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オンラインプライバシーという贈り物

毎月何回か、私はFacebookやTwitterやInstagramで誕生の報告を見かける。私はその赤ちゃんが生まれた瞬間がいつか、超音波写真にどう写っていたか、好きな食べ物、好きな動物は何か、兄弟は誰か、休暇にはどこへ行ったか等、すべてを正確に知っている。こうした瞬間を私は楽しんできたが、内心では、このオンライン過剰共有時代に育っている子供たちを悲しく思うことがある。

この子供たちは、子宮から出る以前から私たち全員にシェアされている。

オンラインで何年も見るうちに可愛いく思えるようになった子供たちもいる。一度も会ったことのない子供たちだ。彼らの両親はいい人なのだろう。シェアしているという事実は何ら悪くない。紛れもなく子供を愛し、節目ごとにみんなとシェアすることを喜んでいる。彼らの誇りでもある。今まで私は常にその瞬間を喜んできた、それならなぜ今私は、子供たちの情報をシェアするのをやめるべきだという結論に達したのか。

理由は単純。子供たちは大人になった時、あるいは自分がオンラインで何をしているのかを理解できる年齢になった時、どんなオンライン人格を作るかを選ぶ自由を持つべきだと私は考える。私たちは子供たちからその自由を徐々に奪っている。子供たちは、自分のあらゆる細部がインターネットにシェアされながら成長し、それに対して何の発言権もなく、時にはインターネットで認められることが自尊心にとって重要であると考えながら育っていく。

私は未来を信じない。なぜならInstagramやTwitterやFacebook等の連中は、未来について深く考えていないから。それが私たちのデータなのは 彼らのデータになるまでだ。しかも、インターネットで公開されたものは永久にそこにある可能性が高い。すべてをアーカイブすることを商売にしているサービスのおかげだ。だったらなぜ、子供たちのデータに関して彼らを信用するのだろうか。自分のデータに関してさえ殆ど信じていないのに。

さらに私たちは、秘密の質問を赤の他人に明かすことが長期的に引き起こす結果について、考えたことがあるだろうか。唯一の解決策は生体認証だろうが、私にとって生体認証がカッコいいのは、記憶を無くしたスパイの時だけだ。

私は古い人間かもしれない。これは私の「わしの芝生から出て行け」的瞬間なのかもしれない、しかし私は、私たちのデータ共有習慣が将来に及ぼす影響について、時間をかけて考えたり議論していないのではないかと真剣に思っている。行きすぎる共有は、今が史上最大の状態にあるかもしれない。インターネットのサービスは、他人との情報共有を殆ど抵抗がなくなるほど容易にし、一番大切な人の写真やツイートをシェアすることほど楽しいものはない。「いいね!」をしたりお気に入りにすることは、親や友達にとって楽しくて実りあることだとはわかっているが、たぶん私たちは、自分のことよりも、子供たちのことや、私たちが彼らのために作り出しているものについて、もっと考える必要がある。

というわけで、この休み中、これを読んだ親たち全員には、自分たちの行動と子供たちの未来、そしてそれが引き起すことについてじっくり考えてほしい。プライバシーは、贈るに値する最高のプレゼントだと私は思っている。

[原文へ]

(翻訳:Nob Takahashi)

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コメント

Akihiko Sato
ちょっとよくわかりませんが、私は両社のグループウェアに感心を持っています。Googleは、Offic…
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