偽善を無くし、世界を住みやすくするものが二つある。司祭に結婚が許されること、そして、ニューヨークタイムズが倫理規定を見直すこと。
由緒正しく脆弱な新聞社が、ようやく「ポーグ記者問題」について読者に語り始めた。デイビッド・ポーグ記者は長年にわたり、Apple(および他のテク系企業)を記事を書いている。そして、長年にわたりApple製品に関する書籍を著してきた。その本に関してAppleから報酬は受けていないが、彼の偏向は明白であり、利益相反であるとして他の多くの主要メディアから、一度ならず非難されている。Dan Lyonsが、この件に関して実に面白く解説しているので一読をお薦めする。
ポーグ記者のAppleに関する意見に少しでも疑問のある方は、これを見ればはっきりするはずだ。
実はわれわれとして、この種の行動は歓迎なのだが、それも読者に情報開示されていればの話だ。しかし、ニューヨークタイムズの基準はわれわれとは違うので、ポーグ記者の行動は、同社のジャーナリズム倫理規定に明白に違反している、と私は思う。
この件は、厳密な規則からは離れるが、われわれがプロとして一定の距離を保ち、いかなる偏向も持たないことは、きわめて重要である。従業員が食事や飲み会の場でインフォーマルに情報源を見ることがあったとしても、合法的業務と個人の友情との違いは肝に命じておかなければならない。例えば、市議会議員と毎週ゴルフに行くローカル記者は、なれ合いがあると見られるリスクを伴う。テレビニュースのプロデューサーが、取材相手の会社と週末を過ごすのも同じことだ。慎重な行動をするためには、日常関わっている情報源に近づきすぎないよう、頻繁に立ち止まっては見直す必要がある。情実がないことの証しは、 あらゆる紛争当事者と、仕事上良好な関係を保つ能力である。
ニューヨークタイムズでは、概して自主規制が働いている。情報源に近づきすぎたときは、「立ち止まって」自らの記事を見直し、「えこひいきには特に注意深くあるべき」である。もちろん私は、えこひいきは隠すよりも、表に出したうえで、自分との関係を明らかにして、読者に判断を仰ぐのが一番だと思っている。ポーグ記者の偏向は明白なので、われわれにとっては問題ない。
しかしわれわれは、ニューヨークタイムズが、相変わらず情報開示をしない態度を取り続けながら、倫理について説教を垂れることについては、大いに問題にしたい。
同紙の倫理規定にはこうも書かれている。「他の報道機関が最初に報じた事実を使用する場合は、出典を明らかにすること」。しかし、われわれの経験によると、必ずしもそうなっていない。
ニューヨークタイムズにはブランドと人材がある。彼らの記事は一番でなくても、概ね正しい。利益相反を隠そうとするのは、ブランドを傷つける行為だ。隠そうとする行為を禁じるような倫理声明の下で偽善的に隠ぺいしたとなれば、なおさらだ。何もかもオープンにする方がはるかに良い。重要なのは透明性であって外見ではない。
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(翻訳:Nob Takahashi)




