「プロセス・ジャーナリズム」について話をした
by Michael Arrington on 2009年6月15日

私は昨日(米国時間6/12)、NPRラジオのインタビューメディアと「プロセス・ジャーナリズム」について話をした。

プロセス・ジャーナリズムというのは、ニュースを取材の途中でも公開していく手法のことだ。New York Timesは表向きこの手法を批難しているが、実際には、自分たちもやっている

私は前の記事でこう書いた。

私は読者に出来上がったソーセージだけを提供すべきだとは考えていない。ソーセージの製造の現場を見てもらうことも必要だと思う。面白いし、情報としても有益だ。ここで重要なことは、常に透明性を確保することである。信頼性に疑問がある情報だったらわれわれはそう言う。絶対に間違いない情報だったら、情報源を守れる範囲で、やはりそう言う。

しかし、ともかく、New York Timesのような既存メディアは記事を発表後にアップデートするのは弱さの表れと考えているらしい。私はその逆だと信じている。記事を随時アップデートするのは、透明性の確保と同時にその時点で入手できる最良の情報を読者に届けるために必須だ。重要なニュースの場合、訂正とアップデートは継続的に行われなければならない。

「なぜ事件の全貌をつかむまで待ってから発表しないのか?」という質問を受けることがある。実は、待っているだけでは事件の全貌をつかめないことがよくあるのだ。CEOを取材しても推測や噂話に対していちいちコメントはしない。しかしひとたび記事として公開されると、各方面から驚くほど多数の情報提供がある。

私が〔New York TimesのDamon Darlin記者〕に指摘しようとしたことを、Jeff Jarvisがプロセス・ジャーナリズム―完璧を目指す文化対ベータの文化という記事で詳しく説明している。New York Timesがプロセス・ジャーナリズムを嫌悪するのは勝手だが、これは現実によく機能しているだけでなく、読者が求めている手法でもある。嫌うのは、ライバルのメディアだけで、一部が間違っていると指摘したがる。そして自分たちの記事がそれを訂正したと自慢する。しかし事実は、われわれが記事を公開しなければ彼らはそもそもそこに取材すべき事件があったことも知らなかったはずなのだ。われわれの記事を見て取材を始めたのだから、要するに後追いに過ぎない。

[原文へ]

(翻訳:Namekawa, U)

  • http://jp.techcrunch.com/archives/20100708we-need-more-opinions-in-news-not-less/ 「客観報道」という偽善―ニュースには記者の意見がもっと必要だ

    [...] 昨年私はプロセスジャーナリズムを擁護する記事を書き、プロセスジャーナリズムは報道の正しい手法の一つだと主張した。記事の終わりのほうで私はこう書いた。 「自分の意見を書くな。その意見を口にする人間を探してきて引用しろ」とジャーナリストは言う。私はこういう手法には身震いするほど不快になる。こうした手法で書かれた記事はまったくひどいものになる。客観的な記事を書くふりをして実は大いに主観的な記事を書いているのだ。そして取材相手の言葉を、編集長に命じられた記事の趣旨に合わせて歪めて引用する。こうしたジャーナリズムは倫理的に最低だ。こうした記事でも形式的には大学のジャーナリズム講座で教える「客観的報道」の条件に合致しているのかもしれない。しかしその実は何の根拠もない主観報道なのだ。 [...]