インターネットのオープン性や中立性をワイヤレスに対し免除する理由はない–誰もが守れるルールだ
by Erick Schonfeld on 2010年8月17日

先週、GoogleとVerizonが、”オープンなインターネット”を守りネットの中立性を維持するという問題に関する、共同提案を発表し、それがネット上メディア上で激論の嵐を招(よ)んだ。両社はともに、オープンなインターネットを愛すると表明した(GoogleのCEO Eric Schmidtは”Googleにとってオープンなインターネットはきわめて重要”と述べた)が、しかしその’インターネット’には、ワイヤレスのインターネットが含まれていなかった。彼らのオープンと中立性は、あくまでも有線のインターネットに関するものだった。

多くの人が、Googleの偽善を非難した。オープンかそうでないか、二つに一つだ。半分オープンなんてありえない(半分妊娠していることがありえないように)。

VerizonやAT&Tのような通信企業は、ワイヤレスのインターネットを有線のインターネットに対して特別扱いしたがる。しかし、両者に違いはない。インターネットは一つだ。アクセスするネットワークやデバイスが、いろいろ異なるだけだ。どうやってアクセスしたかは問題じゃない。インターネットそのものを支配するルールは、一つであるべきだ。

GoogleとVerizonは、”ワイヤレスのブロードバンドは従来の有線の世界とは違う”、変化が非常に激しいから規制はむしろその動きを停滞させる、と主張する。AT&Tもこの別扱い説に同調して、”ワイヤレスは違う”という記事を発表した。AT&Tは、”ネットの中立性という義務”をワイヤレスブロードバンドに課すことは非現実的だ、ワイヤレスネットワークの能力は有線のそれに比べて桁違いに小さいから、と言っている。さらにAT&Tは、したがって”ワイヤレスのキャリアはトラフィックを動的に管理し”、そのネットワークを彼らにとってもっとも適切に運営すべきである、と主張している。これが、AT&Tの仰々しい泣き言だ。

ここで言っているトラフィックの管理とは、技術的な理由で行う正当な管理作業のことではない。また、規制云々と言っているのも見当外れだ。これはむしろ、インターネットを消費者に届けるための道路に関するルールを作ろう、という問題だ。その大原則は同じであるべき: すべてのビットをできるかぎり平等に扱うこと。

GoogleとVerizonの共同提案は、有線のインターネット(DSL、ケーブル、光ファイバなど)に関しては、ブロードバンドのプロバイダは”違法でない”コンテンツやアプリケーションをすべて差別なく平等に扱うべき、と初めて明言しているから、ある意味では先進的なのだ。有線のブロードバンドのプロバイダは、金を払ったWebサイトのトラフィックを他より速くするようなことを、してはならない、とも言っている。

ここまでは、きわめてまともな提案書だ。ワイヤレスのインターネットにも、同じことをを適用すればいいじゃないか。ビットの扱いにえこひいきがあってはならない、Webサイトのコンテンツやアプリケーションに対する”有料の優遇策”は違法とせよ。ワイヤレスのキャリアは、コンテンツやアプリケーションによる差別だけでなく、デバイスによる差別もあってはならない。GoogleとVerizonが、iPhoneなどそのほかのデバイスに対してAndroid機を優遇する…ダウンロードが速い…契約を結んだらどうなるか? あるいは、YouTubeのビデオだけはどのデバイスの上でも優遇、となったら?

Googleはかつて、ワイヤレスのインターネットもオープンであるべきと主張したのだから、差別に反対するのが当然ではないか? でも、今のGoogleは当時ほど理想主義的ではないし、徐々にご都合主義的になりつつある。しかし本当の問題は、Google、Verizon、AT&Tといった特定企業の考え方ではない。今度のような提案をAppleやMicrosoftやNews Corpがしたとしても、同じく間違いは間違いだ。企業間の契約があろうとなかろうと、なにしろワイヤレスの上で特定のコンテンツやアプリケーションだけが優遇されるのはごめんだ。

GoogleとVerizonは、ワイヤレスをネットの中立性というルールから外すという提案をしたために、こういう疑心暗鬼を招いてしまった。どこかを優遇することは、ほかを差別することだからね。

面倒な規制は誰しも嫌いだが、合衆国ではほとんどの都市で、選べるプロバイダは1〜2社しかないから、それは事実上独占に近い。ワイヤレスのキャリアに関しても、同様だ。だから、いくつかの指針というものは必要だろう。Fred Wilsonは、こんな提案をしている:

誰にも理解でき誰もが守れるような、シンプルな基本原則があればよい。

そして彼は、スタンフォード大学の法学部教授Barbara Van Schewickの説を引用する:

特定のアプリケーションに対する差別は禁ずるが、アプリケーションを特定しない差別は認める。

つまりキャリアは、SkypeやAppleのFacetimeをブロックすることはできないが、一定の規定値を超えて帯域を大食らいするようなアプリケーションは差別してよい(さらに、デバイスを特定する差別も禁じるべきだろう)。Schewickのようなルールなら、キャリアはワイヤレスネットワークの能力の制約を管理でき、しかもネットの中立性という原則は遵守できる。

ネットの中立性は、だれもが無制限に大量のムービーをBitTorrentから自分の携帯電話にダウンロードできる、という意味ではない。どのビットも平等に扱われる、ブロックされるときですら、という意味だ。

写真クレジット: Flickr/ Jon-Eric Melsæter

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))

  • FT

    Googleが「AndroidだけYoutubeを高速で」といってプロバイダに金渡せばほかの携帯OSより早くなるのか。
    Googleがそんな暴挙に走るとは思いたくないな、、Androidが早くなる分、他社OSの帯域は狭くなるってことだし。
    Androidもっと流行らせたいのはわかるけど、すこしGoogleは落ち着くべき。
    検索ビジネスが停滞してくるかもしれないからAndroidやChrome OSやソーシャル・ソーシャルゲームといろいろ布石を打っているんだろうし、Googleはそれらを信じて正々堂々頑張るべきだ。
    新たなる地平のために同社のオープン性・中立性を投げ出してはいけない。

  • おっさん

    まったくもっていい匂いのする真新しいパイなので、多くの企業が出来うる限りの取り分を確保しようとしているのはわかります。利益追求をするのは企業の基本ですから(企業ならずともそう)。

    問題なのは、その利益追求をする企業が「偉そうに」自由だのオープンだのと言っていること。本来なら企業から完全に切り離された組織などが自由をコントロールする(あるいはコントロールしない)のが正しいのではないでしょうか?(企業もそこのところは突っ込まれないようにあえて「自由を支持する」なんて言い方をしていますよね。自分たちは当事者ではなく、決められたことに”従っていますよ”というアピールなわけです)

    最近のGoogleは誰の目から見てもはっきり分かるほど露骨な行動をしています。自分たちに都合のいいルールを自分勝手に決めつけて、その上に自由とかオープンとかいう名のラベルを貼って「いいものをただで配ってるんだから、俺様が考える自由にお前ら従え!」などということをしています。

    本来ならこういう差別的企業に対してこそ非難が向けられるべきなのです。綺麗な言葉の裏で悪魔的行動をしている、「どうせ消費者は馬鹿だから自由とかオープンなんて言えばだまされる」とたかをくくっているような企業こそが非難されてしまるべきなのです。