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スタンフォード大学の"Frankencamera"はオープンなプラットホームとしてのスマートカメラを目指す

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デジカメの世界は選手層が厚い。Nikon、Canon、Panasonic、Leica、Olympus、Pentax、Kodak、…、有名選手だけでもまだまだいる。ここ数十年、彼らは自社製品を磨き上げ、性能だけでなく価格も含めて、今も厳しい競争を戦っている。

たしかに、それによって優れた製品も生まれてきた。今のDSLR(デジタル一眼レフ)はアマチュアに(そしてプロにも)、これまでありえなかったほどの高い能力を与えているが、でも最近の大手メーカーの研究開発は、空回りしているのではないか。このところ、カメラのイノベーションはきわめて稀少だ…CasioFujifilmのセンサーの斬新な使い方が思い浮かぶが、しかし、一般的には最上位の機種ですら、20世紀後期の1メガピクセル全自動タイプからまったく進化していない。

Stanfordの研究者たちが、この状況を変えようとしている。現勢力を覆すようなことは考えていないが(むしろ現勢力が研究資金を出している)、カメラに専用機と汎用機の違いしかないことに彼らはうんざりしている。写真が所詮はデジタルデータであるからには、もっともっといろんなことができるはずだろ、ちがうか? 本格的なOSが載り、オープンな規格に基づくハードウェアになれば、カメラは何でもできるプラットホームになり、…そして!…、アプリケーションストアというものが成り立つ。

けっこうけっこう、たいへん前衛的でよろしいね。でも、考え方そのものはまともだ。カメラがデータの処理や保存をしたり、そのほかのデバイスと(またはネットに)WiFi経由で接続したり、あるいは高精細なタッチスクリーンを持っていても、不思議ではない時代だろう。たしかに今のカメラも、センサーのデータをRAWやJPGのファイルに変換したり、画像の調整をやったりしているが、それらはソフトがやっているのであり、ソフトがもっと多種類で高機能であってはいけないという理由はない。

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Mark Levoyの研究室で作られた”Frankencamera”は、部品がすべてそこらの一般市販品である。TIのシステムチップ、Canon EFのレンズ、ふつうの液晶表示装置、Nokia N95のフォトセンサーなどだ。ご覧のように概念実証プロトタイプだから、部品を無理やりくっつけ合わせただけの醜いお姿だ。あの、今をときめくiPhoneでさえ、最初は裸のプリント基板を開発用リグに配線しただけのものだった…コネクタ類もプラスチックカバーすらないむき出し状態だった。

Frankencameraでは、Linuxの上で動くソフトがカメラのあらゆる側面を精密に制御する。しかし、その標準APIがいくつかのプロトタイプ機とともにリリースされたら、ハッカーたちは熱狂するだろう。アパーチャを2つにしてダブルカーテン露出で、不思議なハイブリッドボケを作るなんて、どう? あるいはシーン評価機能のあるカメラにRGBのLEDフラッシュを接続して、ライトの色調の自動調節をやらせるってのは、どう? アイデアだけで、実際に試せないのはくやしいね。でも優秀なハッカーや写真家がこのプログラマブルカメラを手に入れたら、今までなかった、まったく新しいカメラの使い方が何百万種類も花開くぞ。

ただし、この特定のプロジェクトはKodakやAdobeといった特定の企業がスポンサーだから、いろんなアイデアが製品の中に封じ込まれて売り出されるだけで終わりそうだ。彼らは研究者やハッカー向けに1000ドル未満のものを作る予定だが、一般消費者向けのFrankencameraがBest Buyで買えるようになるのはまだまだ先だ。

でもこれは、いろいろ考えるだけでも楽しい。現実にはカメラは、今後10年ぐらいではとても標準化しそうもない各社バラバラ製品の典型だ(TechCrunchはフォーンカメラ…カメラ内蔵ケータイ…の将来について楽観的だがぼくの見方は違う)。だいたい今は、われわれが対話的に使うデバイスのほとんどすべてがコンピュータによってスマート化してるのに、カメラだけなぜ取り残されているのか? たしかに、スマイルシャッター、100シーンモードなど要らない機能は山盛りになっているが、それはスマート化ではない。本当の意味のコンピュータ化ではない。便利だが、それだけだ。今では、HDムービーモードもあるが、でもぼくが2001年に使っていたSonyの2メガピクセル機でも、解像度はHDに比べれば多少低いけど、ムービーは撮れた。

スマートフォンの「スマート」と並ぶようなスマートカメラがやがて世に出るはずだが、それらは互いに接続可能で、いろいろソーシャルなこともできて、それにスマートフォンやPCのように物理的なアップグレードができるものだ。電話機が今では完全なメディアで通信プラットホームにもなっているように、そういう意味でカメラもスマート化する。その市場が作り出すビジネス機会の規模は、今ここでいくら誇張しても誇張しすぎということはない。たとえば画像やデザインの仕事をしている本誌読者も、そんなカメラから大きな収穫を得るだろう。REDは、強力な製品なら新規参入の余地があることを世に示した例だ。ただしREDの場合は、後援者も優秀な人物だったが。

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なお、カメラがスマートになったときに、人間もスマートにならないといけないことはない。iPhoneが良い例だ。ま、完全にそうとも言えないが、ぼくの言わんとするところは分かるでしょ。JobsはiPhoneを発表するとき、今あるような電話機(ボタンが多い、柔軟性がない、静的デザイン)はやがて消えてなくなると言ったが、それと同じことが今現在のカメラについて言える。今のカメラの基本的な特徴はすべて、滅ぼすべき敵だ。今のようなデジカメが今後の製品序列の中に残るかもしれないが、その子孫である夢のようなデバイスには、美と、美への興奮があるはずだ。

でも、どうか、それをカメラ2.0と呼ぶのだけはやめてね。

[出典: PhysOrg]

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))