
ジョージ・オーウェルの小説『1984』は、主役のウィンストン・スミスが「偉大な兄弟があなたを見守っている」と書かれたポスターを見ている場面から始まる。2010年、これが「FACEBOOKがあなたを見守っている」に置き換わるかもしれない。いや、「FACEBOOK友だちがあなたを見守っている」の方がいいかもしれない。Facebookでは、ユーザーの選択によって、現在位置を自分または友だちが投稿して、その情報を共有できるようになった。
Facebookは、この新しい位置情報機能を、今週行われた発表イベントで披露し、Placesスタート直後にユーザーたちがどこにいるかを、プロジェクターで写した巨大な米国地図に表示した。MG Sieglerはこれを、「Facebookの凄いダークナイト風ライブチェックインディスプレイ」と名付けた 。しかし、それはこれまで私が見た中で最も恐ろしいものの一つだった。
Facebookが表示したのは、下の名前だけだったが、データベースは姓をはじめとするさらに詳しいデータを知っている。私にはこれが、オーウェルの愛情省の内部そのものに見えた。あの政府組織の仕事は、反乱分子を見つけて監視することだった。
もちろん両者の間には重要な違いがたくさんある。Facebookは政府ではない。ユーザーの位置情報は、本人または友だちが自発的に提供するものであって、テレスクリーン(後述)の巨大ネットワークから取得するのではない。そして、その情報の秘密は守られている、、、と思う。友だちは、あなたをチェックインすることができる。その事実をあなたが知る前に。
きのうの記事でMGが、「Placesはたしかに非常にすばらしい ― 可能性を持っている」と言っているが、「友だちへのタグ付け(friend tagging)は多くの人たちを惑わせている(特に、少々複雑な3つの状態のために)。私も同意見だ。さらに彼は、いつFacebook位置情報への大反発が起きるかを気にしていた。MG、悪いけどもう始まっていると思う。
時間がたてば、どれほどのユーザーが、友だちが自分にタグ付けすることを許可するか、Placesをオフにするか、それとも殆どのユーザーが現在いるデフォルトの辺獄の地のままにするのがわかるだろうと予想している。もちろん中には当然のように混乱して、その意思と設定とが一致せず、不幸なユーザーになってしまう人もいるだろう。5億人を超えるFacebookユーザー全員がこれを理解するまでに、果たしてどれだけかかるのだろうか。
しかしここでは、タグ付けを許可することにオプトインしたユーザーに焦点を絞ることにする。位置情報サービスを使うのが、「ソーシャルネットワークと実世界の間の失われた環を提供するためなのか、周囲からの圧力のためなのか、いずれにしても彼らはプライバシーの最後の一片を手放してしまったことに気付いたり気にしたりすることがあるのだろうか。また、その喪失のきっかけを与えたのが自分なのか、それとも友だち、即ち信頼している人たちなのかも。
Michael Arringtonは、プライバシーはすでに全く完全に消滅している、と主張している。彼はこう書いた、
することすべて、買う物すべて、行くところすべてが追跡され、どこかのデータベースに格納されている。私たちの位置は携帯電話、あるいは車のGPSを通じて。クレジットカードの取引きも。何もかも。
もっともな指摘だ。すでに相当1984年っぽい。しかし、彼の挙げた出来事の中で、プライバシーの喪失はその殆どが副作用である。何かを買うことは自分の選択だが、クレジットカードのデータを渡すことは、耐えなければならない副作用だ。Placesを使う上で重要なのは、 自分の位置情報を自発的に手渡すことによって、一部のプライバシー(他人の存在あるいは他人から見られることから隔離された状態)が失われることである。
ある人がTwitterにこんなコメントを書いていた:「政府が全面的に『1984』になるとしたら、それはFacebook経由でだろう。われわれはみんな自発的にプライバシーを放棄している。自分の設定を確認しよう。[
テレスクリーンは、オーウェルの1984で重要な役割を果たした。
その装置(テレスクリーンと呼ばれていた)は、画面を暗くすることはできるが、完全に切断する方法はない。
私たちはずっとテレスクリーンはテレビのことたと思っていた。ウィンストン・スミスのリビングルームにはテレスクリーンがあった。しかし、公共の場にもたくさんのテレスクリーンが置かれていた。私はiPhoneやスマートフォンもテレスクリーンであると考えられると思っている。
テレスクリーンは受信と送信を同時に行っていた。ウィンストンがたてた、非常に小さなささやき声よりも大きな音が、テレスクリーンに拾われていたし、金属プレートで制御された視界の中にいる限り、いつでも見られたり聞かれたりする可能性があった。もちろん、いつ自分が見られているかごうかを知ることはできない。どんな頻度で、どのシステム上で、どのワイヤーに思想警察が繋がっているかを知るには勘に頼るほかはない。全員が常時監視されている可能性すらあり得た。とにかく、彼らは望んだ時にはいつでも、ワイヤーを差し込むことができた。人々は自分の発する音はすべて聞かれ、暗闇以外では、すべての動作を観察されていることを前提に、生きていかなければならなかった ― それは習慣となりやがて本能となった。
なんだかスマートフォンとGoogleマップとストリートビューの話に聞こえないだろうか。テレビのスイッチを切ることはあっても、携帯電話の電源を切るのはずっと難しい。今や私たちは、こうしたモバイル機器を通じて情報の発信も受信も行っている。そしてPlacesが有効になると、常に見られている(タグ付けされる)かもしれなくなる。もちろん、彼らが常時全員を見ている場所にいるわけではなく、むしろ私たち同志で監視し合っている。
多くのユーザーがPlacesとその機能を好きなるだろうと思う。彼らはプライバシーを失うことなど気にしないのだろう。中には、私のように、今も残されているわずかばかりのプライバシーに価値を見出す人たちもいる。そういう人たちはFacebookのライブマップに表示れるドットにはなりたくない。だから、今はオプトアウトしておくつもりだ。
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(翻訳:Nob Takahashi)
