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ニューヨークタイムズとWikipedia、人質となった記者の命を報道抑制により救う

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ap_david_rohde_090620_mn本記事はGagan Biyaniによる寄稿です。

先週初め、ニューヨークタイムズは記者のDavid Rohdeがタリバンの収容所から脱出したと報じた。Rohdeはこの7ヵ月間にわたってタリバンの人質となっていたが、メディアはこの件につき沈黙を守っていた。ニューヨークタイムズとWikipediaの協力により、無事脱出するまで情報を公開しないようにしていたのだ。

2008年11月、Rohdeは地元記者のTahir Ludinおよび運転手のAsadullah Mangalとともに捕らえられ、タリバンの人質となっていた。しかし脱出が無事成功するまで、ほとんどのメディアは本件につき沈黙を守っていた。ニューヨークタイムズが35のメジャーなニュース企業に対して本件を報じないよう依頼したからだが、これはRohdeの人質としての価値を上げないようにと考えて行われた措置だ。背景には、Rohdeが人質となったことを報じれば人質としての価値を高めてしまうことに繋がり、釈放に向けての努力が困難になるという考えがあった。35のニュース企業に報道を自粛してもらうのは、さほど難しいことではなかった。しかしWikipediaの利用者が本件を記事にしないようにするのには難しい面もあった。

WikipediaにRohdeの件を投稿し続けるフロリダ州の投稿者に対し、ニューヨークタイムズとWikipedia Foundationは共同して記事が表に出ないよう対応を行った。7ヵ月に渡ってWikipediaの編集者はRohdeが人質となった件をサイトに載せないよう、作業を行ってきた。寄稿者に直接コンタクトすることはできなかった。寄稿者はWikipediaに匿名で記事を執筆しており、当該ニュースを削除し続ける理由を説明することができなかったのだ。寄稿者は記事が削除され続けることに腹を立て、何度も繰り返し記事の投稿を行った。

このバトルはRohdeとLudinが壁を越えてタリバンの拘束から脱したことで終わりを告げた。尚、Rohdeによると、運転手は予想外にもタリバンに留まることを決意して、現地に留まったそうだ。本件は非常に興味深いニュースで、Wikipedia編集者およびニューヨークタイムズの振る舞いは賞賛に値すると思う。Wikipediaの設立者であるJimmy WalesはTwitterで、ニュース報道を抑制することでRohdeの命を救えたと思うと書いている。敢えて言うまでもなく、沈黙を守ることでRohdeの脱出可能性は増したわけだ。この作業に加わった全ての人の手柄だと言えるだろう。

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(翻訳:Maeda, H)