
少なくともオーストラリアでは、インターネットの上で起きるおかしな事件はすべて、Googleのせいにされるようだ、しかも法律的に。Victoria州の最高裁はGoogleに、音楽プロモーターMilorad Trkuljaが組織犯罪と関係があるという、名誉毀損的な噂記事のリンクを削除しなかった罪で20万ドルの罰金を科した。この判決の根拠は、Googleは悪質なWebサイトへのリンクのあるコンテンツを自己のページ上に意図的に掲載した“パブリッシャー”であるから、ということだ。
Googleはこの判決に対して、慇懃な言葉遣いで次のように応じている: “Googleの検索結果は、Web上にあるコンテンツや情報の反映である。Googleの検索結果にあるサイトは、Googleのコントロールの外にあり、そのサイトのWebマスターがコントロールしているものである”。
2009年の10月にTrkuljaはGoogleに、噂とその付随画像の削除を求めたが、Googleは、そのサイトのオーナーにかけ合え、と勧めた。裁判所は、Googleの無罪が単純に成り立つのは、コンテンツの削除要請という問題がまったく起きないときだ、と裁決した。その理由付けは:
[抄訳]
Googleは、検索結果の公開には人手が介入していない、完全に自動化されている、と主張するが、その自動化システムが作りだしたものをすべて公開するという意思決定をGoogleは行っている。またそのシステムもGoogleが作りGoogleが運用している。コンピュータのプログラムも人間が意思的に作り人間が意思的に動かしているものなので、完全自動化システムがやったことだから人間側に責任がない、という理屈は成り立たない。したがって、当該素材が検索結果として表示され公開されることは、Googleの意思によるものであり、当然ながらGoogleの法的責任事項である。
裁判所が論じている道義的責任については議論の余地があるが、しかしそれに基づく判決は、控えめに言っても、驚天動地だ。そこにはたくさんの、クレージーで、根性の悪い、情報を正しく伝えられていない人びとがおり、そういう人たちのインターネットアクセスが日に日に増えている。噂の真偽、たとえばセレブの死亡などは、簡単に確認できるじゃないか。
でも、このあいだの反イスラムビデオ、”The Innocence of Muslims”は、中東で暴力を伴う抗議運動を喚起し、その作者の(法律上の)罪まで問われた。また、たとえばフランスでは、憎悪の込められたスピーチは罰金刑に科せられる。
Googleが、インターネットのすべてのコンテンツに関して、それらの作者と同格の法的責任があるのなら、そもそも、検索エンジンはどうやって存在しうるのか、理解にも想像にも苦しむ。
