。

それどころかGoogleの、みんなから尊重されている他に類のないデータ集合は、日に日に古びていき、死海文書のような古文書なっていく。それは、ソーシャルWebの、生きて呼吸している有機体の新鮮さと対比して、次第に色あせていく。

Googleのボットの大群は、まるで埃まみれの熱心な考古学者みたいにWebを這い回って、デジタル文化の遺物を探し集める。でも、彼らが見つけるものは化石–ページとかリンクという形をした化石–だ。それらは、ライターや寄稿者やときには気まぐれなエンドユーザが書き残したもの、自分たちの痕跡をインターネットの誰もいない割れ目や暗黒の奥地に投げ入れたものだ。Googleは、そういう遺物を分析している。しかも、そんなコンテンツを作った者に関するリアルな知識を欠き、さらに検索をする者がどんな人間かも知らないまま。

そこに、Facebookが登場する。

Facebookは2004年の創業以来一貫して、検索ではなくソーシャルな結びつきの実現に注力してきた。しかしそのことを通じてFacebookは、6億人以上もの人と、彼らの本名と関心とオンラインの活動を知っているプラットホームを作ってしまった。彼らのたゆみない、しかも自然で無理のない拡大によって、単なるアプリケーションからソーシャルオペレーティングシステムに近いものにまで成長し、Facebook.comの上だけでなく、そのほかのサイトの上の、インターネットのあちこちを訪れるユーザたちすら、知ることができるようになった。

Googleは地球上のほとんどのWebページを結ぶ化石的なリンクの、膨大なデータベースを構築しているが、Facebookはもっと貴重なものを持っている。それは、Web上に実在する本物の人間のあいだに作られる、リアルタイムの結びつきだ。

そのことの持つ意味は、何だろう?

いちばん簡単に言うと、Facebookが持っている宝物のようなデータは、それをフルに利用すると、Googleを廃業に追い込むことができるのだ。

そうです。Googleの廃業ですよ。

理由を以下に述べよう。

Facebookのデータでは、顧客が関心を持っているものを’推測’できるのではなくて、実際に彼/彼女が何に関心を持っているかを、具体的に知ることができる。そしてこの重要な違いがFacebookに、検索におけるものすごく大きなアドバンテージを与える(今後検索に進出した場合)。

Googleは、匿名のクェリ文字列に対してもっともふさわしいと’思われる’Webページを全宇宙から選び出すが、Facebookは、具体的な人間について、’その人にとっていちばんふさわしい’これまた具体的特定的ページを、すでに知っている。

しかも、さらに強力なのは、Facebookは個人や集団の行動パターンを知っているので、ユーザが具体的に関心を表明していないものごとについても、その好みを予想できる。

つまりFacebookが駆使できる科学は、Amazonがユーザの過去の買い物やブラウズ履歴から次の買い物を’おすすめ’するやり方を、大きく一般化した手法だ。しかもAmazonがもっぱら個人の行動データを集めるだけなのに対して、Facebookは個人の友だちや仲間の情報も知っている。この人は誰と仲良しか、を知っているのだ。しかもその、友だちや仲間も、本物の本人性のある実物の人間なのだ。

初期のGoogleが持った大きなアドバンテージ、成長の起爆剤は、よそよりも優れたデータを集めて分析する能力だった。当時はどのパブリッシャーも、スタンドアロンな自分のページの質を誇っていたが、Googleは個々のページではなくページとページを結ぶリンクのほうが情報価値が高いことに気づいた。Googleのリンク重視によって、突然、AltaVistaやYahooのような孤立的ビューが、貧しいものに見えたきた。それと同時に、今200億ドル以上と言われる検索広告市場の主(あるじ)も、決まったのだ。

最近の数週間Googleは、Facebookのようなソーシャルネットワークが同社の依然として大きな野心にとって重要だ、とほのめかしてきた。その第一の証拠が+1製品の立ち上げ、もう一つは、ソーシャルWebを成功させるアイデアにボーナスを出すという社内告知だ。

それは、新しい市場機会に取り組む姿勢のように見えるかもしれないが、実はそうではない。実はGoogleは、今のFacebookが、かつてGoogleが他に対して持ったのと同じような、圧倒的なアドバンテージを、Googleに対して持っていることを、やっと認めたのだ。

Googleは頭がいいから、現実を正しく読める。そして、怖がっている。

とっても頭がいい証拠だ。

でもその現実は厳しく、Googleがインターネットの文字列的次元から、Googleにとってまったく新しい人間的次元へ移行到達できるためには、+1ごときでは足りないのである。Facebookのテリトリーは人間の有機的な組織体だが、それはGoogleのアルゴリズム機械にとって、まったく縁遠いものだ。

写真クレジット: flickr/Ken and Nyetta

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))