YahooのBrad Garlinghouse、権力闘争で一歩先んじる

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Yahoo のシニアVP、Brad Garlinghouseは全組織のうち非常に大きな分野(トップページ Front page、 メール、 IM、その他) を統括している。彼は上級幹部宛てにYahooの現状に関する見解を述べたメモをメールした。メモはスペルミスもそのままに今日(米国時間11/18)のWall Street Journalに全文掲載された。 下にコピーを載せる。メモでは、トップダウンによるYahooの全面改革、それによる組織のムダの排除と決定の迅速化の必要性が述べられている。

これは避雷針[のように雷を呼び寄せる]文書だ。Garlinghouse はこれが公開されたときのリスクを承知していたはずだ。しかし、この文書はあまりにも現在のYahooの経営体制に批判的なので、自分からリークすること を考えて書かれたものとは思われない。これはいってみればYahooの汚れ物を世界中が見ている前でぶちまけたようなものだ。同時に、CEOのTerry Semelの右腕[であるGarlinghouse]が激しく苛立ち、大きな不満を抱えていることを公言したものとなっている。

Yahoo の広報は質問には答えず、このメモ自体がYahooにはオープンな文化があることを示しているとして、次のように述べるに止まった。このメモそれ自体が、われわれにはオープンかつ協力的な文化があり、Yahooがインターネットのリーダーとして果たしていくべき責任について、トップマネージメントチームがいかに熱心に取り組んでいるかの証拠である。

私の観測では、Yahooのトップレベルではこの種の改革に関してここしばらく議論が行われており、メモはGarlinghouse がパレードの先頭に飛び出そうとする一種の権力闘争の一手ではないかと思う。改革が実行されれば彼がヒーローに見えるし、実行できなくても、少なくとも努 力はしたという実績となる。

どちらにしても、現在のところ、Semel と Garlinghouse はどうやっても Yahoo内で共存できそうにない。 耳にした情報からすると、Semel の旗色が悪いようだ。前記ウォールストリートジャーナルの記事は YahooのCOO、Dan Rosensweig は Garlinghouse をこのメモで示された改革案を評価するためのワーキンググループの責任者に任命したという。

オープンな文化もけっこうだが― ナンバー2が公然とボスのリーダーシップを批判し、しかも改革案を検討する責任者となるとあっては、ボスにとっては[聖書の「壁に現れた文字」の逸話のように]不吉な前兆だ。

3年半前、私は喜び勇んでYahoo!に加わった。巨大な可能性を支える巨大な資産があったからだ。Yahoo!の改革に当たったのは確かに素晴らしいチームだった。これは意義ある経験だった。私はわが社の劇的な改革に参加できたことを幸運に思う。われわれの成功はそれ自身で明らかだ。かつてないレベルにユーザーは増加し、Yahoo!はかつてないほど魅力に溢れ、かつてないほど収益も上げている!

私は毎日あちこち打ち身やアザをこしらえてきたが、それも誇りに思っている。皆もそうであるように、私はこの会社を愛している。

しかし、全てが順調というわけではない。去る木曜のニューヨークタイムズの記事は、われわれを公の場で手痛くムチ打ったが、実は災い転じて福をなすもの だった。記事の細部は必ずしも正確ではなかったが、結論には真実の響きがあった。これこそわれわれが強く必要としていた目覚ましの音だった。これは同時 に、行動を開始せよとの合図でもある。Yahoo! の社員誰もが同意せざるを得ない明白な結論が出たのだ。人の価値は何度失敗したかで計れるものではなく、その失敗から立ち上がる精神と決意にあることを幸 運にも思い起こさせてくれた。これはまさに現在のわが社に当てはまる。

われわれが失敗から立ち上がるときが来た。

今や、われわれの抱える問題や困難を直視し、決定的な行動を取らねばならないと私は固く信じる。株主に、ウォール街に、広告主に、提携先に、(現在と将来 の)社員に、そしてユーザーに明快な力強いメッセージを送るチャンスだ―チャンスが招いているといってもいい。こうした相手は皆、われわれが問題を認識 し、理解して、根本的な対策を打ち出すシグナルを待っているのだ。われわれの現在の進路とスピードはそのために十分ではない。近視眼的なバンドエイドを貼 るような対策では十分ではないのだ。

われわれが立ち上がり、しっかりとこの機会を掴まねばならない時なのだ。

わが社の最高レベルの経営陣の間で、われわれの直面する課題を巡ってさまざまな議論がなされてきたことと思う。私自身が問題の一部であることを避け、解決策の一部であるべく望みたいので、重複することを恐れず、わが社の現在の課題に対して前向きの道筋を提案したい。

問題を認識する

われわれは焦点を絞った一貫した会社としてのビジョンを欠いている。われわれは誰も彼ものために何もかもやろうとしている。われわれがこの問題があること を何年も前から知っており、絶え間なくそれについて話をしてはきた。しかし根本的な解決策は何一つ実行されていない。われわれは取り残されることを恐れて いる。われわれは自分自身の確固たる進路を示す代わりに、ひたすら外界に反応してきた。われわれは社内にいくつものトーチカを作り、そこに立てこもって互 いに話をしようとしないことが多すぎた。そして話を始めても、それははっきりと定めらた戦略目標に向かっての共同作業ではなく、縄張り争いであり、戦略を どうする、戦術をどするかについての論争ばかりだった。

繰り返し現れるわが社の好ましくない傾向は、経営幹部を外部から雇い入れることで、このため、トップが一団となってひとつの一貫した戦略を押し進めるかわりに、どうすれば勝てるかについて各自ばらばらなビジョンを持つことになっている。

わが社の戦略というのは、私にはオンライン世界に現れるありとあらゆるチャンスにピーナツバターを薄く塗っているだけ、と言われていたことを耳にしたことがある。その結果は、われわれのやること全てに関して、投資は薄く延び広がり、これといってどこにも焦点が絞れていない。

私はピーナツバターは嫌いだ。 われわれは皆ピーナツバターを嫌うべきだ。

わが社には明確な権限と責任が欠けている。非常に残念だが、その証拠に、全社にわたってひどい重複が見られる。当初はよかれと思って作られたのであろう が、われわれは非常に官僚的になった組織機構の中で動いている。社員がまるきり多すぎる。どの社員にも、ほとんど似たような、重なりあう職務の別の社員が いる。このために組織のスピードは落ち、無用なコストがかさむ。

同様に問題なのは、製品、サービス、特定の機能の実現に関して、いったい誰がそれを自分自身の責任なり、功績なりとできるのか? 製品開発、マーケティング、エンジニアリング、経営戦略、財務、等々でたくさんの人間が責任者とされ(あるいは少なくとも自分では責任者だと思っ)てい る。このため決定は下へ委譲されず、逆に上へ上へと棚上げされていき、結局、委員会やコンセンサスに任せられることになる。そのため、従来の殻を破った革 新的な考え方をする人間は意気をくじかれてしまう。

野球で言えば、センターなりレフトなりにそれぞれはっきり決められた守備位置があるのは理由があることだ。そうでなければ繰り返し皆が同じボールを追いか けることになり、結局は衝突したり落球したりすることになる。かといって誰か他の人間もそのボールを追っていることを考え、衝突を避けようとすれば、ボー ルの追い方がおろそかになる。やはりボールを落とすことになる。

われわれは決断力を欠いている。目標の焦点が定まらず、権限が明確でないので、決断ができず、できても手遅れになっている。はっきりした焦点を絞ったビ ジョンがなく、完全に明快に規定された権限が存在しないので、誰が重要な決断をすべきなのか、そのガイドとなるはマクロなビジョンが欠けている。われわれ は困難でリスクを伴なう決断を行うにあたって繰り返し失敗してきた。われわれは、いわば自分自身の分析に人質に取られて身動きできなくなっている。

わが社では、あまりにもしばしばプロジェクト同士が競争(または重複した)関係になったり、共同して効果を挙げるべきプロジェクトが社内の別々のトーチカにこもって無関係のままで終わったりしてきた。
・ YME vs. Musicmatch

・ Flickr vs. Photos

・YMG video vs. Search video

・ Deli.cio.us vs. myweb

・ Messenger とプラグイン vs. Sidebar とウィジェット

・ ソーシャルメディア vs. 360 と Groups

・ トップページ(Front page) vs. YMG

・ 各事業部毎の世界戦略 vs. 国際部門の世界戦略

われわれは勝とうとする意欲を失っている。 あまりにも多くの社員が電話の陰口などに時間を費やしており、自分から問題を解決しようという意欲を欠いている。われわれはあらゆる階層で座って暇をつぶ しており、社員をぶらぶら遊ばせている。いったいどこに責任があるのだ?さらにわが社の給与システムは全体として成功に報いるようになっていない。何年も ロクな仕事をしてこなかった人間が報いられている。そしてわが社でトップの業績を収めた人間の多くは適切に認められておらず、努力にふさわしい報酬を得て いない。

その結果、われわれが真に必要とする人材 (リスクを取ることを恐れない情熱を持ったリーダー、改革者)は失望して社外に去ってしまう。残念ながら、わが社に留まることを選んだ人間の多くは、この先必要とされる激しい改革のリーダーとなれるような人材ではない。

問題を解決する

われわれには素晴らしい資産がある。ほとんどあらゆるメディア、コミュニケーション企業はわれわれの地位を痛いほど羨んでいる。わわれわれには世界最大規模でかつ忠実なユーザーベースを持ち、Yahoo! という企業ブランドはほとんどインターネットど同義語だ。

われわれが立ち上がり、劇的な変化を歓迎しさえすれば、われわれは勝利できるのだ。

私はその道がひとつだけだというつもりはない。しかしながら、とにかく、私は解決に貢献したい。そこで私が実現可能と信じる改革案の概要を以下に示す。行 動に移るのは待ったなしで、さもなければわれわれはさらに危険な坂道を滑り落ちていくことになるというのが私の確信である。もちろんこの案は完全ではな い。しかし無為無策に比べればはるかにマシなはずである。

私の案には3つの重要な柱がある。

1. ビジョンの明確化

2. 責任と明確な権限の再構築。

3. 抜本的な組織再編

1. ビジョンの明確化

a) われわれの目指すものが何であるか、何でないかを、大胆かつ決定的に定義しなくてはならない。.

b) われわれは周辺的な事業から出て(売却?)して、プロジェクトや事業の重複を排除しなければならない。

私の考えでは、滑らかにピーナツバターを塗り広げるのを止めて、意識的に狭い範囲に集中した戦略を取らねばならない。

われわれは事業部門に対して何を止めるべきか決めさせることはできない。そんなことをすれば結果は統一性のない戦略の継続のままに終わるだろう。決定的な 命令はトップによってなされねばならない。われわれはその決定に全てを賭けなければならず、後ろを振り返ることは許されない。もしメディア部門が最高の投 資収益率を生むとするなら、他の分野への投資を削減することをためらってはならない。われわれは困難な決定をせねばならず、かつそれを明確に意思表示し、 固執していかねばならない。またどんな決定も一部の相手(ユーザー、提携先、従業員)には好まれないことも認識しておく必要がある。改革はたやすくはな い。

2. 責任と権限を再建する

a) 現在の事業部門の長は、われわれが現在陥っている状態に対して責任を問われなければならない ― 一部のリーダーの更迭は避けられない。

b) それぞれの事業ラインで、慎重に全体的観点から考え抜かれたリーダー責任を定義しなければならない。(Yahooの求める新しい戦略の焦点に合致するGeneral Manager制の一種)

c) われわれは業績評価と報酬システムを改革する必要がある。

現在わが社には不満足な結果しか出さずに見逃されている、いやそれより悪いことに、不満足なリーダーシップのままを見逃されている事業部門のリーダーの数 が多過ぎると考える。彼ら(というよりわれわれだ!)は往々にして、ここで述べたわが社の問題にもっとも重大な責任がある人々である。株主と従業員に対し て、これらリーダー層(つまりわれわれ自身)の責任を問い、改革を実行させるべくシグナルを送る必要がある。

力強く明確なGeneral Manager制度を確立することによって、われわれは単にそれらリーダーに権限を与えるだけでなく、重複する官僚的マトリックス機構の全体に渡って大き な無駄を排除できる。わが社の全員に対して、誰が決定を下す権限を与えられているのか、誰が何に対して責任を負っているのか、明確に周知されていなければ ならない。このような権限の委譲の結果として、リーダーの下す決定に対する結果責任が明確化する。ひとたび決断が下されれば残りの全員がそれを支えていか ねばならない。そしてリーダーは終局的にはその決断の結果によって進退を決すべきなのである。

私の考えでは、わが社の給与報酬システムはより薄くビーナツバターを塗り広げる役にしか立っていない。われわれは積極的に実績主義に基づいた給与制度を確 率しなければならない。これによって実績が最低の層を排除し、ハングリーでモチベーションが高く、生産的な社員により良く報いることができるようにな る。.

3. 根本的な組織再編を実行する

a) 現在の事業部門の編成は捨て去る必要がある。

b) われわれは抜本的に権限を各部門に委譲し、官僚的マトリックスを打破する必要がある。

c) われわれは人員を15-20%削減する必要がある。

私は今までに作り上げられてしまった数多くの重複を排除することが絶対に必要だと固く信ずる。そのための第一歩は組織の再編である。今よりずっと少ない人 数で、今よりはるかに効率的かつスピーディーに、今よりはるかに多くのことをなし遂げられるはずである。より多くの決定を新しい事業ユニットとその指導部 にゆだねなくてはならない。しかしこのことはおそるおそるの小刻みな改革でなし遂げられるものではない。われわれは勝ち残るため、思考を根本的に改めてい かねばならない。

組織再編成の具体的内容とは別に、2つの鍵となる原則を維持しなければならない。

官僚的なマトリックスをぶち壊せ。新しいGeneral Manager に権力を与えよ。本当のゼネラルマネージャ制度のモデルを作れ。製品、マーケティング、ユーザーの使い勝手とデザイン、エンジニアリング、事業の開発及び 運営、の各部門は少人数の専門のはっきりしたGeneral Managerの指揮の下に置かれるなくてはならない。誰が責任者であるのか疑いの余地なく明確にせよ。

重複を排除せよ。互いに争わないように編成された新しい事業部制度を作れ。検索部門は検索に、ソーシャルメディア部門はコミュニティーとコミュニケーショ ンに専念させよ。ビデオや写真の権限を巡っての縄張り争いは終わらせよ。そしてYahoo!のトップページは[他の事業部から中立な]スイス的な存在にせ よ。権限の非中央集権化は非効率を生む危険性があるので、これは難しい配慮が必要になる。しかし私は適切なバランスが必ず達成されると信じる。

私は Yahoo! を愛しており、私が受けてきた数々の傷や打ち身さえも誇りに思っている。私は後頭部の髪をYの字にカットしていることさえ誇りに思っている。

私がこのメモを書いた動機は、前にも述べたようい、われわれの前途には巨大なチャンスが控えていると固く信じるからだ。私は自分だけが答えを知っているな どというつもりはない。しかしわれわれは改革の議論を続けなければならない。改革はどうしても必要であり、しかも早急に必要である。わが社はより明確なビ ジョンと、明確な権限と、明確な責任の下で、より強力な、より素早く動ける企業になり得る。

われわれはつまづき転んだかもしれない。しかしレースはマラソンなのだ。短距離競争ではない。 これが簡単だなどというフリをするつもりはない。勇気、信念、洞察、そして何より熱意と献身が必要だ。私はこの挑戦を大いに楽しみにしている。

だから、今こそ立ち上がれ。

ボールを捕球しろ。

そして、ピーナツバターを食べるのを止めようではないか。

【日本語版コメント】原文中に頻出する accountability は、詳しく言えば株主やユーザーなどに対して「自らが職務を適切に執行したことを説明する責任」ですが、ここでは簡単に「責任」と訳してあります。

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