私は今週PopSnapのSarah Meyersと話すチャンスがあった。SarahはCrunchiesのためにビデオを作るためにサンフランシスコに来ており、私は金曜日にセレモニー会場まで彼女を車で送っていった。いくつもの点で私はSarahに感心させられた。あの若さでビデオ・ブログで生計を立てており、しかもニューヨークで立派に生活できているというのは驚きだ。
われわれの会話はたまたまライフ・ストリーミングに及んだ。私はRobert Scobleが自分の赤ん坊の出産をTwitterでライブ中継したことを取り上げて「あれはやりすぎだと思う―結局のところ、ある種のものごとはプライベートにとどめておくべきだと思う」と言った。Sarahの反応を言葉で描写するのは難しい。しかし私がそう言ったときの彼女の恐怖に打たれたような表情はこれから先も長い間印象に残りそうだ。彼女はライフストリーミングには何もかも含まれるべきだ、だからScobleは正しいことをしたのだと反論した。
この話題に関連して、私はアメリカに来る飛行機の中でBen Eltonの最新の小説を読んでいた。この小説のテーマがまさにライフストリーミングなのだ。(アメリカでは6月にならないと発売されない)。Amazonの内容紹介を引用すると―
「全員が全員について全てを知っている世界」を想像してみよう。その世界では「そう感じた」と「そう信じている」が法律によって保護されて、合理性や蓋然性に基づく考えは異端として迫害され、無知と不寛容に疑問を呈することは「信頼」への反逆として断罪される。
それが、この小説で描かれる「大洪水後」の世界なのだ!
大洪水紀元56年のある暑い夏の朝、Trafford Sewellがいつものようにほとんど全裸の群集の間を苦労して職場に向かって進んでいいると、教区告白官が現れて彼を尋問し始めた。なぜTraffordは他の皆と同じようにウェブサイトに自分のセックスの詳細をライフストリーミングしないのか? 彼は自分が他人と違っていると思っているのか? コミュニティーの仲間の男女よりも優れているつもりなのか? なにを隠そうとしているのか?
Ben Eltonは黙示録後の世界―宗教的不寛容とセックス露出狂が結びついた自己中心的カルトの世界、裸が謙遜を表し、無知が知恵を、プライバシーが危険な倒錯意味するような世界を描く。来るべき未来の恐るべきビジョンなのか?われわれが現実と呼ぶものはすでにこれに近づいているのか?
これは挑戦的な内容の本だ。〔インターネット文化の批判者の〕Andrew Keenの考え方に近いところがあるかもしれない。しかし知的にみて、プライバシー問題、オンラインで共有する内容にどこで歯止めをかけるべきか、について非常に重要な疑問を提出している。こういった問題に興味のあるなら、ぜひ一読をお勧める。
私は依然としてある種のものごとにはプライバシーがあると信じている。私はTwitterのファンで常時利用しているが、家族との生活についての話題の大部分はプライベートなものとしてここには公開していない。ブログはTwitterほどパーソナルなコミュニケーション手段ではないから、より一層プライバシーについては慎重になる。特にJustin.tv のようなサイトを訪れるとユーザーが1週7日、24時間ぶっとおしで生活をライブで公開している。なるほどこういうショーにはそれなりの面白さがあるものの、自分の一挙手一投足が常時誰かに見られていると考えただけで私などは気分が悪くなる。
WordPressのアンケート用プラグインでは多段階の設問が設定できないので、下のアンケートで私は回答を年齢層で分けた。私の勘では、若い世代(ゼネレーションYやゼネレーションZ)はライフストリーミングで何もかも公開することに好意的なのではないかと思う。若い世代には「ライブで一切編集の手を加えていない」ものだけが唯一の真実で、高度に加工されたメインストリーム・メディアは偏向しているから信用できないというシニシズムがかなり蔓延しているような気がする。
下に投票とコメントをお願いする。読者がこの問題をどう考えているか興味があるところだ。私の意見に反対ならそれはそれでけっこうだ。一部の人々は「プライバシーの一線などない」と信じていることは、Sarah Meyersの例で知ることができた。
[原文へ]
(翻訳:Namekawa, U)




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