Google Books和解案にいちばん強力に反対すべきはテクノロジ部門だ–その意外で深刻な理由
by ゲスト ライター on 2010年2月17日

反トラスト…米国独禁法…専門弁護士でOpen Book AllianceのリーダーGary Reback を、National Law Journalは“反トラストのチャンピオン”、“市場経済の守護神”と呼んだ。彼は過去30年間の主な反トラスト訴訟で、最前線に立つことが多かった。彼はGoogle Booksの和解案に対するもっとも強硬な反対者の一人だ。本誌は数週間前にRebackにインタビューし、その中でGoogle Booksについても議論した。この記事でRebackはとくに、Google BooksとそのGoogl検索との結びつきについて論じている。

今週の木曜日(米国時間2/18)に、世界の出版業界は、Google Book Settlement〔Google Booksに関する和解、以下GBSと略記〕の承認の可否をめぐってニューヨークの連邦裁判所で行われる弁論を、固唾を呑んで聞くだろう。

重要なのは裁判所の判決そのものではなく、Googleとニューヨークの5大出版社が手を組んだジョイントベンチャーが、この和解提案により、数百万もの絶版本に関し、消費者へのデジタル販売とオンラインの検索を通じて、かつてないほど大きなアクセスを約束したことである。しかし、これまでの時間の中でその内容を精査してみると、その約束は幻想であることが明らかになった。実は大手出版社は、その和解(PDF)を通じて権利を獲得した書籍に関して、Googleと密約を交わす権利を確保しているのだった*。〔*: 排他的独占的な密約…後述。〕

一方、ニューヨークの法廷を怒りの洪水が襲った。著者たちは、オーナーとしての自分たちの権利がこの和解によって盗まれると感じ、図書館の司書たちはGoogleによる価格のつり上げを恐れた。プライバシー保護活動家たちは、Googleが利用者の読書行動を盗み見ることを懸念し、自由主義者たちは私有財産の盗用とそのおおっぴらな横行のために法的手続きが利用されることに激怒し、デジタル書店たちは市場におけるGoogleの一方的な有利性を危惧した。

しかし実は、技術分野の人たちこそが、誰よりも緻密にこの和解手続きを監視すべきなのだ。和解が今の形で承認されたら、多くの人たちが敗者になる。なぜなら、要するに基本的には、GBSは本/書籍とは全然関係がない。それは実は、検索に関する和解であり、したがってそれは、今日および明日の新しい経済にとってもっとも重要なテクノロジの、命運を握っているのだ。

合衆国司法省によれば、GoogleはWeb上の検索広告と検索配信の市場を支配し、そのマーケットシェアは70%にものぼる。強力なネットワーク効果日本語記事)とスケールメリットにより、この市場は今や新規参入が困難になっている。事実、最近の参入はすべて敗退しており、シェア2位だったYahooも、市場から去りつつある

検索の市場は、Web上のほかの市場と比べても、きわめて特殊である。この市場におけるGoogleの支配的なシェアが意味するものは、相当数のWeb企業がGoogleの検索エンジンからの参照(referrals)や、Googleの広告プラットホームが置いてくれる広告に依存しなくては経営が成り立たなくなっている、ということだ。支配的なマーケットシェアによってGoogleは、Webビジネスの“大元締め”(arbiter, 絶対的審判)になってしまっている(書籍も医療用品もetc.)。いかなる場合にも、Googleの検索結果に載るか載らないか、Googleのサイトに広告が載るか載らないかで、企業の生死が決まってしまう。

Googleに対する業界の恐怖は指数関数的に肥大しているが、Web上の商業に与える同社の影響力も同じく肥大の道をたどる。半年足らず前に、ある人気上位のWebサイトの優秀な役員の一人が、Googleの報復を恐れて匿名で本誌に記事を書き、その中でものすごい思い切った提案を行った。彼自身の経験から、GoogleにはGoogle自身が意図しなくても本質的に力の濫用があり、したがって検索結果や広告の掲載のされ方を政府が規制すべきだと彼は説いた。

その後今日までの半年で、この匿名の役員の危惧が実証された。昔々Googleは、検索結果や広告の載り方は中立的で数学的なアルゴリズムに基づいていると主張した。しかし昨年の11月にGoogleは、Washington Post紙に対して、中立的なアルゴリズムによって掲載されるのはコンテンツでGoogleと競合するところのみであり、Google自身の所有物…Maps、News、Booksなど…はアルゴリズムとは無関係に最初に掲載されると認めた。もっと最近になるとGoogleは、有料検索広告の載り順を勝手に変えて自社のメッセージを優先していると認めた。

政府による規制の妥当性はともかくとしても、検索の競争性を高め、より良質な競争を育て、Googleの力を抑えることの必要性を、否定する人はほとんどいないだろう。しかしGoogleは今、そういう状態にならないように全力を注いでいる。GBSの話はまさにこの点にからんでくるのだ。Googleの意図は、この和解を梃子(てこ)として、競合他社に不利益をもたらし、検索における自己の地位をさらに強化することにある。

Googleが書籍をスキャンしデジタイズするプロジェクトを発表したのは2004年の12月だ。商用主体も非営利主体もともに、Googleよりも前から書籍のスキャンを始めていた。Googleの発表後に書籍のスキャンを開始したライバル企業も、いくつかある。しかしこれらの競合他社がスキャンした(PDF)本はすべて、パブリックドメインに置かれているものか、または著作権保有者の許可を得たものだった。これに対してGoogleは、合衆国でも上位に位置するいくつかの研究図書館の全蔵書をスキャンした。それには著作権のあるものも含まれ、権利保有者の許可を得ないままスキャンされた。

2005年の秋に、ニューヨークの5つの出版社とAuthors GuildがGoogleを著作権侵犯で訴えた。3年間の秘密協議を経て両者は、法的効力のある宣誓証書などはいっさいなしで、2008年10月28日に和解を発表した。集団代表証明(class certification)と呼ばれる法的小細工(裁判所の承認が必要)によって、訴えの当事者である原告が合衆国の著作権保有者全員を代表する、ということになってしまった。連中の和解案は、Googleにある権利を与える。その権利とは、検索のクェリへの応答中に、著作権のある合衆国のすべての絶版本から長いテキストを表示してよい(権利保有者が明確に拒否しない場合にかぎり)、というものだ。その全量は数千万冊にのぼる。

Web検索に関するごく最近の研究によれば、Googleが大量の古い埃まみれの本のデジタル権の取得に大金を投じてこだわるのには理由がある。検索クェリの多くは、ショッピングや旅行、医療情報など、日常的な項目だが、しかし一部のクェリは、あまり知られていないような項目だ。それらは、“レアである(rare)”、 “わかりにくい(obscure)”、“難解な(esoteric)”、そしてときには“テールな(tail)”クエリと呼ばれる。テール(尻尾、テイル)とは、分布図などの両端(あるいは片側端)に形成される細いすそ野部分のことだ。いわゆる80-20の法則を表すパレート図にも、やはり尻尾に相当する部分がある。検索のクェリの場合は、数少ない日常的な項目が分布の厚い部分に相当し、わかりにくいクェリは、その種類はやたら多いが全体としては分布図の尻尾のほうになり、ゼロに向かう漸近線を描く(参考図)。Web用語で言うロングテールも、分布の細くて長い端っこ(尻尾)のことである。

かつてコンピュータ科学者たちは、わかりにくいクェリはほとんど、ごく一部の人たちからのものだと考えていた。だから、検索エンジンは安心してわかりにくいテールなクェリを無視できる。そうしても、大量のユーザ人口を失うことはない、と。しかし最近の研究によれば、ほとんどの人がときどきレアなクェリをする。そして、そんなレアな質問に答えてくれる検索エンジンをひいきにする。それは、ホームセンター戦争で、ふつうの店に売ってない特殊な物でも確実に売ってる店が人気店==勝者になるのと同じパターンだ。もっと公式っぽく言うと、テールの需要を満足させると、分布曲線の厚い部分…ヘッド(頭)…の消費が増える。

Googleは、競合他社には対応できないテールなクェリに答えることによって、圧倒的優位に立つ。最近の研究では、テールなクェリに答えてもらうと、日常的な質問の場合よりもずっと、ユーザの満足度が高まる。つまり、ごく稀な少数の質問が、まるで強力な梃子(てこ)のように、その検索エンジンに対する満足度を大きく高め、ファンの数を増やす。ごく最近の研究が示すところによると、テールなクェリへの良好な検索結果が1%増えると、そのエンジンの満足人口全体は5%以上増えるということだ。これだけ顕著な梃子(てこ)効果は、Googleと戦ってわずか0.1%でもシェアを増やしたいと願う企業にとって絶対に無視できない。

ほとんどすべての絶版本のデジタル権をGoogleが排他的に持てば、この、テールなクェリに答えるという重要な経営資源において、Googleは群を抜いて有利になる。Googleは、我が国のメジャーな研究図書館の蔵書をスキャンして書籍データベースを作った。その多くは学術的な書籍であり、きわめて稀少な分野もカバーしている。すなわちそこには、ありとあらゆるレアな質問への答えがある。とくに、古い書籍の情報は、今のWeb上の公開情報からは得難いものである。それらの本の出版物としての価値がどうであれ、検索においては大きな有利性をもたらす。いや実際にGoogleは、最近2か月プレゼンテーションで、デジタル書籍のテキストをユーザのテールなクェリに応えるために利用したいと明言している。Googleがその有利性をさらに確固たるものにするために、同じデジタル書籍の利用を検索のライバルたちに対して拒否したら*、Googleに追いつき追い越すことはもはや不可能である。〔*: Googleはそれをすべて、オープンコンテンツとしてパブリックドメインに置くべきだ、という“良識派”の意見もある。〕

現在の和解案では、上に描写した悪夢が現実になる。検索におけるGoogleの競合他社は全員、はるか後方に取り残されてしまう。この和解は、競合他社がこれらのいわゆる“孤児本(orphan works)”…著作権はあるが著作権者の所在が不明な本…にアクセスできるための手段を、まったく提供していない。先週法廷に提出された文書によると、原告が権利を主張するのは、Googleがスキャンした1200万冊以上の本と1億7000万の(互いに重複しない)作品のうちの、わずか100万冊前後の本にすぎない。ということは、合衆国の書籍のゆうに90%以上に対するデジタル権が、Googleという一私企業の手に独占的に渡るのだ。さらにこの和解には、権利保有者の所在が明白な絶版本に対する権利をGoogleが簡単に入手できるための手続きが、明記されている。ここでも、競合他社には著作権調停をめぐる便宜が何一つ与えられていないから、Googleの一人勝ちがまた一段、強固なものになる。つまりこの和解(案)は、実は、Googleのための競合の有利化といった生やさしいものではなく、露骨な「競合の排除」である。それが今の形で承認されたら、何百万もの本に対する権利をGoogleに独占的に与えることになり、検索市場におけるGoogleの支配力を不動のものにする。

いかなる企業にも、その優れた先見性によって競争的有利を獲得する権利はある。しかし、今ここで起きているのは、そういうまともな経営現象ではない。原告である出版社はGoogleの競合他社に対して、Googleがスキャンした努力に見合う権利を認めよと要求し、しかもGoogleとの密約(PDF)によって、競合他社には提供しなかった和解条件をGoogleだけに与えている。司法省も、その訴訟案件摘要書の中でこの点を明確に指摘している。すなわち司法省によれば、検索におけるGoogleの支配性は、この和解による“コンテンツへの独占的アクセス”によって、より根深いものになりうるのである。

このような結果は、検索における技術進歩や、正常な市場の動きによってもたらされたものではなく、むしろ、数百万の書籍を著作権保有者の同意なくスキャンしたことと、市場では得られないような結果を[集団訴訟的な手続き]を利用して達成したことの、直接的な成果である。

Web上の商業活動全体に対する一企業の支配性の強化を、オープンな市場における競争によってではなく、いかがわしい法的術策によって許容することは、経済の破綻を招来する。おそらく判事も司法省と同様に、Googleの策略をそういう視点から見るだろう。もしそうでなければ、残された手段は政府による規制のみとなろう。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))