[jp]「文学」よ死ね, 「会話」よ支配せよ…TechCrunchのコメントの意義を考える
by iwatani on 2009年8月7日

猫も杓子もブログをやる時代なので、ブログの性質も多様だ。TechCrunchは、個人や企業/団体のブログではなく、複数者ただし固定ライター数名+編集長が依頼したゲストが書いている。WordPress multiというやつを使っているはずだが、“任意の複数者”ではない(が、実質的に任意の複数者的でもある…後述)。またTechCrunchは、世の中に最も多い私的文章のブログではなく、ニュース記事が主体だ。ただしニュース記事とはいっても、単なる客観報道ではなく、そのニュースの意味解釈をめぐって筆者の私見がほとんど必ず入る。それが、このブログの記事の、重要な、欠かせない味付けになっている。

またブログには、コメントの多いのと少ないの、コメントが非常に良いのとかなりくだらないの(あるいはその中間)など、コメントのあり方でも差異がある。TechCrunchは、コメントがとても多くて、しかも優れた内容のコメントが多いという特徴がある。くだらないコメントも、それなりに娯楽的に寄与している雰囲気がある。

おもしろくて優れた内容のコメントが多いというところから、私が抱いている明確なTechCrunch像は、『記事だけでは<面>または単なる<線>、多様なコメントがあることによって個々の記事が、まるで多面カットのダイヤモンドのような<立体>になっている』というものだ。言い換えるとTechCrunchの記事は、原文のコメントを読まないとその真価を味わったことにならない。記事本体だけ読む読み方は、二汁十菜ぐらいの豪華献立の中の「一飯一菜」だけを食ってるようなものだ。

以上のことは、だいたいどの記事もなので、具体的な記事を挙げるのはためらいを感じるが、最近私が訳を担当したものの中では次の二つがとくに、コメントによって生彩と味わいをぐーんと増している。[遠くから赤ちゃんやペットを監視できるHighlightCam][2010はタブレットの年か?それはありえない!]。また、陳腐なPR用語を扱ったこの記事は、すでに300以上も寄せられている原文のコメントを読むことによって、言葉に対する理解の幅と深さが得られると思う。

というわけでTechCrunchの記事は、コメントが付与している付加価値が大きいので、ある種「任意の複数ライターによるブログ」という性質も帯びている(本文記事そのものもコメントに促されたアップデートがよくある)。しかもそれらのコメントは、Amazonのリビューセットなどに見られる、各個人書きっぱなしではなく、「会話による意味の進化や変様」が見られる点が、スリリングだ。

私はかなり青少年のころから、文学というものに対して強烈に否定的で、小説などに代表されるいわゆる文学は、言葉の自慰行為的使用/消費形式だと感じていた(中にはごく稀に本当に啓発的なパワーを持つ作品もあるかもしれないが)。某作家の新作が3日間で何十万部売れたといっても、その何十万の人たちのあいだに何が起きるのか。心や脳の拡大(expansion)、拡張(extension)、増強(augmentation)、刷新(disruption)、それに、相互的コミュニケーション、などなど何も起きず、安全で閉鎖的で不毛な自慰行為があるのみだ。

思えば神様は、こういう私のような人間を、新しいインターネットの時代、(more
generic→)コンピュータとネットワークの時代、(much more generic→)「対話」と「会話」のネットワーキングの時代に放り込んで泳がせるべく、地上に産み落としたのである。そのエヴァンジェリストが、私の天職なのかもしれない。

最近は、たまに新聞というものを読む機会があると、「なんでこんなにつまらないのだろう?」とつくづく思う。それはつまり、それらの言葉が「人が人に語りかける言葉になっていないから」なんだよね。出版人に対してはこれまで何度も「一冊の本はこれから展開するであろう多面的なコミュニケーションの契機にすぎない、言い換えると、本自体は永遠の未完成情報体である」と言ってきたが、分かってもらえたためしはない。彼らは、本は立派な完成商品である(べきである)と誤解している。そして超長期の出版不況に反省の色もない(彼らのインターネット利用は、世の中でいちばん遅れとるわ)。

というわけでTechCrunchの記事とそれに集まる大量のコメントは、「会話」の持つパワーをとても明瞭に、そして楽しくおもしろく、思い知らせてくれる点で、今の地球上における貴重な文化資産の一つだ。最後に繰り返しておこう: TechCrunchはコメントがおもしろい!

そして、今後は、日本版TechCrunchも、みなさんの力でどんどんおもしろくしてね! お願い!。

[写真クレジット: eHow]

(筆者:iwatani(a.k.a. hiwa))

  • kkch

    ふと思ったことを書きます.
    私がこれにコメントをつけてる時点で成り立たない話なんですけども,ひとまず忘れてください.

    コメントがおもしろいという指摘はまったくその通りだと思います.確かに付加価値の大きさは計り知れないですね.

    一方で,仮に各記事に一切のコメントが付かなかったとしたら,hiwaさんが強烈に否定している言葉の自慰行為的使用である「文学」と記事に何か違いはありますか?

    同じ作品(記事でも文学作品でもなんでも)を読んだ人同士の間で,オンラインではない場所で,感想を言い合ったり相手の感性にけちをつけ合ったりすることは,安全で閉鎖的で不毛な自慰行為でしょうか?
    あるいは議論には必ず著者が含まれなければなりませんか?

    読者に語りかけていないということと,それについて反応をする/しない,ということは同義ではないと思います.
    別の言い方をすれば,反応する/しないという選択をしているのはまさに消費者なのではないですか?

  • ks

    この記事が相当自慰的だと感じるのは私だけでしょうか?

  • iwatani

    > 仮に各記事に一切のコメントが付かなかったとしたら
    申し訳ないけど、こういう、とんでもhappenな仮定的議論には、対応する意欲が湧きません。現実に存在して、生きて、動いているものを話題にしてるんですから。

    文学に関する議論に関しても、お答えは上と類同です。今となって、hindsightでいろいろ理屈を言うことは可能でも、文学というやつの歴史的現実と伝統は…(以下略)。

  • iwatani

    > この記事が相当自慰的だ
    どういう意味?

  • http://twitter.com/fukutopika fukutopika

    コメントがほしいというのは分かりますが。
    まあともかく、
    個人的にはTechcrunchでは「ニュースが主体の記事+筆者の分析、意見少々」ぐらいがcoolだと思って気に入っています。

  • なんつーか

    こんな記事を書くくらいなら、もっと沢山翻訳してください。

  • pennykid

    つまりは、コメントが無い=記事の存在価値は無い。
    っていうものでもないですよってことですか?

    そうっすね。俺もそう思います。
    ただ、コメントがあったほうが面白いてのも事実です。

  • kkch

    TechCrunch Japanの記事にコメントがついていないものが多いように見えたのは私の目の錯覚だったんですね.

    いやしかし,「会話」にはパワーがあると仰っているのに,まさかそれを放棄なさるとは思いませんでした(「会話」するに値しない相手だと認識されたのだと思った方が正解?).

    素直に最後の一行だけ読んでおけばよかったのだと,ようやく理解できました.

    大変失礼いたしました.

  • htomine

    純粋にこの記事の中(本文+コメント)で「会話」が完結する必要はないんじゃない?

    確かに日本版でコメントがつくのをあまりみないけど(Engadget Japanese も状況は似ている気がする)、でもかといってこの記事発信で「会話」がないかといえばそんなことはなくて、例えばはてブだとか、誰かのTumblrとか、そのReTweetだとかで「会話」の広がりはいくらでも発生しているように思うんだけど。

    ただ単に日本版の読者がちょっとシャイか、ブログ文化の違いでコメント欄が有用な「会話」の場として認識されてないかとかー

    あとは単純に翻訳記事(としてしまうのは失礼だけどあえて。)としてしか捉えられていないのかも。
    今回みたいな記事がもっと出てくるなら、コメント欄もにぎわうかもしれないなーとか。

  • iwatani

    >「会話」するに値しない相手だと認識されたのだ
    ありゃりゃ、それはまったくの誤解です。話題の中心〜対象を本題とは別のもの、しかも現実に存在しないものにずらしておられるから、ちょっとそういうのにつきあうのはシンドイというだけです。

    ちょっと違うが:
    昨日ヒロシマで「でも逆に、日本がニューヨークに原爆落としてたらどうなったでしょう?」なんて言い出す人がいたら、たぶんその人の会話の相手になる人は一人もいなかったでしょう。

  • Schulz

    > 心や脳の拡大(expansion)、拡張(extension)、増強(augmentation)、
    > 刷新(disruption)、それに、相互的コミュニケーション、などなど
    > 何も起きず、安全で閉鎖的で不毛な自慰行為があるのみだ。

    当然文学の質にも依りますが、これらはすべて起こりえると思います。
    hiwaさんにはそうした経験はありませんか?

    文学にそのようなポテンシャルがあるという時点で、「反応する/しないという選択をしているのはまさに消費者」というkkchさんの意見は非常に的を射ていると思います。
    政治家みたいにステレオタイプな回答(議論)拒否をなさらずにお答えくださると、結果としてコメント欄がおもしろくなったのではないかと思います。

    kkchさんの仮定は命題の裏をアプローチしているのであり、考慮すべきに十分足るもので、「とんでもhappen」な仮定とは私は思いませんでした。

    それから、hiwaさんが言うところの自慰行為の主体が、文脈によって作者だったり読者だったりする気がして、それが少し違和感を感じました。

  • iwatani

    kkchさんへの最初の返信にも書いたように、文学はその伝統と歴史的現実として、会話生成のためのメディアでも、会話による新たな意味/概念の生成のためのメディアでもない、ということです。それが、提供者と享受者における基本認識です*。今となってのhindsightであれこれ理屈を言っても、無意味です。kkchさんがいろいろ書かれている仮定のお話も、私としては反応する意欲(==意義の強い認識)がまったく湧きません。ちょっと極端に、ヒロシマの例で申したとおりです。原爆の“現実”(のひとつ)は、それがあくまでもヒロシマに落ちたということです。ヒロシマでは、その“現実”がメイントピックです。

    (*: 私は中学生のころ、当時の有名な評論家の一人にまじめな質問の手紙を出して、ナシノツブテだった経験があります。今でも、いやーな思い出の一つとして私の脳の底部に残っています。でも、ま、文学とはそういうものなのでしょう。インターネットの登場と普及を契機に、いさぎよく死んでいただきたい。)

    ですから、
    > 「起こりえる」
    > 「ポテンシャルがある」
    申し訳ないが、これ的な議論には、まったく乗る気が起きません。

    また、自慰的うんぬんは、作成者享受者双方に関しての事態ですから、Schulzさんも、なにも‘違和感’をお感じになる必要はありません。

    また、htomineさんへの返信も兼ねてしまいますが、会話は、当事者の知らないところでローカルに行われたって無意味ですね。ブログのコメントは、あくまでも元の発言の現場で行われ、展開されるところに「会話」としての意義があります。

  • kkch

    > 文学はその伝統と歴史的現実として、会話生成のためのメディアでも、会話による新たな意味/概念の生成のためのメディアでもない、ということです。

    それは著者・執筆者との会話を前提とした場合にのみ成り立つのであって,「文学」というメディアそのものが持つ問題ではないはずです.

    ブログは作成者が発信すると同時に「会話」のための場を提供できるという面で,「文学」よりも便利なメディアなのは確かですが,極論すればそれ以上の違いはないでしょう.
    iwataniさん(お名前を間違えていたようで失礼しました)の書いているこのエントリも「文学」も,どちらもただの言葉の自慰的使用ではないですか?
    「文学」とコメントのつかないエントリとは何が違うんですか?

    受け手側は

    ・誰を当事者にするのか,
    ・オンライン(e.g. チャット,コメント)なのかオフライン(e.g. 手紙,対面,電話)なのか,
    ・そもそも話すのか話さないのか,

    といったことを選択していいはずです.
    iwataniさんは

    ・著者も含めて
    ・オンラインのコメント欄で
    ・話す

    というのだけを「会話」だと思っていらっしゃるようですが,それは「俺のオナニーにつきあえ」と言っているのだと解釈せざるを得ません.
    私はそれに「別のところでオナニーしたっていいじゃないか」と言っているだけです.

  • yupupe

    まあ、セックスも大事だけどオナニーも大事ということで。

  • turu

    この記事によってコメントが全て斜体で表示されるバグがあることがわかったのですから、とりあえずそれを直しましょう。

  • tondemo-happen

    >最後に繰り返しておこう: TechCrunchはコメントがおもしろい!。

    確かに!
    このコメント群は記事よりも面白い!

  • bonk

    iwatani 論に一票。

    新聞いらねーよな。確かに。
    あんな一方通行で、ナルシストが書く情報なんていらねーし。悔しかったら、新聞社HPにコメント欄つけてみろ!って感じだな。