2006年にTwitterがサービスをリリースした後の私の最初の記事をこれまで何度か引用してきた。理由は、私がどれほど間違っていたか忘れないようにするためだ。中でも傑作な一節はこうだ。「Twttrのユーザーの大部分は全てのメッセージがウェブサイト上で一般に公開されるのは望まないだろうと思う」。ちなみにこの当時TwitterはTwittrという綴りだったが、あのロゴも懐かしい。
コメントも記事同様的外れだ。
SMSを公開ウェブページに投稿する意味が分からない。なぜ自分のメッセージをネットワークに公開しなければならないのだろう? こんなサービスを利用する気にはなれない。メッセージを非公開にするオプションを早急に追加すべきだ。
それからこういうのも―
友達が「オレはd@dなバーで酔っ払djどあ@j」などというテキストメッセージを送ってくるのを読むために朝の4時に起きる気にはなれない。こんな迷惑な機能はバイラルを広める観点からは有効なのだろうが、いつからソーシャルソフトウェアの成功とは単に不愉快なおせっかいを広めることを意味するようになったのか。
そして、
このサービスの発音はツイッター、それともツワッター?
後知恵で考えれば、私が当時Twitterについて少々理解不足だったことは明らかだ。否定的な意見をコメント欄に投稿してきた読者も同様だ。もっともコメント欄の投稿者には単に悪口を言いたいから悪口を言う連中も多いのだが。そしていちばん的外れだったのは、〔のちにTwitterに改名した〕Odeo社の投資家たちだ。彼らはTwitterに見切りをつけて投資した資金を取り返すという愚行を演じた。
私が言いたいのは、どのスタートアップが成功してどれが失敗するのか、あらかじめ確実に知る方法はないということだ。私はブロガーとしていろいろ予言してきたが、それが外れたことも数多くある。だから私はベンチャーキャピタリストになろうとは思わない―ベンチャーキャピタリストの間違った判断は深刻な結果に直結する。スタートアップに対しては市場で地位を確立するまである程度の時間の余裕を与えなければいけない。スタートアップは進化する。世界も進化する(2006年以降、世の中でどれほどいろいろなことが起きたか考えてみるとよい)。
「既成のアイディアを単にひとひねりしただけ」と思われていた無名のスタートアップが大化けすることもある。文字通り世界のあり方を変えるような存在になることさえあるのだ。それが私がアリーナの男を変わらず応援し続ける理由だ。私は永遠に起業家の応援者であり続けるつもりだ。
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(翻訳:滑川海彦/namekawa01)
