
もうG1イベントも終わり、モバイル空間では壮大なパラダイムシフトが始まろうとしているようだ。iPhoneがきっかけを作り、これからAndroidが仕上げにかかる。何が変わったかと言えば、電話機はこれで正式にコンピューターとなり、ほとんどのユーザーが、電話機に対して、パワーのあるノートPCやデスクトップPCと同じように振るまうことを期待するようになる。はるかにコンパクトなケースに入っていながら。
今日(米国時間9/23)のG1のプレゼンテーションの間中、私は何かにひっかかっていて、それが何であるかがわかるまでかなりの時間を要した。1997~98年、私がカーネギーメロン大学にいた頃、ITは岐路に立っていた。ウェブが一般に広まり始め、大学生にとってメールは王様だった。学内にはコンピューターが溢れ、MacやPCもあれば、図書館ではグリーンの画面のUNIXダム端末でX Windowが走っていた。MacやPCは理解するのも使うのも簡単だったが、UNIXマシンはまるで氷山のようだった。全能力の98%は水面下に隠れ、一般ユーザーからは見えなかった。G1の能力を試してみると、Googleの激しい熱意と、この電話機が当初説明されていたよりもはるかに強力なものであるという暗黙の約束が見えてくる。これはG1にとって幸福でもあり災いでもある。
T-MobileはAndroidフォンを売るのに苦労することになるだろう。Windows Mobileが、ノンビリとしたWindows互換の約束と一般の電話機にあるような山ほどの機能を謳っているのと違い、G1は、驚くようなことを、いくつも特別なやり方でユーザーに届けるためのプラットホームを提供するものた。この会社が考え直して、G1をMac/PCのことば(Macは、PCと比較されるのではなく、PC体験を拡大したもの)を使って語り始めない限り、Googleを恐怖の目で見ている人たちや、既存のメールやデスクトップシステムとの互換性を心配している人たちに逃げられることになる。
G1は、未来のスマートフォンだ。これは、Symbianの2年前にあるべき姿で、Windows Mobileが来年突き当たる壁だ。「Antroid市場」別名App Storeには、デスクトップアプりの縮小版による堅牢な小宇宙となってほしいし、Androidフォンを作るさまざまなメーカーは、インターフェースと機能に関してかなりの自由度を持てるだろう。じつは私は、G1をサーゲイとラリー・のようなオタクによって、われわれオタクのためにデザインされたベータ版デバイスだと思っている。そして、Joel Johnsonが書いているように。
「この電話機を使い始めて、そう、かなりになります」とPageは言った。彼は家に持ち帰ってG1用のアプリまで書いている。アクセロメーターを使い、投げ上げた電話機が何秒間空中にいたかを測るものだ。Google幹部のひとりが今でも自宅で夜な夜なコードをいじっている、という事実がAndroidの生まれた文化の規模を物語っている。
Androidは、あの頃の私にとってのXターミナルや、今のわれわれにとってのLinuxと同じ。何かを作るための強力なプラットホームだ。これが普及すれば、事実上Googleは全人類をGoogleの巨大なネットワークに繋げて、われわれのあらゆる入力と出力を制御することになる。そうならないときは、新しいオタクの一群がこの上に何かを作り始め、AndroidをBSDやAppleのOS Xのようなものに変えるだろう。いずれにしても、これはプログラマーにとってもオタクにとっても、そしてある意味では一般消費者にとっても利益になることだ。しかし、今やるべきことは、一般のスマートフォンユーザーに対して、(MicrosoftやBlackberryのRIMの製品ではなく)これこそが、みんなの求めているものだと説得することをおいて他にない。
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(翻訳:Nob Takahashi)




