Yahooの上級幹部で同社最古参の一人、Ash Patelが近々会社を離れる。来週月曜日が最後の日となる。
PatelはYahooがまだ60人の頃の社員の1人で、1996年4月に同社が上場するわずか前に入社した。Patel以前に入社した従業員は現在6名しか残っていないと同社は言っている。
最初の仕事は「テクニカルYahoo」、エンジニア全員に付けられた肩書きだ。同氏はMy Yahooサービスを作り、さらにYahoo初のインスタントメッセンジャー・クライアントを開発した。仕事でコーディングしたのは2002年までで、それ以降は一連の製品とエンジニアリング部門で仕事をしてきた。
現在の役職は、製品アーキテクチャーおよび戦略担当上級VPである。製品最高責任者や、Yahooのエンジニアリング部門の幹部を務めたこともある。
私は今日の午前Patelと会い、1時間以上にわたって彼のYahooでのこれまでについて語った。
彼の気に入っている思い出の一つは、1996年の夏に共同ファウンダーのDavid Filoが、徹夜でニュースを見ながらアトランタオリンピックの結果を手動で更新していたことだという。Yahooウェブサイトの更新は、当時ほとんどが手動だったが、さまざまなフォーマットでコンテンツを送ってくるパートナーも少しいたそうだ。
Patelは、真夜中の誰も起きていない時間にYahooのインスタントメッセンジャークライアントをテストしようとして困った時のことも話してくれた。寝ている友人相手に新機能をテストできなかったので、自分自身を友人として追加できる機能を追加した。この機能は今でもYahoo Messsengerに残っている。
Filoがこう言っていた、「Yahoo! Messengerの連絡先に自分自身を入れられることは知っていましたか? 実はできるのです。なぜかというと、Messengerを最初に開発していた頃に、正しく動いているかどうかをAshが確認する必要があったから。待ち切れなかったんですね。すぐにフィードバックが欲しくて、その場でちゃんと動くのを確認したかったのです。AshがYahoo!に持ち込んだのはそんな創意工夫です。彼は私たちが思っていた以上にすばやく動くことや、自分の仕事をユーザーの視点から見る方法を新しく見つけるのを手助けしてくれました。」
Patelは、Yahooは過渡期にあるが、将来の競争に必要な基盤を作っているのだと言う。誰もが今はソーシャルに向かっているし、YahooもそうだとPatelは言う。しかしYahooには「結局次に来るもの」のための製品プランもあるそうだ。
私はPatelにYahooの今の問題について聞く中で、Yahooはナチスに包囲された1940年のイギリスのようだと言った(このたとえで誰がナチスなのかはよくわからないが、会ったのがとても朝早かったので、これが精一杯だった)。彼の答えはこうだ、「ええ、でもブリテンの戦いで誰か勝ったかを見れば・・・万事うまくいったでしょう。」
余談として、[Yahoo CEOの]Carl Bartzがウィンストン・チャーチルの役を演じられるかどうかの議論もした。しかし前にも言ったように、早い時間だったのだ。
Patelは今後どうするのか。何ヶ月か休みをとって家族とすごして、夏に将来のことを考え始めるそうだ。スタートアップ何社かのアドバイザーをするそうだが、将来自分でスタートアップを始める考えは、少なくとも今はないようだ。
一つはっきりしていること ― Patelは惜しまれるに違いない。彼は心底から人に好かれ、過去14年間多くのことを見てきた知性ある男だ。彼が去ることはYahooにとって損失だが、この男には今後もYahooの血が流れ続けるに違いない。
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(翻訳:Nob Takahashi)
