
数週間前からWindows 8をときどき使っているが、たしかにChris Pirilloや本誌のレギュラーライターMG Sieglerらのネガティブな感想はもっともだと思う。とりわけ、Surface RTに関しては、それらは当たっている。しかしそれでもぼくは、MicrosoftはWin8で、「優」とは言えないまでも「良」の仕事はしたと思うのだ。
少年野球の負けたチームの監督が必ず言うように、みんなよく頑張った、これで終わりじゃない、次のシーズンがあるからな。Windows 8も、みんなから嫌われることはない。これから年末年始にかけては、数十万台のラップトップに登場し、子どもたちも親たちも、その新しいインタフェイスの上をさまようだろう。というか、その独特の性格には、Appleですら学ぶべき点が二三あるのではないか。ここでは、二つ三つとけちなことを言わずに、AppleがMicrosoftから学べたかもしれないこと五つを、挙げてみよう。
ときにはタッチをさせろ
先日Macを使って記事を書いていたら、突然オートコレクトボックスが出て、なかなか消えてくれない。候補語と、ウィンドウを閉じるための小さな[×]が表示される。ぼくの指が本能的に反応して、それを閉じようとした。なにごとも起こらない。
タッチインタフェイスを世の中に普及させた張本人であるAppleは、でもラップトップやデスクトップにそれを導入しない。OS Xはボタンもメニューも小さいから、そのままタッチ対応にはできないかもしれないが、フルスクリーンモードやLaunchpadではiOS的なインタフェイスを示唆している。ユーザをそれまでのラップトップやデスクトップ経験から引き剥がすのは難しいだろうが、その同じユーザが新しいパラダイムを大歓迎することは、Apple自身がiOSで証明したことだ。一方Microsoftは、Windows体験をタブレットに持ち込もうとして、いろいろ試行してきた。今はむしろ、そのMicrosoftのチャンスではないか。
ファイルシステムを隠せ
Windows 8がファイルシステムを詮索好きなユーザの目から完全に隠した、とは言えないまでも、Metroインタフェイスでは、その存在を思い出すことはめったにないだろう。デスクトップインタフェイスに放り込まれると、ファイルという厄介ものがあることを嫌でも思い出すが、Win8のデフォルトのコンセプトは、ユーザがファイルのことをまったく気にする必要のない世界だ。それは、ある意味では、良いことではないか。
われわれコンピューターおたくは、何層にも枝分かれしたファイルシステムが好きだが、一般ユーザにとってそれは一種の謎だ。そんなことをして、ファイルは一体どこへ行ったの? なぜDownloadsからDocumentsへ行っちゃったの? ホームディレクトリなんか要らないから、ホームスペースがあればいいんじゃないの? 何でもそこにポップアップして、クイックサーチでファイルが分かればいい。たしかに、AppleはiCloudでそれをやろうとしているが、まだまだ部分的でしかない。
OSのソーシャル化で勝て
たしかに、OSのインタフェイスのソーシャル化は、両社ともまだ不十分だ。でも、Win8のライブタイルや、その上の飛び跳ねるフィード画像、ソーシャルネットワークとコンタクトリストとの対話性などは、なかなかおもしろい。Servicesメニューからツイートできるだけでは、多くの人が、それをソーシャルな対話性だとは思わないだろう。
アイコンを知的にしろ
Win8やWindows Phoneでぼくがとくに好きなのは、あのライブタイル、というよりライブなアイコンだ。OS XやiOSのバッジはよろしいし、また前世代アイコンたちの、あの禅僧のような静寂不動にもそれなりの良さはある。でも今では、一目でもっといろんなことが分かる方が、より重要になりつつある。ライブタイルはわずらわしい、という感想を持つ人もいるだろう。でもそれは、情報量のほとんどない小さな数字バッジのダンスを見せられるよりも、ずっと良い眺めだ、とぼくは思う。
デスクトップOSを大改革せよ
そして、重要なのは次の点だ: Microsoftは少なくとも、デスクトップモデルの限界に気づいている。デバイスとのもっと良い対話方法として、タッチスクリーンがあるが、しかし、Windowsをタブレットに持ち込むことには、挑戦はしたが失敗した。多くの失敗を通じて彼らは、うまくいくものと、うまくいかないものを、具体的に学んだ。Microsoftを愛する人だけでなく、嫌う人から見ても、未来のOSの設計は同社の死活を握っている。優れた反面教師として、あるいはたたき台として、今、Microsoft以上に好適なものはない。
