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コンピュータウイルスが人間に感染する日

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編集部注:この原稿は経営共創基盤(IGPI) パートナー・マネージングディレクターでIGPIシンガポールCEOの塩野誠氏による寄稿だ。塩野氏はこれまで、ゴールドマン・サックス証券、ベイン&カンパニー、ライブドア、自身での起業を通じて、国内外の事業開発やM&Aアドバイザリー、資金調達、ベンチャー企業投資に従事。テクノロジーセクターを中心に企業への戦略アドバイスを実施してきた。そんな塩野氏に、遺伝子、人工知能、ロボットをテーマにした近未来予測をしてもらった。本稿では、国内でも本格化してきた遺伝子ビジネスについて解説してもらう。

読者のみなさん、こんにちは。敬愛するTechCrunchに寄稿する機会をいただいたので、普段はテクノロジー企業に戦略アドバイスを行っている筆者だが、現在、最もホットなテクノロジー分野についてビジネスの観点から近未来予測をしてみよう。そのホットな分野とは、遺伝子、人工知能、ロボットの3つであり、第1回目は遺伝子ビジネスについて取り上げる。

最近、TechCrunchでも報じたように、ヤフーが「HealthData Labo」と呼ぶ、遺伝子情報を利用した生活習慣の改善サービスを始めたり、ディー・エヌ・エー(DeNA)が東京大学医科学研究所と提携して遺伝子検査サービスの新会社「DeNAライフサイエンス」を設立するといった動きが出てきた。TechCrunchのYUHEI IWAMOTOも利用してみたダイエット指導サービスのスタートアップ「FiNC」も忘れてはならない。同社は遺伝子検査と血液検査、そして生活習慣に関するアンケートをもとに管理栄養士が「ダイエット家庭教師」となるプログラムだ。

一方で海外にはこの領域の先駆者達がいる、アイスランドのdeCODE genetics(Amgenが買収)やクライナーパーキンスも出資したNavigenics(Life Technologiesが買収)、そしてグーグルからも出資を受けた23andMeだ。急速に立ち上がりつつある遺伝子関連ビジネスだが、どうして急にインターネット企業が遺伝子と恋に落ちてしまったのだろう?

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最初の答えは、少し手垢のついた言葉、「ビッグデータ」にある。遺伝子はDNAの中の塩基配列がその組み合わせによって意味を持つデータであり、塩基はアデニン(A)、チミン(T)、グアニン(G)、シトシン(C)の4種類から成り、約30億個の塩基対が人間を構成している。面白いことにどんな人間にも共通な塩基配列が約99.9%であり、残りの0.1%の違いが個性をつくっているところだ。この個人によって異なる部分をSNPs(スニップス)と呼び、このSNPsの一部が遺伝的な個人差、つまり体質や性格、特定の病気にかかりやすい、かかりにくいといったことに関係していると言われている。遺伝子関連ビジネスで注目されているのはこの部分だ。

ビッグデータの解析がコンピューティングパワーの向上によって飛躍的に進歩してきたが、その恩恵は人間自身の持つデータである遺伝子にも向かっている。優秀なデータサイエンティストからすれば解析の対象がソーシャルゲームのユーザ行動だろうが、顔画像だろうが、遺伝子だろうが、データはデータだ。データサイエンティストがDDBJ(日本DNAデータバンク)をブックマークし、フリーソフトの「R」を駆使し、バイオインフォマティクスの基本ツールであるBLAST(Basic Local Alignment Search Tool)を使う職場を選ぶことも、もっと普通になっていくだろう。遺伝子解析とデータサイエンティストはとても相性が良い。遺伝子関連ビジネスの潜在的市場規模は数兆円とも考えられ、医療関連会社や保険会社といった豊富な資金を持つプレイヤーも多く、将来的にはギークにとって魅力的な職場が待っているかも知れないし、ギーク達を企業が奪い合うかも知れない。こうした動きは70~80年代に軍事技術を研究していた米国の科学者達が、東西冷戦の終結と共にその数理能力を武器にウォール街の金融機関に職を求めて散っていった時代を思い起こさせる。

多くのデータサイエンティストを抱えるテクノロジー企業が遺伝子関連ビジネスを成功させるのに必要なのは、言うまでもなく、もっとたくさんの人間のデータだ。23andMeはユーザの唾液から採取した遺伝子データに対し、医学研究論文を根拠に統計的にかかりやすい病気をユーザに伝えていた(現在は同サービスは停止されている)、同社が知名度を上げるためにセレブリティを集めて行った「唾吐きパーティ」は有名だ、パーティには大富豪のウォーレン・バフェット氏も参加した。こうした解析は遺伝子と体質や病気の相関性をデータから見ており、解析結果も「あなたが○○という病気にかかるリスクは通常平均に比べて1.5倍である」といった表現になる。この解析アルゴリズムの精度を上げるためには、日本であれば解析に十分な日本人の遺伝子データが必要になる。サービス提供者としてはこのデータは誰かに集めてもらうか自社で集めるかは別として、優良なデータを集めた企業がビジネスにおいて優位となる。

また、アルゴリズムのバグは絶対に避けるようにしなければならない、前出の23andMeはSpacedeckの共同創業者でもあるルーカス・ハートマン氏にアルゴリズムのバグを指摘され謝罪している。ハートマン氏は肢帯型筋ジストロフィーのキャリアである可能性を23andMeより指摘され、自分でPrometheaseという遺伝子解析ツールを使ってアルゴリズムのバグを発見したのだ、その経緯は同氏がブログでも公表している。

通常のインターネットサービスではベータ版でサービスインして修正していくといったアプローチも多いが、遺伝子解析アルゴリズムにおいて、バグは致命的だ。ユーザの期待値からすれば、ニュースキュレーションサービスの精度ではなく、医療レベルの精度が求められる。一方でデータの増加、学術的な研究の進歩によってはアルゴリズムをアップデートしていかなければならない。将来的には人工知能の解析アプローチの1つであるディープラーニングも活用されていくだろう。

今後、各社が遺伝子解析サービスを提供していくための大きなハードルに法規制がある。革新的なサービスを200ドルで提供してきた23andMeもFDA(米国食品医薬品局)によって遺伝子検査キットによる「診断サービス」の販売を停止させられ、現在は99ドルで遺伝子から自分の祖先を探すサービスへと形を変えている。FDAは同社の検査キットに偽陽性等の誤った結果が出る可能性があることを問題視した模様だが、女優のアンジェリーナ・ジョリーが遺伝子検査によって乳がんの可能性を知り、乳房切除を行ったことなど同種の検査に対する社会的注目もその背景にあるだろう。

日本においても民間事業者は検査結果に基づく診断等の医学的判断が医師法や政府のガイドラインで禁じられている。「あなたが○○という病気にかかるリスクは通常平均に比べて1.5倍である」といった検査結果の内容もこうした法規制に抵触しない表現にすることが求められ、ややもすると血液型占いレベルの内容しか伝えられない可能性もある。シリコンバレーのヘルスケアにおける著名キャピタリストは「ユーザに伝えるのは占いでも、技術的精度は最高レベルまで上げておく必要がある」と述べている。他にも既に病気や障害を有する個人へのアドバイスに対しては、医師または医師の指示の下、看護師が行わなければならない、といった規制がある。

また、遺伝子は究極の個人情報であり、今後、検査自体は安価になっていくだろうが、第三者に勝手に遺伝子検査をされない権利なども論点となるだろう。現状では個人情報保護法の観点からサービス利用について文章等での情報提供とユーザ本人の同意(インフォームド・コンセント)が必要である。

こうしたハードルがありながら、インターネット業界にいる人間なら、すぐにアドテクノロジーと遺伝子情報の融合を思いつくだろう。ユーザが自分の遺伝子情報を開示していれば、医療機関や製薬会社がターゲット広告を打つことも楽になる。頭髪に関する遺伝因子を気にするユーザの画面に薄毛治療の広告が表示されるというわけだ。ユーザが聞いたことも無い難病の治療薬の広告が表示されることを心地良く思うかどうかはわからない。しかしながら遺伝子情報の第三者提供には大きなネックがある。個人の遺伝子は父母から受け継がれており、個人の遺伝子を公開することは父母や親族についても重要な個人情報を開示することとなる。ユーザの家族が持つ難病や精神疾患の遺伝因子を広告業者に開示することに、家族中の許諾を得られるだろうか。この点は法的、技術的に大きな論点となるだろう。

遺伝子解析によってかかりやすい病気がわかるのであれば、その人の性格診断も可能ではないかと思うだろう。マイクロソフトの創始者としてビル・ゲイツと共に知られるポール・アレンはAllen Institute for Brain Scienceという脳科学の研究所を設立しており、そこではマウスを使って遺伝子が脳のどの部分と関係しているかを研究し、その脳の「地図」をデータベースとして公開している。実際にウェブ上でデータベースから遺伝子を検索することも可能だ。同研究所では人間の脳に関するプロジェクトも行われている。脳、つまり性格と遺伝子の関係性の研究は進んでおり、人工的に遺伝子を変異させたマウスをつくり、その遺伝子の変異がマウスの行動(性格)にどういった影響を与えるかも研究されている。どの遺伝子がどの性格に関係するのかを見つけ出す目的だ。ちょっと恐ろしい話ではあるが、他者に攻撃的なマウスや周囲のリスクに対して敏感、鈍感といったマウスを遺伝子の一部を欠損させることによってつくり出せることが報告されている。

遺伝子解析事業者はあなたの性格を説明したがるだろうし、こうした研究の人間への応用分野としては精神疾患の発見などが考えられる。あなたが遺伝上の自分の性格を知りたがるように、統治者たる国家もあなたの性格を知りたいかも知れない。ここには大きなプライバシー上の論点がある。国家主導のDNAデータベースの先駆者は1998年からデータ整備を行っている英国だが(United Kingdom National DNA Database)、このデータベースは明確に犯罪予防を目的としている。

遺伝子関連ビジネスの今後はドライなソフトウエア・アプローチだと考えられる。ドライはデータ解析、ウエットは実験室の意味だ。データサイエンティストの獲得、整ったデータの収集、精緻なアルゴリズムの構築、そして法規制への対応を総合的に制した企業が市場を獲得していくだろう。コンピュータを手に入れた生物学は、ますますデータを解析する世界となっていく。それ自体が人間というコードをデコード(解読)することだ。それでは逆に生物を情報からコーディング出来ないのか?塩基配列を「書く」ことによって生物を創りだせないのか?

実は2010年5月に人類を震撼させる出来事が密かに起きていた。バイオテクノロジーにおける権威の1人であり、ヒトゲノム解析を行ったセレラの初代社長だったJ・クレイグ・ヴェンター氏のチームが人工的な生命体を創り出したのだ。コンピュータを使って新しい生き物をプログラミングしたというわけだ。その新しい生命体(マイコプラズマ)は新しい塩基配列を持ち、自己複製を行う。この人工生命体はJ・クレイグ・ヴェンター研究所(J. Craig Venter Institute)のウェブサイトで遺伝子情報を見ることが出来る。ヴェンター氏は自身の研究を「合成生物学」と呼んでいる。

情報から創り出された新生命体は、各国の国家安全保障を含む我々人類への大きな課題を突き付ける。なぜかって?人工生命体が無害なバクテリアや燃料をつくり出してくれる微生物だったら問題ないが、もしそれが地球上に無いインフルエンザだったら?そして製薬会社に雇われたバイオ・プログラマーが先回りしてそのワクチンをつくっていたら?これは国家レベルで考える論点だろう。

バイオ・エンジニアリングとコンピュータサイエンスの出会いは近未来的にはバイオ・プリンティングの世界をつくりだすことだろう。クラウド上にある遺伝子情報のデータベースや他の研究者がつくった遺伝子情報を別の場所にいる研究者がダウンロードしてA,T,G,Cから成る塩基配列の合成を行う。プリント(合成)された生命体がゆるキャラならいいが、病原菌や生物兵器を創らせないためのグローバルでの規制が必須である。サイエンティストには常に「創ってみたい」欲求があるものだ。

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インターネット企業が今すぐバイオ・プリンティングまで手掛けることはないだろうが、数年前にヤフーとDeNAが遺伝子解析事業を手掛けることも予測できなかっただろう。Y Combinatorが遺伝子操作によってつくられた光る植物Glowing Plant出資し、サンフランシスコではローコストのバイオ・プリンティングを目指すCambrian Genomicsも登場している。バイオテクノロジー専門家であり未来学者であり、「細胞は生きるコンピュータである」と唱えるアンドリュー・ヘッセルは、合成生物学はインターネット出現以上のインパクトになるかも知れないと言う。同氏はシンギュラリティ大学にも所属している。そう、同大学はテクノロジーが人間を超えるシンギュラリティ(技術的特異点)を予言するレイ・カーツワイルによってつくられたシリコンバレーの教育機関だ。そのうちハッカー達はコンピュータかバイオのどちらの「ハッカー」なのか聞かれるかも知れない、コンピュータ(が創った)ウイルスが人間に感染するかも知れない。近未来的にはバイオしかり、エネルギーしかり、データがある世界にはコンピュータサイエンスが益々、浸食していくだろう。社会科学がデータサイエンティスト達に浸食されていったように。

photo by
MIKI Yoshihito

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