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起業、失敗、そして新しい挑戦――私が起業から学んだこと

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創造への欲求というのはなかなか消すことができない。私も人生を通してこの欲求を感じてきた。小学校時代の友人Rickとつくった漫画や曲、執筆した(そして執筆しようとした)本、これまでにつくり上げてきた数々のプロジェクトまで、その例を挙げると枚挙にいとまがない。今日の世界では、オンライン上で意義のあるものをつくるのはある意味簡単で、ある意味難しい。だからこそ私は、昨年あるスタートアップを畳んだ後に、Jaywalkというプロダクトを新しいチームと共に作ろうと決めた。

初めて設立したスタートアップからは多くのことを学ぶことができた。企業家精神そのものについても学べたし、会社設立から、資金調達、そして最終的に会社を畳むまでの浮き沈み(主に沈み)も経験できた。何かを夢見て、その夢が消えようとする中で生まれる特別なプレッシャーに押しつぶされ、ある友人との関係はねじ曲がり、また別の友人との関係は崩壊した。

起業は決して愉快なものではないのだ。

結局のところ、私は自分が特別だと思っていた。長い間スタートアップ業界について書いていたし、私自身は生意気でちょっと変わっていて、何か意味あるものをつくろうとしている人が経験しなければならない痛みについては何も知らなかった。もちろんシードラウンドやエンジェル投資家、開発やメディア露出など机上の知識は持ち合わせていたが、実際に起きることを身をもって経験していなかったのだ。今ではそうじゃないと思いたい。少なくともこれまでの経験から、未来についてもっと現実的に考えられるようにはなっただろう。

テックメディアは、スタートアップをまるで何かのパーティーかのように見せている。友だちとたむろして、少しだけコーディングして、そうすればお金が手に入るといった感じで。若い頃はラーメンを食べてヘビメタを聞いていれば生きていけたし、会社をひとつ潰しても無傷で次の目標に向かえる。アクション映画の中で、爆発するヘリコプターを背後に立ち去っていくヒーローのように。

しかし現実はもっと奥深い。まず、アメリカに住むスタートアップファウンダーの平均年齢(かつ年齢の中央値)は39歳だ。世界をまたにかける若いファウンダーの話を耳にすることが多い一方で、何年もの経験を持った、もっと年上のファウンダーの話を聞くことはめったにない。ある業界について熟知しているであろう彼らは、経験を活かしたアイディアでその業界を変えようとしているのだ。良いスタートアップというのは、従来のビジネスを文字通り”破壊(ディスラプト)”するわけではない。彼らは物事を改善し、そのような努力が集積した結果として既存のやり方が破壊されるのだ。

また、私は起業を経験したことで、以前よりも人を思いやれるようになった。それ以前の私は、世界中を駆け回って、仕事を辞めてやらなければいけないことをやり、できるだけ速く前進して改革していけと声高に叫んでいた。それも今は昔の話だ。今では副業やサイドプロジェクトの価値も理解しているし、事前の調査や計画の重要性についても知った。スタートアップが成功する確率がどれだけ低いかも分かったし、今では私なりのやり方で、来たる日が来るまで世界は冷たく無慈悲で自分のアイディアには興味がないということを(私のように)理解しつつある、遠く離れた地に住む新米ファウンダーの悲しみを和らげようとしている。数々の口論や失敗、気まずい沈黙の中、彼らを支えているのはいつか起きるであろうブレイクスルーへの期待なのだ。

さらに私は、VCの良さや危険性、自己資金でのスタートアップ運営に誇りを持っている人たちの気持ち、さらには小さな街で光る起業家精神の大切さについても学んだ。なぜ起業経験が将来の役に立つのかということも分かった。だからこそ私は、さまざまな場所を訪れてスタートアップのファウンダーと会うときには、いつもよりも親切に、そして否定的になるのではなく救いの手を差し伸べるように努めている。ようやく私も「親切であれ、誰もが厳しい戦いを強いられているのだ」という古い言葉の意味を理解したのだ。

幸運にも私の周りには賢い人たちがいる。最近立ち上げたJaywalkでは、私にとって初めてのスタートアップでも運命を共にした、大学時代からの友人Richと再びタッグを組むことになった。コロラド州ボールダーで行われているアクセラレータープログラムのBoomtown内で出会った強固なチームも加わり、現在私たちは開発・UXチームを構築しながら、近所を歩き回って新しいものを発見することの喜びを味わえるようなアプリを開発している。このアプリが私にとってとても大切な理由はいくつかある。その中でも分かりやすいのが、子どもを外に連れ出すときに、公園に行こうと言うよりも帰りにクッキーを買おうと言う方がずっと楽というものだ。私たちは、人々を携帯電話の世界から現実世界に呼び戻そうとしているのだ。

1年前くらいに、最初のスタートアップが失敗に終わった後どのように感じたか、というテーマで講演を行った。「This is fine」という講演のタイトルは、火の上がった喫茶店の中で座っている犬が描かれた漫画からとったもの。そして私は次の言葉に焦点を当てた。

「人生に火をともしなさい。そしてその火をあおいでくれる人を探しなさい」
ルーミー

当初私はこの言葉に困惑し、スピリチュアルなデタラメだと思っていた。スタートアップの失敗に困り果てていた私は、この言葉を警告のように捉え、「人生に火をつけ、燃え上がる様子を眺めておけ。この愚か者」という意味だと理解したのだ。しかも、私が実際にやっていたことと、この理解はマッチしていた。素晴らしいフルタイムの仕事を辞め、家族をリスクにさらし、愛を持って接していた人たちとの関係を壊し、まさに人生が燃え上がっていた私に、ルーミーはさらにその火を燃え上がらせろと言っている。燃え上がった私の人生をどうあおぐかで誰が敵かわかるだろう、と彼は言っているのだと私は考えていたのだ。

完全に間違っていた。

その後、このルーミーの言葉は全く別のことを意味していることに気がついた。私を成長させ、人生という冒険の可能性を最大限に引き出す手助けをしてくれるような仲間を見つけろ、というのが本当の意味だったのだ。自分の心にともされた火を大きくしてくれるような人。燃え尽きるのではなく、明るく燃え上がるのを手伝ってくれるような人だ。

そして私は、家族や友人、オンラインコミュニティーの中にそんな人がいることに気づいた。さらにはアクセラレーターで早くから私たちの可能性にかけてくれた人、そして一緒にプロダクトをつくっている仲間にもそんな人がいた。

私はこれまでの20年間、心理的に閉じこめられた状態で執筆活動を行ってきた。私にとって、何かをつくるというのは孤独な道のりだった。しかし私の火をあおいでくれる仲間が、屋根裏部屋のようなところに閉じこもった私を引っ張り出してくれ、ようやく私は誰かと何かをつくりはじめることができた。コンサートで複数の音楽家がひとつの演奏をつくりあげるような、この取り組みこそが人間を人間たらしめるものなのだ。私の仲間は、燃え尽きようとする私に追い打ちをかけるのではなく、闇に光をあてるために私の心の火を燃え上がらせてくれた。

何か新しいものをつくっている、ということを伝える内容としてはかなり長くなってしまったが、何かニュースがあればまたお知らせしたい。もしもあなたが何か必要であれば声をかけてほしい。

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(翻訳:Atsushi Yukutake/ Twitter