2006年9月1日

YouTube、2004年当時のFacebookの動きへと

Marshall Kirkpatrick

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YouTubeはサイト上に“Colleges on YouTube”という新セクションをスタート。30もの大学の学生、職員、卒業生は自分たちの大学コミュニティサイトから「.eduメールアドレス」を利用してサイトにアクセスが可能。他のユーザーはこれらのページにはアクセスできない。YouTubeはユーザーたちに対し、自分の所属大学をリストに追加するよう奨励している。このストラテジーは、アメリカ国内でおそらく2番目に知名度の高いソーシャルネットワーキングサイト「Facebook」によって明らかに成功が証明された。Facebookには2000校以上ごとに分かれたセクションがある。 Facebookが初期の閉ざされたストラテジーから離れ始めたように、YouTubeが新しい方向性として初期のバイラルサイトからプライベートセクションをスタートさせるのはあまり意味がないように思える。流行の先端をいく都会の真中に郊外によくあるゲート付きのコミュニティがあるように、残りのサイト内に閉ざされたカレッジセクションがあるようである。
大学ごとのセクションを設けることは、YouTubeを活気あふれるものにしている変人たち(それに海賊版)を閉め出すためには魅力的だと思わざるをえない。Tea Partayのようなコンテンツを増やし、66Sixのようなコンテンツを減らす。それにより、少なくても短期間なら収益性の高い広告を期待できるのかもしれない。

このセオリーはまるでフェンスで囲われた庭のようなコンセプトで、内部者にとっては関連あるコンテンツを見つけやすくするし、外部者からの閲覧の可能性を低くする。現実には、同窓生アカウントそれに基本的な(ウェブ上にある)データのポータビリティというのは、外部者によるコンテンツへのアクセスをそれほど難しいものにはしてない。Facebook上のプロフィールがその他のサイトに掲載される行いは、ブロガーのあいだでごく一般的になったというゴシップさえある。オンラインのソーシャルネットワーキングが新しいものであったころから、Facebookのプライバシーの度合いというのはすでに 時代遅れのアイディアだったかもしれない。「.eduメールアカウント」によるログインシステムというのは、システムに本当に参加したいという人たちにとっては気軽な連絡やコラボレーションをちょっとだけ不便にさせるもにしか過ぎない。Facebookではいろいろと変化が起こっている。最近のAPIリリースなんかは、同社がなんらかのかたちでよりオープンなものになりたいという傾向のあらわれだ。

大規模なコミュニティの中に、閉ざされたセクションを作るというは、ウェブの方向性として最善のものではない。 YouTubeが広く知られ、愛されてきたのはただビデオをアップロードできるからではない。興味深いビデオを見つけたり、広めたりすることが自由に出来るスペースだからだ。写真共有サイトのWebshotsは、今週のデザインリニューアルの一環として“College Live”セクションを「タブ」から「ホームページのドロップダウンメニュー」へと格下げ。College Liveが4月に「タブ」として公開され、8月の終わりにはタブ扱いが取りやめになったという事実は、これはうけが良くなかった夏休みの実験であったことを意味しているのかもしれない。

Webshotsは間もなく、写真共有サービスに加え、ビデオ共有サービスも始めると言っている。Flickrそれに Zooomrもビデオサポート提供を始めてくれたらいいのだが。写真とビデオの境界線というのははっきりしないし、ソーシャルネットワーキングサイト内の内側、外側のボーダーラインもぼんやりしている。それなら、どうしてYouTubeは学生ユーザーを囲い込む新たな線引きをしたのだろう?

YouTubeはユーザーによってアップロードされるビデオコミュニティの草分けだったが、反Paris Hilton(企業色の強まり)など反感増加に直面しつつある。今回の動きでさらに後退の模様。おそらく、このセクションは計画倒れに終わるのではないだろうか。もしかしたら、変わり者たちは他のサイト利用に乗り換えるかもしれない。新セクション発見してくれたのはMashable

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