Twitterが国別検閲を導入 、これは改悪なのか?

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Twitterは今日(米国時間1/26)ブログ記事の中で、壮大なる新しい能力を発表した。特定の国のユーザーに対してコンテンツを見せない ― 他の国々では見える ― ようにする能力だ。ついに。

この新しい「能力」の見方には二通りある。楽観的と悲観的だ。一つは、これでTwitterは特定の国々のニーズに効率的に応じられるようになる。もう一つは、これでTwitterは特定の国々のニーズに効率的に応じられるようになる。

ある意味でこれは、優れた解である。神を悪く言ったり、ヒトラーを良く言うことが禁じられている国々が、それらの制約をTwitterにも拡大できるようになる。しかし一方では、神を悪く言ったり、ヒトラーを良く言うことが禁じられている国々が、それらの制約をTwitterにも拡大できるようになる。

もちろん、これまでも常にそれは可能だった、ある意味では。制約に反するツイートをグローバルに削除することはできた。理想的な解ではない。なぜなら言論の自由に公的制約のない国の人々がその発言を読めないから。これから、検閲はそれを要求した国の境界内に限定される。

問題は、これがある意味でその方が状況が悪くなるからだ。Twitter、そしてインターネット全般は、生来グローバルなコミュニケーションのためのプラットフォームである。インターネット上の内戦(例えば、英国で10月に、米国で12月に公開されたアルバム)は奇妙かつ非論理的だ。この発表以前Twitterは、何かを言うにせよ言わないにせよ、それがグローバルに行われるグローバルなプラットフォームだった。この、国に応じた検閲を実施できるTwitterの新しい能力は、ブロックを合法化するだけでなく、国際領土を「表現の自由の輪郭に関して異なる考えを持つ」特定の国々に譲り渡すものだ。こうした言論の制約の外交的割当てが、自由なコミュニケーションの考えに基づく会社から生まれることは、実に悩ましい。

残念ながら、世界規模で受け入れられることを望むプラットフォームにとって、これは論理的な一歩だ。会社の中には、現地の財界の大物や秘密警察や宗教指導者の気まぐれを満足させるために、ビジネス上の重要な譲歩を余儀なくされたところもある。Twitterが行ったことは、そうした譲歩の一つなのだ。恐らく彼らは自分たちを、曲がっても折れることのない柳のような存在だと考えているのだろう。まだ新しい方法が適用されていない今、ブロックがどこまで厳密なものになるのか、あるいは象徴的なものにすぎないのかを判断することは難しい。

Twitterのようなメタ国家的コミュニティーは、その構成員を超越、かつ尊重しなければならない。そのためには苦渋の決断も必要になる。彼らがこの決断を、よりよいグローバルコミュニケーションを念頭に置いて下したのであることを願おう。

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(翻訳:Nob Takahashi)