未読メール2433通は、起業家にとってのチャンスだ

次の記事

Mozilla Prism―デスクトップとウェブ・アプリを結ぶかけ橋へ

今受取ったばかりのこのメール(個人名等は消してある)は、新規の出資について私が相談しようとメールしたベンチャーキャピタリストからの返信なのだが、読んでみてどう思うだろうか。

メールありがとうございます。お返事が遅くなって申し訳ありません。

まともにメールの返事を書けていないことは重々承知しています。いろんなやり方を試してみましたが、うまくいきません。届いたメールは全部読んでいるし、どのメールにも返事を出そうと真摯に取り組んでいると誓います。が、それでもダメなんです。

最近、いままでになく出張が増えています。非公開株式の件や、スタートアップへのアドバイス、講演、夏のアイアンマンレースに向けてのトレーニング、あと、幸いなことに休暇もいただきました。その結果、Gmailにログインする頻度がかなり減ってしまいました。が、実はこれが健全な成長なのかもしれません。

有難いことに、私が役立たずのさすらいの失業者になりつつあり、[XXXXXX]をコントロールすることもなくなったおかげで、以前は日に千通以上あったメールが減ってきています。できれば、メールは両親からだけ、それも[XXXXXX]の天気の様子を知らせてくれるだけになるまで、この傾向が続いてくれればいいと思っています。

私が今何をしているかに関心があるか、私と直接会えるチャンスを探していただくなら、twitter.com/[XXXXXX]で私のTwitterストリームをみてください。本当の友だちであれば、Facebookで友人リクエストしてください。面白いものを見たいというだけなら、弟の[XXXXXX]のYouTubeビデオをhttp://youtube.com/[XXXXXX]で見てください。

いずれにしても、みなさんとお話できることを楽しみにしています。まずは、みなさんのご辛抱に感謝いたします。

メール以前の日々を思い出す。そうでない人は、おそらく、電話がいかに重要なコミュニケーション手段だったかを理解できないだろう。電話が鳴れば、受話器を取ったものだ。今では、人前で電話に出るのは失礼だとされている。

メールがすばらしいのは、非同期なところ、つまり届いてもすぐに対応しなくてもいいことだ。私や多くの人にとって、インスタントメッセージも同じだ。IMには即座に返事をすることもあれば、24時間後のこともある。相手はふつう返事が遅くなることを覚悟しているので、不快には感じない。Facebookのメッセージも、Twitterや携帯メールも同じような特長を持っている。

しかし、この新しいコミュニケーション手段の便利さは、その量が増えることを意味している。ほとんどの人にとって、今日要求されているコミュニケーションの量は、人間の能力をはるかに上回っている。全部のコミュニケーションに返事をしている人はほとんどいない。そして、コミュニケーションの量は、返信はおろか、受信したものを全部読むことすらできないところまで来ている。

私は定期的に「メール破産」宣言をしては、受信箱を全部削除している。しかし、それでもなお現在、受信箱には未読メールが2433通ある。さらにFacebookの受信箱にも721通、あとSkypeのメッセージウィンドウが30ほど開いていて、返事をしないままになっている。もちろん、携帯電話の留守電も満杯なのは言うまでもない(それ以上新しいメッセージが録音できない、という点が気に入っているので消去しようという動機がほとんどない)。

メールをどうしているかって? 差出人と題名をざっと見て、価値のありそうなメールを探す。私の時間を無駄にしないとわかっている人や、本物の友だちだ。あるいは、私が一生のうちの何分かを割いてでも開いて読むべきだということを、理解できる内容を表した題名のメールだ。

最近、私にメールでインタビューを申し込んだのに返事がないと、コメント欄や他のブログで文句を言っているジャーナリストがいた。が、後にその同じ男から来たメールに、あるAOLとYahooのドラマが匂わされていたとき、私は即座に返信した。これには彼もちょっと腹を立てていたようで、それはわかる。しかし、私の脳ミソが、インタビュー申し込みのメールを見たときには「これは急ぎではない、今晩返事しよう」と言うのに対して、特ダネかもしれないと思えばすぐさま対応しろと言う、という点を彼は理解していない。もちろん、夜になれば別の火事を消さなくてはならないので、受信箱の中には、いずれ返信しなければいけないメールが2437通溜まることになる(2段落前から、ここまで書く間に数が増えた)。

この件についての長期的な答えは、コミュニケーションの要求に対して返事をするために、人間がもっと一生懸命返事になれ、ということではない。長期的な答えは、われわれが人生を楽しみつつ、重要なメッセージを逃がさないための新技術を誰かが作り出す必要がある、ということだ。その解がわかっていれば、私はこのブログをやめて、そっちをやっている。しかし、どこかの誰かは、われわれの電子コミュニケーションをもっとうまく制するためのアイディアの手がかりを把んでいる。そして、いつの日かそれを製品にしてわれわれを救ってくれるかもしれない。

われこそは、われわれみんなを救うアイディアを持っている、という人はメールで知らせてほしい。いや、今のは訂正。私の家に来てアイディアを話してほしい。せっかくのメッセージが受信箱に埋もれてしまわないように。

[原文へ]

(翻訳:Nob Takahashi)