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明日のソーシャル・メディアは単なるコンテンツのまき散らしの拡大ではない―と、希望

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今日(米国時間6/2)、ソーシャル・メディアの将来に関する議論があった。

ベンチャーキャピタリストのFred Wilsonは「ソーシャル・メディアの将来についてのビジョンは単純だ」として次のように述べた。

人類誰もが自分の考えや体験をさまざまな方法でインターネットに投稿するようになること

人類の大半はオンラインに考えや体験を発表しようと望んでいない(たぶんこれからも望まないだろう)という事実はさておき、このビジョンは信じがたいほど視野が狭いと思う。

誤解しないで欲しいが、私はオンラインへの投稿が意味がないと言っているのではない。たとえば、Scott Karpは最近、ユーザー生成によるコンテンツは新しい「公害」だと文句を言い、こうした投稿が減ったほうがいいとしている。こんな考えはいちいち批評するにも値しないくらい間違っている。

私はKarpには全く賛成しない。(Karpはそう言いながら、新しいスタートアップのアイディアを擁護しているのだが)。しかし、同時に、単に人々が広く自分の生活体験を発表するのを助けるだけのサービスもさして興味深いものではあるまい。昔、2000年頃だったら、ブログを書いたり、ネット上に写真を発表したり(動画などはそのころは考えられもしなかった)、ブックマークを共有したりするのはかなり難しかった。今日ではそういうことはまったく簡単だ。実際、ブログのプラットフォーム、SNS、ブックマーク・サービス、写真やビデオの共有その他について、名前が違うだけでほとんど同じようなサービスが乱立して消費者を選択に戸惑わせている。なんと、マイクロ・ブログのプラットフォームの中には、たった1語だけの記事しかサポートしないものさえある。

今やわれわれが発表したいものを考えつく限りのあらゆるフォーマットで発表できるサービスが存在する。そこで、こうしてばらばらに、相互に孤立してオンライン上に発表されたコンテンツを単一のアイデンティティーの元に統合するオープンな標準と、そうした標準に基づくサービスが生まれることが今後どうしても必要となってくる。私が個人の集中化(Centralized Me)と呼んでいるものだ。これが強く必要とされるのは、われわれが公開するコンテンツは現在ネット上の四方八方にばらばらになっているからだ。しかも、オンラインサービスの大手企業はよほど強い圧力を受けないかぎり、コミュニティにとって「正しいこと」をしそうにない。〔個人の集中化は〕 一見地味なサービスに見えるだろうが、非常に重要な要素なのだ。

こうしたオンライン・コンテンツを現実の社会関係の強化に役立つようにしよう

ソーシャル・メディアの将来は、コンテンツをやたらにオンライン上に公開することを助けるだけのツールにあるとは思えない。私の見るところ、すでにオンライン上に存在する(ユーザーの現在の状態や活動状況のストリームを含む)さまざまなコンテンツをベースとして、それらを統合して現実世界での社会的な相互作用を強化するのに役立てることができるようなテクノロジーやサービスのアイディアこそが必要とされているのだ。

そこではモバイル機器が中心的な役割を果たすことになるだろう。 モバイルを機器を単にコンテンツ投稿の道具と考えるのは止めるべきだ。(ただしモバイル機器は位置情報、写真、ビデオなどを投稿する道具としてはきわめて便利だが)。将来、モバイル機器はユーザーの周囲にいる多くの人々の中から互に関心がありそうなグループを選び出すのに使われるようになるはずだ。またすでに知り合いになっている相手についての基本的な情報を記憶し、検索できるようにするのにも利用されるだろう。

もしかするとFredの発言はそうしたビジョンに基づくものだったのかもしれない。しかし、彼の発言をそのまま受け取ると、生活のさまざまな局面を記録してネットにアップするというところにのみ重点が置かれているように感じられる。これはこれで重要ではあるが、すでにまったく一般化した特色のないビジネスに過ぎないように思える。人々が現実に相互に関係しあうことを助ける(そしてある程度までコントロールする)ようなサービスこそエキサイティングなものだし、そういったサービスが近々登場するはずだ。「ソーシャル」という言葉は理由があって使われていることを忘れるべきではない。インターネットというのは単に情報を一方的に発信したり消費したりするだけの場ではない。インターネットでは人間の相互の関係こそが重要なのだ。

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(翻訳:Namekawa, U)