クレイジーな人たちに乾杯

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8月にスティーブ・ジョブズが正式にApple CEOを辞任したというニュースの後、「One More Thing…」という記事を書いた時、遅かれ早かれ続編を書かねばならないとわかっていた。残念ながら、ずっと早くなってしまった。

ジョブズの辞任に対する反応もすさまじいものだったが、彼の逝去への反応には驚くほかはない。かつての従業員、同僚、ライバル、そして有名人ら ― アメリカ合衆国大統領までもが、哀悼の意を表した。しかし、彼に対する気持ちを表した人たちの中で、最も印象的だったのは、スティーブ・ジョブズを知らない人たちだった。ただ彼の製品を使い、愛しただけの一般人たちだ。

世界中から寄せられたツイート、Facebookの書き込み、ブログ記事等々が求心力となった。たまたま私は今ロンドンにいるが、彼の亡くなった日に地下鉄に乗っていた時、ジョブズに関する感情のこもった会話をいくつも耳にした。昨日、全く見知らぬ人に話しかけらた時、私がアメリカ人だと知ると、最初の話題がそれだった。母までもがこのことを携帯メールしてきた。

この種の世界的結束は、大物有名人が亡くなった時によく起こる ― 例えば、マイケル・ジャクソン ― 地球上のほぼ全員が、その人を知っているからだ。人々は常に共通の接点を探しているが、そこではそうした接点が出来やすい。なぜなら、ポップ・カルチャーが何年何十年にわたって押し進めてきたからだ。そして、彼らの成す名声は、有名人自体と密に繋がっている類のものだ。

しかし、スティーブ・ジョブズは有名人ではなかった ― 少なくとも昔ながらの意味では。たしかに彼は有名だが、名声を求めることはなかった。必要ともしなかった。彼の仕事上での主要なゴールは、自らのイメージを売ることではなかった。彼は会社のトップだったのだ。

そうやって考えてみると、われわれが見ている、彼の死に対する反応も違って見えてくる。一つの要素は、私が彼の辞任後にも書いたように、人々がApple製品に対して持っている感情的つながりだ。その製品には、あまりに多くの考えと心配りが注ぎ込まれているため、買った人たちは愛でるように使う。そして、iPod、iPhone、iPadの登場によって、Appleユーザーはその数を急激に増やしてきた。ステーブ・ジョブズは、Apple製品の化身である ― よって、強力なつながりが生まれる。

しかし、ことはもっと奥深い。

人々は、会ったこともなくても、彼の死に対する深い悲しみについて書いている。そして、その多くが、そんな気持ちになるとは思っていなかったことを記している。これを見て私は、これが2つのことがらに関係していると確信した。

第一に、ジョブズは若くして死んだ。病に蝕まれた体は、実際よりはるかに老けてみえたが、ジョブズは亡くなった時わずか56歳だった。米国の平均寿命は約76歳だ。全世界では67歳だ。正確にはこれらの年齢は生まれた時を基準に計算されているが、ジョブズは億万長者で、望めば世界中の名医に診てもらうこともできた。彼は癌に関して悪い手札を配られたにすぎない。そして、その病は彼の命を20年以上奪ったのである。

しかし、奪ったのはジョブズからだけではない。われわれからもだ。この男に会ったこともない人々が、あそこまで気にかけるのはそのためだ。彼の早すぎる死は、悲しい物語であるだけでなく、この時代に限らず、〈あらゆる〉時代で最高のイノベーターになるべき男を奪った。もちろん、例えばマイケル・ジャクソンは偉大なアートを世界に寄与したと主張する向きもあるだろうし、実際そうだったが、彼は死ぬ前の20年近く何ひとつ意義深いことをしていなかった。スティーブ・ジョブズは亡くなった時、自分の仕事に関してその〈絶頂期〉にあった。

今後20年間、ジョブズがいないためにどれだけのイノベーションが失われることになるかと考えると、悲しいと同時に苛立たしい。たとえAppleのファンでなくても、ジョブズが業界を転換させ、著しく向上させたことに反論できる人はいないだろう。彼は真の聖像破壊者だった。

そして今われわれは、テクノロジーが誰の日常生活にとっても重要になりつつある時代にいる。今後われわれが、業界最高の知性を欠いて前進しなくてはならないことは、正直なところ少々怖い。次の誰かが登ってくるかもしれない。しかし、スティーブ・ジョブズは二度と出てこない。それを考えると世界の痛手だ。

芸術家や天才の多くが、その時代には認められていなかった。彼らの伝説が定着したのは死んだ後だ。しかし、ジョブズは死のはるか前から認められ、正当な評価を受けていた。これもまた、今起きている感情のほとばしりに一役買っている。多くの人々は、たった今世界が天才を失ったことに〈気付かされた〉のである。

しかも今は、それが起きた時にリアルタイムで話し合える道具が山ほどある。ディズニーが死んだ時、アインシュタインが死んだ時、人々はそれについて、翌日の新聞で読むことしかできず、それについて話すことができたのは、その後何日かにたまたま出会った10人ほどだっただろう。そんなやり方で地球規模の関係を確立するのは難しい。

それ以前は、偉大な人物が死んだことを知ることさえ困難だった。ミケランジェロは、時代で最高の芸術家と考えられていた。しかし、仮に、例えば中国の人が、彼の死を知ったとしても、彼が誰であるか見当がついただろうか。

ジョブズは、変革力のあるテクノロジーの時代に死んだ、最初の真に変革力のある人物だったと、私は言いたい。彼は今から数千年後にも語られる人物だ。そして、彼がテクノロジー〈に対して〉変革力を持っていたという事実が、たった今彼の死に対して起きている反応に拍車をかけている。

いろいろな意味で、下のビデオがジョブズの死後に再注目されていることは理想的だ。これは、Apple最初の「Think Different」コマーシャルだ。そこでは、彼らが世界を変えたことをナレーターが祝福する中、20世紀を代表する変革力のある人々の画像が表れる。テレビ放映されたバージョンでは、リチャード・ドレイファスがナレーターだった。しかし、下のバージョンのナレーターはスティーブ・ジョブズだ。

祝辞は以下の通り。

クレイジーな人たちに乾杯。はみ出し者。反逆者。トラブルメーカー。不適応者。人と違う見方をする人。彼らはルールを好まない。彼らは既成概念を尊重しない。彼らを引用することも、彼らに反対することも、賛美することも、中傷することもできる。唯一できないのは、彼らを無視すること。なぜなら彼らは物事を変えるからだ。彼らは人類を前進させる。そして、彼らをクレイジーだと思う人もいるだろうが、われわれは天才だと思う。それは、世界を変えることができる思うほどクレイジーな人は、それができる人だから。

1997年に録音した時、たぶん彼は気付いていなかっただろうが、あれは間違いなく、スティーブ・ジョブズが自分自身を言い表したものだ。彼は世界を変えられると思うほどクレイジーだった。そしてやってのけた。

[画像提供:Jonathan Mak

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(翻訳:Nob Takahashi)