新型の巧妙なトロイの馬が世界中の銀行口座を空にしている–しかも検出不能だ
by Nicholas Deleon on 2010年8月12日

これはたいへん。トロイの馬Zeusの新バージョンZeus3が、世界中の銀行の何千もの口座を破壊し、すでに100万ドル以上を盗んでいる。このトロイの馬は、あなたのシステム内にあっても検出できない。人間って、つくづく、弱い生き物だね。

最初に現れたのは先月だが、すでに3000以上の銀行口座をからっぽにした。

最初に発見したM86 Securityは、こう言ってる:

これほど高度で危険な脅威は初めてである。つねに残高をチェックして、現状を正確に把握していることが重要である。

銀行口座を空にしてしまうトロイの馬だけは、ごめんだよね。

被害はWindowsだけだが、それはみなさん、すでにご存じだろう。

おそろしいことに、銀行口座を空にしたあと、このトロイの馬は銀行のニセのメッセージページを表示する。それには、あなたが期待する正しい残高が記載されているが、実際に口座に残っているのは50ドルだけだ。

今現在のマルウェア対抗ソフトは、どれもこのトロイの馬を検出できない。当分は、自分で自分を守るしかない。

インターネットを、それが安全であるという前提で使うのを、やめるべきでは? 過剰反応かもしれないが、これはあまりにも悪質だ。

ご用心くだされ!

[原文へ]
[米TechCrunch最新記事サムネイル集]

(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))

  • tate

    トロイの馬よりもトロイの木馬が訳では一般的かと。

  • Aa

    1. Uploads malicious advertisments to legitimate and fraud advertisments servers.
    2. The malicious advertisments published among the legitimate websites.
    3. User accesses to an infected website.
    4. The website content contains redirection to the malicious Exploit Kit.
    5. The user is redirected to the malicious Exploit Kit.
    6. The user's PC exploited, the payload was downloaded successfully.
    7. The Trojan reports for a new bot to the C&C.
    8. The C&C sends instruction to the Trojan.
    9. User access to financial institution.
    10. The Trojan reports for the user activities.
    11. The C&C sends commands to the Trojan to manipulate user bank transactions.
    12. Trojan manipulates User's bank transaction.
    13. Trojan reports the C&C about successful/failed transaction.

  • M0224232023

    人の揚げ足取ってる暇あったら、もっと有益なサイトを訳して広めて下さい。

  • Dcdc

    お前どんだけ暇なんだw

  • Dcdc

    お前どんだけ暇なんだw

  • Dcdc

    お前どんだけ暇なんだw

  • Dcdc

    お前どんだけ暇なんだw

  • Dcdc

    お前どんだけ暇なんだw

  • Dcdc

    お前どんだけ暇なんだw

  • Fuckreal

    コメが香ばしいな・・・。夏休みですかやっぱり。

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    おっしゃるとおりです。でも、単に簡略化のために「トロイの馬」と書いています。

  • Aa

    申し訳ないけど、全ての指摘は正しい
    謙虚になれよ

  • sugari

    トロイの木馬が正しいと指摘している方へ

    英語が堪能な友人に聞いたのですが、私も知りませんでしたが
    英語になれている人は、最初Google翻訳で全体文をざっと訳してからその他の細かいところを
    ご自分の英語力で訳すそうです。そのとき、トロイの木馬はTrojan horse (あってますか?)
    英語からだとトロイの馬と訳されるそうです。
    ですから揚げ足とってる人の方が英語をいかに知らないかということを
    身をもって自分の恥をさらしていることになるそうですよ。
    私は英語が苦手なので勉強になりました。

  • Pop

    一文字だけ簡略化する意味がわかりません。
    アメリカ合衆国をUSAと表記するならわかりますが、アメリカ合衆と書きますか?

  • http://freethink.way-nifty.com/ Inetgate

    「トロイの木馬」あるいは「トロイの馬」の表現の差について、このエントリが文学作品なら「トロイの馬」でも間違いでは無いのですが、コンピュータウィルスやマルウェア等のセキュリティ関係では「トロイの木馬」と表現するのが普通であるため、翻訳者の方は、その方面の表現をあまりご存知無かったということでは?

  • Micra

    イーリアスに出てくるのは生身の馬ではなく中に兵士が隠れた作り物の馬だから、horseは木馬と訳すのですよ。

  • Tomo

    iwatani様、興味深いニュースをご紹介いただきありがとうございます。しかし、厳しいことをひとつ申し上げますと、世の中で一般的とされる訳語を使わないで(少なくともコンピュータ関係の文脈であれば「トロイの木馬」が一般的な訳語のはず)自己流に「簡略化」した、というのは、翻訳者の姿勢として、よく理解できません。たしかに「トロイの馬」と書くことによって文字数は短縮されますが、一般的でない訳語を使う分、コミュニケーションのコストは高くつくように思います。それを果たして「簡略化」と呼べるのでしょうか?

    >インターネットを、それが安全であるという前提で使うのを、やめるべきでは?

    これの原文は”I suggest we all stop using the Internet to be safe.”ですよね。

    この文はたとえば”You should stop smoking cigarettes to be healthy” 「健康になるために煙草を吸うのをやめてはいかかですか」という文章と同じ構造であります。ですからつまりこれは「みんなで(銀行口座の)安全(を守る)ために、インターネットを(完全に)使うのをやめてみませんか」ということであって、決して「インターネットを、それが安全であるという前提で使うのを、やめるべきでは」という意味ではないと思うのですが、どうでしょう。

    >おそろしいことに、銀行口座を空にしたあと、このトロイの馬は銀行のニセのメッセージページを表示する。それには、あなたが期待する正しい残高が記載されているが、実際に口座に残っているのは50ドルだけだ。

    また、些末なことではありますが、「あなたが期待する正しい残高」というのは日本語としていささか不自然ではないかと思います。私ならばこのように訳したいところです:

    「最も恐ろしいのは、このトロイの木馬が(被害者の)銀行口座を空っぽにした後で、あたかもその口座の残高に何も変化がないかのように見せかけるための偽のメッセージを表示する点です。一見すると残高は元のまま変わっていないように見えるのですが、実際のところ、(その時点で)もうその口座には50ドルしか残されていないのです。」

    なんだか、揚げ足取りになってしまい申し訳ありませんでした。

    sugari様、”Trojan horse”はたしかに直訳すれば「トロイの馬」になりますが、直訳が必ずしも正しい、一般的に理解される訳になるとは限りませんよね。”trojan horse”は(少なくともコンピュータの文脈では、僕の知る限り必ずと言っていいほど)「トロイの木馬」と訳出されることが一般的です。ですから、「トロイの木馬」擁護派は、決して「恥をさらしている」わけではないのです。おわかりいただけますでしょうか。

  • Tomo

    「健康になるために煙草を吸うのをやめてはいかかですか」というのはyou should~の訳としてちょっと弱かったですね。失礼しました。

  • Tomo

    sugari様、わたくしはプロの翻訳家でもなんでもない一介の理系学生なので、あまり確かなことは言えないのですが、本当に「英語になれている人」は、自分で英文を訳する下地としてGoogle翻訳を使うなどということは、普通しないのではないかと思われます。なぜならば、そんなことをしたら逆に遠回りになり、翻訳がやりづらくなるからです。言ってみれば、わざわざゴム長靴を履いてその上から足を掻こうとするようなもので、逆にもどかしく感じると思います(Google翻訳に限らずWeb上の機械翻訳の訳出精度は、ご存じかと思うのですが、はっきり言って低いですから、翻訳の下地に使ったりすると逆に混乱をきたすだけでしょう)。

    ちなみに一応Google翻訳にこのページをかけたところ、

    http://translate.google.co.jp/translate?js=y&pr...

    ご覧の通り、きちんと記事本文中の”trojan horse”は「トロイの木馬」と翻訳されました。まあ何にせよ、Google翻訳などの機械翻訳で全体をざっと訳してから細かいところだけ自分で訳すなどというのは、どちらかといえば「英語になれていない人」のやることなのではないかと思いますけれども・・・。

    どうも気になったので再度個別でコメントさせていただきました。失礼致しました。

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    Tomo 様
    なんだかこの記事だけがとくに問題にされているようですが、私の訳文は、このjpTC上の記事にかぎらず、あらゆるところで、意図的な”超訳”、”自由訳”がとても多いです。受験英語的な、正しい英文解釈の視点から見ると、違和感を感じられるのも当然です。でも私の超訳は、英語と日本語、欧米人と日本人、欧米社会と日本社会といった厳しい断絶との、50年近くにわたる悪戦苦闘の結果、苦肉の策としてたどり着いているものです(それが最終のベストソリューションと主張するつもりはありませんが)。その苦闘の詳細をここで述べることは不可能ですが、これなどが、Tomoさんご自身の思考のきっかけになれば、幸いです: http://bit.ly/9xLyNJ

  • Murasakicks

    sugariさん
    直訳してどうするんですか。
    トロイの馬とかいて、トロイの木馬と読むんです。
    世界史に多少なりとも知識があればわかること。
    身をもって恥をさらしているのは、残念ながらあなたです。

  • Tomo

    Iwatani様、お忙しい中、ご丁寧なご返答ありがとうございます。

    えーと、細かいことを言うようですが、いちおう訂正しておきます。じつは僕は受験英語というものをやったことがありません。これは結構ひけらかしになってしまうのですが、中学の英語が簡単でちょっと退屈だったもので、中学2年のときから中学校と平行して大手通訳学校に通い始め(つまりその時点できちんと通訳学校の入学試験に通ったわけですけど)、高校3年になるまでずっとそこでCNNやBBCを題材に、社会人と肩を並べて英語を勉強しておりました。どうも文法書とか文法問題集とか単語帳とかその手の受験英語的なツールって好きになれなかったので、まったくと言ってよいほど使ったことがないのです(それでもまあ、帰国子女でもないのに高校2年でいちおう英検1級ていどは取得できたので、少しくらいそういうワガママを言ったのも許されるかなと思います:P)。ですから僕にはIwataniさんが仰る「受験英語的な、正しい英文”解釈”の視点」というのが皆目どういうものかはわからないのですが(英文はただ”読む”ものであって”解釈”するもんではないのでは?という疑問が前から僕にはあります)、そのかわり「通訳学校的な、正しい英文”訳出”の視点」は、ケツの青い若造ながら、ある程度持っているつもりです。まあ僕もそれが「ベストソリューション」などとは口が裂けても言えそうにありませんが(笑)

    リンク先の記事、興味深く読ませていただきました。たしかに異言語間翻訳においては常に(iwatani様の言葉を拝借するならば)『非互換性』の問題が生じてしまう=ロスト・イン・トランスレーションが起きてしまうのは、まったく仰られたとおりだと思います。ソシュールを引き合いに出すまでもないでしょうけれども、いわゆる「言語の恣意性」ってやつでしょうか(あるいはサピア=ウォーフとか認知言語学とかを引き合いにだしたほうがよいでしょうか)。現実をどう構造化するかってのは言語によってやり方がずいぶん違ってきますものね。おっとおっと、ここらへんは仏文科ご出身(あ、じつは調べてしまいました。wikipediaに載ってるくらい、かなり有名な方なのですね、わおわお!)のIwatani様のご専門だと思うので、理系で門外漢の僕などがあまり適当なこと喋るとボロが出そうで、やなんですけど(笑)。とはいえ僕もいちおう通訳学校の生徒でしたから、そこらへんの言語や翻訳可能性の問題には(ただし、どちらかといえば言語学というよりは、哲学的な観点から)前から興味があり、井筒俊彦や丸山圭三郎などを一時はしきりに読んだものです。今はどちらかといえば英米系・分析系の言語哲学のほうに興味が移ってしまいましたが・・・。

    ただ、まあ、最近の僕の立場としては、どちらかといえば各言語を断絶した一枚岩の静的な「構造」として見るよりは(リンク先で仰っておられる「存在論の断絶」ってそういうことでしょうか?勘違いであればごめんなさい)、もっと流動的で互いに影響しあう、重層的で動的なものとしてとらえたいな、というのがありますが、それは浅い素人考えかもしれませんね。余談でした。

    ううむ、僕の書いた3つの疑問点(1.”簡略化”のために独自の用語を導入することで、逆にコミュニケーションのコストが全体としてあがってしまったのではないか?2.「インターネットが安全だという前提で」というのは”誤訳”ではないか?3.「あなたが期待する正しい残高」というのはちょっと訳としてカタすぎやしないか?)に明示的に答えていただけなかったのは、質問者の僕としてはいささか残念ではあるのですが、また、世の中には”超訳”や”自由訳”が必要な場合と、あまり必要ではない場合があるようにも思わないでもないのですが、しかしもちろん、Iwatani様が書かれておられるとおり、”超訳”や”自由訳”は時にはとても有効な翻訳手法だと私も考えております(たとえばIwatani様のご専門?のロックの歌詞の訳出などは”自由訳”が大活躍する領域だと思います)。

    何にせよ、Iwatani様の記事に対して書き込み、こうやって質疑応答させていただいたことは、確かに私にとってとてもよい「思考のきっかけ」になりました。どうも、ありがとうございました。もしよろしければ、何かまた返信をいただけたら(特に未回答の疑問点について)とても嬉しいです。

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    >特に未回答の疑問点について
    むむむ…、では:

    1. 一般的に簡略化は、定着すればそれを最初に使った人の勝ち、定着しなければ最初に使った人も世間に負けていずれ使わなくなる、というものです。ただし簡略化の多くは、忙しいときについつい使ってしまうものですから、今後も性懲りなく使ってしまう可能性はあります。

    2. 超訳〜自由訳は、一般的に誤訳のかたまりです。文法的に正しい訳よりも、日本語としてより効果的と思われる文を、本能的瞬間的に書いてしまうのです。こういう状況を理解できない人から、批判されるのはしょうがないですね。ただし、純粋に技術的学術的な文脈では、そんな曲芸はしません。

    3. 「あなたが期待する正しい残高」が、とくにカタすぎるとは、私は感じません。通訳のようなoralな日本語においても、「みなさんが期待しておられる、正しい残高が…」ぐらい、ふつうに言うでしょう。

  • Tomo

    1.ニュース記事の翻訳というのには、ある種の社会的(あるいは、”言語ゲーム的”)責任が伴うと私は考えます。ですから、「忙しいから」という理由で簡略化してしまうようでは、それはまずい(それならば誰か他の忙しくなくて、かつ、もっと責任感のある人に翻訳を任せればよいわけですから)。だいたい、翻訳は読者のためにするものであって(特にニュース記事というのは読者が読んでわかりやすいことが第一なのであって)、翻訳者が「忙しい」からと自らの都合(e.g.時間削減)のために勝手な訳文の「簡略化」を行うことで、結果”コミュニケーションのコスト”(これが先ほどの質問の一番のキーワードなのですが)を増大させてしまってはならないのではないでしょうか。”コミュニケーションのコスト”を増大させる要因というのは、極端なものでは母国語の違い、日常的なものでは例えば、コンテキスト(背景・文脈等)の共有不足。相手が知らないことを知っていると思い込んで、前置きなしに語ることなどがそれに当たるでしょう。これらはすべてコミュニケーションのコストを増大させて、円滑な意志疎通を妨害します(そしてここでこうやって私が“コミュニケーションのコスト”という用語を解説することによって、“コミュニケーションのコスト”という用語を知らない人がこの文章を読んだときのコミュニケーションのコストを削減することができるわけです:P)。

    もちろん、運良く翻訳者と読者の利害が一致する場合もあります。たとえば「グレートブリテン及び北部アイルランド連合王国」といちいち書くのがわずらわしいから「イギリス」と略記(=「簡略化」)するのは、翻訳者の手間を削減するだけでなく、読者にとっても読みやすいわけです(コミュニケーションのコストが削減される)。ですから、このような略記は、有意義だと言えるでしょう。でも、それはあくまで幸運の一致に過ぎません。

    さて一方で、たとえば「トロイの木馬」を「トロイの馬」と書くことによって、たしかに翻訳者の手間を(1字とはいえ)省略することができるかもしれません。しかしながら、これは確実にコミュニケーションのコストを増大させます(一瞬、読者は「ん?」と思ってしまう)。「そんなのすぐに察しがつくでしょう!くだらない揚げ足取りを!」と苛立たれるかもしれませんが、実はいま私が本質的に問題にしたいのはそこではなく、一般に定着していない略語を公の場で使うということが、「他者(読者)の視点を想定していない(きつい言い方をすれば「軽視している」)」ことの証左であるという点にあります。たしかに「トロイの木馬」を「トロイの馬」とかあるいは「トロイ馬」などと書いたところで、じっさい、読解にはそれほど支障はでないでしょう。ですが、「これくらい読者のほうで察しをつけろ!」という、翻訳者の(尊大な)態度が翻訳の行間に滲み出るような訳出は、控えめに言って、あまりリーダーフレンドリーとは言えません。

    言語実践、言語ゲームに参加することには、繰り返しになりますが、責任と想像力を伴います。あなたの文章や発言を理解しようとしてくれる他者の存在なしには、言語ゲームは成り立ちません(そして、更に言えば私的言語すらも成り立たなくなるのですが、ここらへんになると言語学というよりは哲学的議論になるのでやめましょう)。ですから、文章というものは常に他者(読者)の視点を想像して(他の人が読んだときに、これはわかってもらえるだろうか?)、思いやって書かれるべきなのです。「俺にはわかるからこれでいいんだ、俺にわかることがなんでお前らにわからんのだ、バカモノめ」というのでは、よくない。

    特にプロの看板を標榜されるのであれば尚更です。自分の言語ゲームの中に他者(読者)を強引に引き込もうとするのではなく、他者の築き上げた言語ゲームの中に自分の側から歩み寄ってゆくような「想像力」や「謙虚さ」がIwatani様の訳文の中に見受けられないことが、おそらく私を含む、このコメント欄の批判者たちを苛立たせている本当の原因なのではないでしょうか。いえ、別にIwatani様がプロの翻訳者でなければorネット上で不特定多数に向けて発信するニュース記事の翻訳者でなければ(たとえば、個人的にチラシの裏に翻訳をされて楽しむだけの趣味人であれば)、「翻訳のコスト」などどうでも良いし、自分の造語をいくら使おうが「トロイの木馬」のことを「トロ太郞」と名付けようが、それはなんでも構わないのです。ですが、繰り返すように、言語ゲーム/言語実践というのはきわめて公的なものです。それに参加する者、しかも趣味のブロガーなどではなく、プロの翻訳者の肩書きをたずさえて参加している者が、言語ゲームを私物化(ひとりじめ)してしまおうとするのは、はっきり申し上げて、横暴の極みであると私は考えます。問題は、言語ゲームが「他者」の存在あってこそのものなのにも関わらず、Iwatani様に「他者」という観点が全くもって欠落していることにあります。

    2.私が言いたいのは、逐語訳が至高で、意訳がいけないということではありません。むしろ全く逆です。とはいえ、意訳と誤訳は(少なくとも私がこの人生20年間で培ってきた認識の中では)まったく別モノで、堂々と「誤訳のかたまりです」などと開きなおられてしまうと、ちょっとこちらとしても驚いてしまいます。もしやIwatani様は、それらふたつの違いをあまり区別しておられないのでは、と。

    ええと、釈迦に説法かもしれませんが失礼を顧みず私の意見を言わせていただきますと、意訳というのは基本的には「(原著者と読者への)思いやり」です。原著者の言わんとすることを読者へとよりよく伝えるためには、ただの逐語訳では無理が出てくるからこそ、意訳をするわけです。しかしそれに対して、誤訳というのは全く逆のベクトルをもっています。誤訳は意図的であれなかれ「思い違い」です(もし万が一それが意図的に為されたものであるならば、それはもはや「思い違い」を超えた「思い上がり」でしょう)。翻訳者に元々の著者の書いた内容をねじ曲げる権利がおありとお考えですか。あるいは、明らかな”誤訳”を”自由訳”と強弁されるのでしょうか。百歩譲って「本能的瞬間的に書いてしまう」としても、それを書き終わった後にきちんと見直して、あまりに「出過ぎた」表現は押さえるのが、プロとしての本道ではないでしょうか。もちろん自由訳によって詩や歌詞などに独特の”味わい”が付加されることは必ずしも悪いとは言いませんが、ニュース記事に元々なかった”情報”を付け加えるのはどうかなと、やはり思ってしまいます。他人が書いた文章の”情報”部分に手を入れるのは、テーブルマナーとしては非常にまずいです(もちろん議論の理解に必要であろう情報は、訳者註などとして別途、補う必要がありますが、別途補うのと、本文にあたかも元々あったかのように書き加えるのとではぜんぜん話が違います)。それは、「日本語としてより効果的」うんぬんというのとは、はっきり言って別の次元の議論でしょう(「スパゲティーは啜ったほうがより美味しく感じられるんだ!これが効果的な食べ方なんだ!」といくらあなたが主張しても、他の人がそのせいで美味しくご飯を食べられなくなってしまうとしたら、それはとても残念ですよね)。ですから、「文法的に正しい訳よりも、・・・書いてしまうのです」ということですが、別に僕は文法的にどうのこうの言っているわけではないのです。問題は、文法つまりsyntax(統語論)のレベルにあるのではなく、むしろsemantics(意味論)のレベルにあります。翻訳によって語の順序などが変わるのは当然やむを得ません(日本語と英語では言語構造が違いますから)。しかし、意味までを大幅に改竄してしまうのはよくない(むろん、どこまでが正しい意味を担う翻訳で、どこからが改竄か、というのは難しい哲学的問題ではありますが、しかし日常的なレベルでそれらの間に線引きをすることは可能だと思います)。何よりこれは、一生懸命原文を書いた原著者や、有益な情報を求めて真剣に記事を読んでいる読者に対する、誠意や敬意の問題、信義の問題なのです。つまり、結局のところ、ここでも問題は一貫して「他者」なのですね。

    3.について。訳文がカタすぎるかどうかというのは主観の問題も入るのであまり騒ぎ立てても仕方がないでしょうから、最後にひとことだけ。読者が戻って読み返せる翻訳ならまだしも、oralの通訳で「みなさんが期待しておられる、正しい残高が・・・」などと訳出したら、これは大抵の人が理解できないまま終わってしまうと思いますよ(まあIwatani様は通訳者ではないので、この批判はいささか的外れですが、ごめんなさい)。しかし、何にせよ「あなたが期待する正しい残高」というのは、明らかに日本語のコロケーションにはない表現です。主観ですが「日本語として効果的」であるようにも見受けられません。

    そもそも文中の”you”を主語「あなた」として明示的に訳す必要があるとも思えませんし(これはあくまで一般論としての”you”ではないでしょうか)、残高が「正しい」というのも、なんだかぱっと見たときに理解しづらいように感じます。この場合、”It looks like you have all of your money, but you actually have $50 left in your entire account.”と書いてあるのだから、「正しいor誤り」ではなく、「量の変化(all→$50)」がポイントになっていることは明白でしょう。そしてまた「期待通りor期待外れ」がポイントなのでもなくて「looks=観測(偽残高)とactually=現実(実際の残高)の不一致」が論じられていることも明らかなはずです。”期待”というのは、観測(偽残高)と現実(実際の残高)がずれ得るということを認識した後に起こるものであって(e.g.「どうかお金が盗まれていませんように!」)、それ以前にはそもそも偽メッセージに表示された残高の数値を疑ったりすることもないでしょうから、何かを”期待”する必要もないはずなのです。

    恐縮ですが、私の試訳を少し改変して再掲させていただきます:

    「最も恐ろしいのは、このトロイの木馬が(被害者の)銀行口座を空っぽにした後で、あたかもその口座の残高に何も変化がないかのように見せかけるための、偽のメッセージを表示する点です。(そのおかげで)一見すると残高は元のまま変わっていないように見えるのですが、実際のところ、(その時点で)もうその口座には50ドルしか残されていないのです。」

    私の改訳も完璧ではありませんしかなりの「意訳」を含んでおりますが、少なくとも「日本語としてより効果的」であるのではないかと、自分では思っています。

    かなりの長文になり申し訳ございませんでした(「お前も読者の立場を想像していないじゃないか!」と怒られそうですが、しかしまあ確信犯なのでお許しを)。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。反論などあれば、私の「思考のきっかけ」にもなります故、どうぞ遠慮なく、よろしくお願い致します。

  • http://twitter.com/sagawamitsuru 佐川充

    書くのも読むのも楽だからという理由で、わざわざ一般的ではない用語を使う人はあまり見ませんね。「原語どおり」に訳す方が正しい、と思っておられるなら、それも大きな問題かと。

    テクノロジー系のニュースサイトは他にもたくさん購読していますが、このサイトだけ、なぜか自動翻訳のような日本語が並んでいるのは変だなあと、うすうす感じていたのですが、そういう理由があったとは…。大変残念です。

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    Tomoさんの意見や考え方、感性等は分かったけど、私は私の考え方や感性において、この商用ブログ(とてもパーソナルでカジュアルでフレンドリな文が多い)と読者との良好な関係のために、「トロイの馬」もそのほか訳文の件も、問題ない、むしろプラスに寄与すると最初から信じているわけです。日本語と、くだけたフレンドリな表現についても、私は長年とても悩んでいます。この件についても、さっきご紹介したリンク先に私のエッセイがあります。たとえば、…to be safeは、そのままふつうの、正しい訳としての日本語の文になると、それは私の感性としてはあまりにフラットで無味乾燥な文なので、本能的に避けるわけです。

    とにかくこの問題は、あなたと私の、抱いている「問題意識」の抜本的な違いとして、終わりにさせていただきたいと思います。ひきつづき私の考えは、個人的ブログ等で発表していくでしょう。

    では、とりあえず、この場はさようなら!
    言葉の問題より、ヒトとヒトのコミュニケーションの未来を、真剣に考えてくださるとありがたいですね。

  • Pop

    日本語も不得意でいらっしゃるようですね。

  • Tomo

    最後にもうちょっとだけ書きます。しつこいやつやなぁと思うかもしれませんが、まあ読むだけ読んどいてください。返信いらないですから、ね?

    >たとえば、…to be safeは、そのままふつうの、正しい訳としての日本語の文になると、それは私の感性としてはあまりにフラットで無味乾燥な文なので、本能的に避けるわけです。

    うん、だから、翻訳者としてのあなたの”感性”なんていうのは(率直に言うと)二の次でいいんですよ。いや、正確にいえば、あなたの感性そのものはとても大事なんだけど、あくまで自分が翻訳者として人の文章を訳出させていただいているという「裏方」というか「黒子」の気分は忘れてはいけないと思うんです。黒子が芝居を初めてしまった、それを「彼はフレンドリーな黒子だ」と褒めてくれるような奇特なヒトが世の中に果たして何人ほどいるのか私にはよくわかりませんが、私からすれば「本分をわきまえていない」と言いたくなっちゃいます(ごめんなさいね)。やはり、翻訳者としては、まずとにかく第一には原文を書いた人の伝えたかった内容を可能な限りそのまま伝えることが大事なんじゃないでしょうか(まあこの段階で既にIwatani様と私とでは意見がすれ違っているようなので、いかんともし難いのですが)。原著者の書いたことを尊重する気持ちを持たないであっさり改竄してしまうというのは「フレンドリー」云々以前に、プロの翻訳者のマナーとして(たとえこのブログのカラーがいくらカジュアルなものであるにせよ)ちとまずいんちゃうか、ということでして。まあ、さっきも同じようなこと、書いたのですが、いかんせん長い文章だったので、読み落とされたのかもしれません。もしそうだとすれば、それについては私の側の非ですので、謝ります。

    >言葉の問題より、ヒトとヒトのコミュニケーションの未来を、真剣に考えてくださるとありがたいですね。

    おりょ。ふむそう言われると、ちと心外ですね。「言葉の問題」は明らかに「ヒトとヒトのコミュニケーション」の問題に包含されるものであると私は信じますが、そして私はまさにさきほどから一貫して「ヒトとヒトとのコミュニケーション」の問題を、特に言語行為という観点から(うーん、私なりに「真剣に」)論じていたつもりだったのですが、ま、でも、いいでしょう。「抜本的」、じゃないや:Pえーと、「根本的」な問題意識の違いとして、とりあえずは諦めさせていただきます。

    ともあれ、あれだけの長い文を、読んでいただき、そして何にせよ返信をくださり、ありがとうございました。完璧に無視し続けることだってできたでしょうに、少なくとも今まで辛抱して付き合って下さったことについては、本当に感謝しております。いや、ここだけは皮肉とかそういうのではなく、ほんとに:) では、また会う日まで!その時までにお互いの距離がもう少し縮まって「フレンドリー」になっていると、いいのですけれど!:P

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    いや、もう、あれは、原語どおり「トロイの馬」でいいじゃん、と思ってしまいます。書くのも読むのも楽だし。

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    いや、もう、あれは、原語どおり「トロイの馬」でいいじゃん、と思ってしまいます。書くのも読むのも楽だし。

  • http://twitter.com/hiwabird Hiroshi Iwatani

    > プロの翻訳者のマナーとして
    ふつうの、意味的に正しい日本文では、原文の生気が抜け落ちてしまうケースがとても多いから、長年、まさにプロの翻訳者として、一瞬々々苦労しているわけです。英語と日本語の違いは、とても深いです。だから、翻訳という作業も、そんなに簡単なものではない。黒子が芝居を、なんて、とんでもない誤解です。(ひどい言い方だなぁ。)

    Photoshopで、絵画写真等に対しアンシャープマスクや透過光変換を使うことに似てる、と言うと分かるかな? いや、かえってまた誤解されるかもしれないな。基本的な問題意識を、あなたと私は共有していないのだから。

    どんな分野でも、プロって、あなたが期待するようなそんな単純な世界には生きていない。それなりに、すごく工夫と苦労を積み重ねているものです。

  • Tomo

    S.I.様、コメントありがとうございます。

    一応誤解のないように補足させていただきますと(恐らくS.I.様は誤解されていないと思うのですが)、もちろん翻訳の”生気”よりも”正確さ”のほうが絶対に大事だと言っているわけではありませんよ(^-^)S.I.様が上に書かれたようなクライアントの要望や、あるいは自分がどういった種類の翻訳をやっているのかということによっても、求められる文章のあり方は大きく変わってくるのでしょうね。

    ただ、何はともあれ、上に何度か書きましたように、原文やその著者、そして読者に対する「愛」とか「思いやり」の感じられる翻訳は読んでいるとこちらまでなんだか暖かい気持ちになりますよね。

    ところで、個人的に最近すごく感動した翻訳書は、柴田元幸さんが昔に訳された『デカルトからベイトソンへ―世界の再魔術化』という本です。原文と照らし合わせてはいないのですが、とても丁寧でわかりやすい翻訳で、非常に良かったです。特にああいう思想系の本は、元の文が難渋なせいもあるのかもしれませんが、どうも一般的に申し上げまして、わかりづらい翻訳が多いものですから^^;

    お忙しい中、コメントありがとうございました。また別のプロの肉声が聞けて、私としては、とても興味深かったです。

  • Tomo

    ちょっと面白い、翻訳についての的をついたコメントを2つ見つけたので、『翻訳夜話』、文藝新書、村上春樹・柴田元幸より引用。権威に訴えるわけじゃないんですが(いや、訴えてますね^^;)。

    村上:

    文体ということで言うと、これはすごく漠然とした表現になるんですけど、いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というやつで、翻訳をする場合、とにかく自分というものを捨てて訳すわけですよ。ところが、自分というのはどうしたって捨てられないんです。だから徹底的に捨てようと覆って、それでなおかつ残っているくらいが、文体としてはちょうどいい感じになるんだね・・・・・・。

    翻訳で自己表現しようというふうに思ってやっている人がいれば、それは僕は間違いだと思う。結果的に自己表現になるかもしれないけれど、翻訳というのは自己表現じゃないですよ。自己表現をやりたいなら小説を書けばいいと思う・・・・・・。

    僕は小説家で、日本語で小説を書くことを本職にしていますが、日本語の小説を書くように翻訳するなんてことはできっこないです。とにかくそういう考えは全部捨てて・・・・・・原作者の心の動きを、息をひそめてただじっと追うしかないです。もっと極端に言えば、翻訳とはエゴみたいなのを捨てることだと、僕は思うんです。うまくエゴが捨てられると、忠実でありながら、しかも官僚的にはならない自然な翻訳が結果的にできるはずだと思います。

    (・・・また別の箇所では、柴田がこのように言っている)。

    柴田:

    要するに、愛をテキストだけに向ければいいというものでもなくて、やっぱり読み手の立場に立って訳さないと結局、一人よがりの訳文になってしまうかもしれないということで。だから、要するに、前は翻訳は愛だと言って、このテキストをどう忠実に再現するかみたいなことをいつも考えていて、まあいまもやっていることは実はそう変わらないんですけど(笑)、気持ちの持ちようの問題なんですけど、だんだんやっているうちに、何かテキストに誠意を向けているだけでは駄目で、それを日本語に訳したときに、それが読者にどう見えるかっていうようなこともいつも考えるようになった。だから、翻訳者が真ん中にいて、テキストは右にいて、左に読者がいて、それで要するに、左右両方の女性に愛を振りまいているような(笑)、そういう不純なことをいつもやっているのが翻訳かなという気になってきた。だから、愛は愛なんですよ。愛が複雑化してきたんです(笑)。

  • Tomo

    ちょっと面白い、翻訳についての的をついたコメントを2つ見つけたので、『翻訳夜話』、文藝新書、村上春樹・柴田元幸より引用。権威に訴えるわけじゃないんですが(いや、訴えてますね^^;)。

    村上:

    文体ということで言うと、これはすごく漠然とした表現になるんですけど、いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というやつで、翻訳をする場合、とにかく自分というものを捨てて訳すわけですよ。ところが、自分というのはどうしたって捨てられないんです。だから徹底的に捨てようと覆って、それでなおかつ残っているくらいが、文体としてはちょうどいい感じになるんだね・・・・・・。

    翻訳で自己表現しようというふうに思ってやっている人がいれば、それは僕は間違いだと思う。結果的に自己表現になるかもしれないけれど、翻訳というのは自己表現じゃないですよ。自己表現をやりたいなら小説を書けばいいと思う・・・・・・。

    僕は小説家で、日本語で小説を書くことを本職にしていますが、日本語の小説を書くように翻訳するなんてことはできっこないです。とにかくそういう考えは全部捨てて・・・・・・原作者の心の動きを、息をひそめてただじっと追うしかないです。もっと極端に言えば、翻訳とはエゴみたいなのを捨てることだと、僕は思うんです。うまくエゴが捨てられると、忠実でありながら、しかも官僚的にはならない自然な翻訳が結果的にできるはずだと思います。

    (・・・また別の箇所では、柴田がこのように言っている)。

    柴田:

    要するに、愛をテキストだけに向ければいいというものでもなくて、やっぱり読み手の立場に立って訳さないと結局、一人よがりの訳文になってしまうかもしれないということで。だから、要するに、前は翻訳は愛だと言って、このテキストをどう忠実に再現するかみたいなことをいつも考えていて、まあいまもやっていることは実はそう変わらないんですけど(笑)、気持ちの持ちようの問題なんですけど、だんだんやっているうちに、何かテキストに誠意を向けているだけでは駄目で、それを日本語に訳したときに、それが読者にどう見えるかっていうようなこともいつも考えるようになった。だから、翻訳者が真ん中にいて、テキストは右にいて、左に読者がいて、それで要するに、左右両方の女性に愛を振りまいているような(笑)、そういう不純なことをいつもやっているのが翻訳かなという気になってきた。だから、愛は愛なんですよ。愛が複雑化してきたんです(笑)。

  • Tomo

    ちょっと面白い、翻訳についての的をついたコメントを2つ見つけたので、『翻訳夜話』、文藝新書、村上春樹・柴田元幸より引用。権威に訴えるわけじゃないんですが(いや、訴えてますね^^;)。

    村上:

    文体ということで言うと、これはすごく漠然とした表現になるんですけど、いわゆる「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」というやつで、翻訳をする場合、とにかく自分というものを捨てて訳すわけですよ。ところが、自分というのはどうしたって捨てられないんです。だから徹底的に捨てようと覆って、それでなおかつ残っているくらいが、文体としてはちょうどいい感じになるんだね・・・・・・。

    翻訳で自己表現しようというふうに思ってやっている人がいれば、それは僕は間違いだと思う。結果的に自己表現になるかもしれないけれど、翻訳というのは自己表現じゃないですよ。自己表現をやりたいなら小説を書けばいいと思う・・・・・・。

    僕は小説家で、日本語で小説を書くことを本職にしていますが、日本語の小説を書くように翻訳するなんてことはできっこないです。とにかくそういう考えは全部捨てて・・・・・・原作者の心の動きを、息をひそめてただじっと追うしかないです。もっと極端に言えば、翻訳とはエゴみたいなのを捨てることだと、僕は思うんです。うまくエゴが捨てられると、忠実でありながら、しかも官僚的にはならない自然な翻訳が結果的にできるはずだと思います。

    (・・・また別の箇所では、柴田がこのように言っている)。

    柴田:

    要するに、愛をテキストだけに向ければいいというものでもなくて、やっぱり読み手の立場に立って訳さないと結局、一人よがりの訳文になってしまうかもしれないということで。だから、要するに、前は翻訳は愛だと言って、このテキストをどう忠実に再現するかみたいなことをいつも考えていて、まあいまもやっていることは実はそう変わらないんですけど(笑)、気持ちの持ちようの問題なんですけど、だんだんやっているうちに、何かテキストに誠意を向けているだけでは駄目で、それを日本語に訳したときに、それが読者にどう見えるかっていうようなこともいつも考えるようになった。だから、翻訳者が真ん中にいて、テキストは右にいて、左に読者がいて、それで要するに、左右両方の女性に愛を振りまいているような(笑)、そういう不純なことをいつもやっているのが翻訳かなという気になってきた。だから、愛は愛なんですよ。愛が複雑化してきたんです(笑)。

  • Admit defeat, you sore loser.

    えらそうだな、間違えておきながら。

  • Tomo

    「さようなら」と言いつつも、まだ返信をしてくださっている。ありがとうございます。感謝です。

    で、上の方(佐川充さん)の書かれたことを勝手に持ってきて援軍に使ってしまっていいのかわかりませんが、まあはっきり仰った方がでてきたので、かなり言いにくかったのですが、私も便乗して言ってしまいますね。

    >なぜか自動翻訳のような日本語が並んでいるのは変だなあと、うすうす感じていたのですが、

    ええと、このようなコメントが読者から出る時点で、少なくともこの記事については(このサイトの他の記事やIwatani様の他の訳書を読んだことがないのでそれらについてはなんとも言えません)、「日本語としてより効果的」とか「原文の生気」って言うお題目が、少なくとも「あなたが期待するような」形ではうまく機能していないようだということが、うすうす見えてきませんか。

    もちろん、Iwatani様を含めたプロが「すごく工夫と苦労を積み重ねている」ことは、「単純な世界に生き」る私にすらそれとなくわかりますが、だからといってその積み重ねとやらが必ずしもより良い仕事(翻訳のプロであれば「より良い翻訳」)に繋がるとは限らないでしょう。たとえば、自分では「フレンドリ」であろうと工夫され苦労されているつもりでも、その思いが相手に伝わるとは限りませんよね(哀しいかな、実際の人間関係でもありがちですが、「フレンドリ」であろうとしすぎたせいで逆に悪い場合「馴れ馴れしい」とか「押しつけがましい」という風に取られてしまうこともあるではないですか)。そういう場合は、「あっ、これはやりすぎた」と謙虚に自分の態度を変えるのもまた「工夫」や「苦労」のひとつだと私は思うのですが、しかし、Iwatani様に言わせれば、こういうのもやはりアマチュアの「単純な」考えということになるのでしょうか。

    ただ、ひとつ厳然たる事実を申し上げておきますと、あなたの文章を読む人々は大半がいわゆる「アマチュア」です。ですから(百歩譲って、私たち「アマチュア」が仮にあなたが仰るような「単純な世界」に生きているとしても)、あまりそうやって「アマチュア」を見下していると、たぶんいつか痛い目にあうのではないかと思うのですが。「つまり大衆に迎合せよということか!」とか言われそうですが、そういうことではないですよ。「迎合」と「思いやり」は別です。

    それであと、最後の一文に返答させていただければ、「アマチュアもまた、あなたが期待するほど単純な世界には生きていない。それなりに、きちんと状況の複雑さを把握していたりするものです」。ううむ、どうやら、プロのあなたとアマチュアの私、お互いがお互いに対する変な期待(幻想)を持っているようですね(^^;)。しかし、プロがアマチュアの批判から(それがアマチュアの批判だからという理由ただそれだけのことで)目を閉じ耳を塞ぎ「ええいうるさい、アマチュアは単純だから、プロの私の長年の苦労と工夫の複雑さなど、理解などできないのだ!」というふうにプロの威光をもって黙らせて(片付けて)しまうのは、なんというか、とてももったいないなと思います。

    ところで、”pro-fession”という英単語は、Iwatani様は既にご存じかと思われますが、もともと「人々の前で、公的に(pro-)」、「自分の考えを語る(-fession)」という意味に由来するそうです。ですから、プロフェッショナルであるというのは(少なくとも伝統的には)、そういう公の場での発言権を正式に与えられた人々のことだったわけです。ありがたいことに(あるいは憂うべきことに)、現代ではネットで私のようなアマチュアも好き勝手発言できるようになりました(私は現在進行形でそれをやっているのであります:P)が、元来「professionalである」ということは、そういった自分の言葉のもつ重み・責任を自覚して発言してゆく力があるということを意味していたのだと、私は理解しておりますし、現代においてもその基本的な意味は変わっていないと考えます。

    ところで一方、”profession-al”の対概念としてのアマチュア、”amateur”というのは、むろんラテン語の動詞”amare”(=「愛するということ」)から由来している単語であります。私は翻訳のamateurですから、professionalのあなたに比べてたしかに技能や知識の点ではずいぶん劣るかもしれませんが、しかし、それでも言葉や翻訳に対する「愛情」はへたなprofessionalに負けないのではないかと自負しております。まあそこらへんが、あなたの嫌う、アマチュアの「単純」さなのかもしれませんが・・・。プロの翻訳者、柴田元幸や村上春樹も「翻訳は愛だ」と仰っておられます(『翻訳夜話』p.112)。とはいえ、翻訳の現場においては、あくまで自分の訳するテクスト(を書いた原著者と、それを読む読者)に対して愛を注ぐべきであって、盲目的な自己愛(自己満足)に浸ってしまってはならないのではないかとも、思っております。

  • S.I.

    Tomoさん、私は都内の翻訳会社に勤める「プロの翻訳者」です。 IT等をメインに翻訳しており、クライアントも広告大手Dさんや、コンピューターではMSとかリンゴ等の名の通っているところが多いです。
    翻訳の基本は正確さだと私も思いますが、クライアントが「意味は大体でいいから生気を大事に」といえば、その注文に従って自らのスタイルを変えるのもプロです。
    原文と比較させていただくと、確かにこの方の訳は下手なようですね。Tomoさんやその他の方の意見が正しいと私は思います。 ただ、ずっとiwataniさんのコメントを読んでいると「下手でも何でもいいから海外のニュースを伝えることが大事」ということを言いたいのではないでしょうか?

    私の職場では「下手でもいいから」というオーダーは無いですが、TechCrunchさんはそういう方針でやっておられるということですよ。 翻訳者については、実力も無いのにプライドばっかり一人前のようですから、おのずと淘汰されるでしょう。

  • Tomo

    L9の「初めてしまった」→「始めてしまった」ですね。些末なことですが、気になりましたので。

  • http://twitter.com/uztokion toki yuji

    そんなことよりこのウィルスの説明がないのが気になる。
    銀行の端末での出来事なのか、個人PCでネットバンクにつないだ時なのか、
    説明が曖昧過ぎて、『インターネット、ウィルス、スゲーよこえーよ!』って騒いで
    不安感を煽ってるだけとしか…。気をつけるべきは、誰なんでしょうか?
    銀行?利用者?

  • Tomo

    私はこのDISQUSというシステムを始めて使うの(でいまいち理解できていないの)だが、profileを眺めたところ、S.I.さんとAaさんが同一人物?また同じアカウントが複数言語(日本語、英語、スペイン語、スウェーデン語、アラビア語、ロシア語?)で使われている。むむ、不可解。多言語話者なのか、それとも共有アカウント(捨てアカ)か何か?S.I.様、Aa様疑ってすみません、ネット上の顔の見えない関係なので、いろいろ懐疑的になってしまうことについては、お許しを。

  • S.l.

    Tomoさん、
    S.I.です。 まず初めに、私はAaではありません。 単にメールアドレスにa@a.comと、適当に入力しているだけで、Aaさんおよびスペインやスウェーデンの皆様も同様にされているのだと思います。 最初はちゃんと入力していたのですが、コメントが気に入らなかったようで反映されなくなりました。 このコメントも反映されるのか怪しいものですが、ご連絡までに。

  • Tomo

    S.I.様、

    そうでしたか、それは疑って申し訳ございませんでした!DISQUSというのを初めて使ったので・・・。1.一人二役 2.翻訳者と仰ってたので他の言語もできる多言語話者 のふたつの可能性を考えてしまいました(^^;)これ、emailアドレスによって個人識別がされるのですね。

    コメントが反映されなくなったのですか。ふむむ・・・。しかし、少なくともこのコメントに関しては反映されているようですね。良かったです。

  • http://jp.techcrunch.com/archives/best10-20100815/ 先週の人気記事ランキング(8/9〜8/15)

    [...] 3. 新型の巧妙なトロイの馬が世界中の銀行口座を空にしている-しかも検出不…(2010年8月12日) 4. iPhone [...]

  • Tomo

    またまた訂正。L24の「言語行為」→「言語実践」。「言語行為」ですと、J.L.オースティンの「言語行為論(Speech Act Theory)」を想起させてしまう恐れがあるので。これは、筆が滑りました。

  • S。I。

    Tomoさん、
    S.I.です。 まずは何より、Iwatani様、コメ欄で勝手に会話をしていますが、ご容赦を。
    さて、コメントの投稿に関してですが、これまでもtoki yujiさんへのレスとして、別ソースからウイルスに関する情報を書いたのですが、これは反映されませんでした。
    また、「トロイの馬」という表現に関する指摘も反映されませんでした。私もDisqusのシステムに詳しくないので、最初からブラックリスト入りしているのか、管理者の審査後の反映なのかは分からないですが、今回の投稿もアドレスを変更して行っています。
    最後に、削除覚悟でもう一度書かせてもらうと、「トロイの馬」やその他が誤訳かどうかは、読者が判断することであり、「省略形」という言い分も、鵜呑みにするかは読者の判断であるということです。 読者の一人である私から言わせると、意地にならずに「間違っていました、すみません」と一言書けば潔いのに、ずいぶん見苦しいなという思いです。

    ああ、だから毎回削除されるのか。

  • Tomo

    S.I.様、

    たしかにS.I.様のtoki yuji様へのコメントが表に反映されてませんね・・・(ただし、以前のS.I.様のアカウントのプロフィールの、コメント履歴から確認は可能ですが)。また、「偽Iwatani」様の発言2つも反映されていません(こちらの発言も「偽Iwatani」様のプロフィールから確認可能です)。

    しかし僕も今回、結構暴言を吐きまくっていると思うのですが(管理者様、Iwatani様、読者様ごめんなさい)、今のところありがたいことにブロックされている様子はないので、たぶんS.I.様や「偽Iwatani」様のコメントが反映されないのは単純にシステムの不具合か何かであって、意図的な審査による削除とかではないのでは、と想像します。

    ところでひとつ、この場をお借りして、この記事についてのTwitterでの何人か方の書き込みについて返答させていただきたいのですが、ええと、私が批判しているのは決して「誤訳」そのものや、省略形「トロイの馬」の不適切さそのものではないですよ。それだけだったらたんなるつまらぬ揚げ足取りですし、そもそも私は揚げ足取りのためにこれだけ長大なコメントを書いたりはしません。誰だってミスはします。ですから、ひとつひとつのミスそれ自体は、問題ではないのです。そうではなくて、ミスを認めない、それどころかそれを意図的に行った「自由訳」なのだとして正当化しようとする姿勢の悪さ、もっと言えばそうした姿勢の悪さの奧に潜む、テクストや原著者・読者に対する「愛のなさ」を、私は批判しているのです。本質的な問題はそこにあり、そこにしかありません。これを、ただの言葉遣い云々の揚げ足取りレベルの話と誤解されるのは、いささか残念です(+そういう意味においても、「言葉の問題より、ヒトとヒトのコミュニケーションの未来を、真剣に考えてくださるとありがたいですね。」というIwatani様のコメント(捨て台詞?)はきわめて見当外れだったと言えます。なぜならば、私の議論の主眼は「言葉」そのものにではなく、「翻訳」という、著者-翻訳者-読者3者間での”コミュニケーション”がどうあるべきか、ということにあったからです。そう、「翻訳」という作業は、紛れもない”コミュニケーション”なのです。そして恐らく、そこに訳者であるIwatani様が気づいていない点が-とはいえ、ご本人は気づいていると仰るでしょうが-今回の議論を引き起こしているのです)。

    あと「コメント欄のほとんどが翻訳者同士のぷち翻訳論」という書き込みもありましたが、iwatani様は別として、少なくとも私のほうは翻訳者などではありませんし、言語や英語、翻訳理論を専門にしているわけですらありません。ただのしがない理系大学生です(^^;)ゝただし、若い時分に通訳学校大手『インタースクール』に5年間ほど通っていましたので、言語や通訳・翻訳などに非常に興味はあるのですが、それでもあくまで自分では翻訳や通訳という作業を経験したことのない「アマチュア」です(もし私の論が説得力に欠けるとしたら、それは実際の翻訳・通訳経験が全くないせいでしょう)。