ドイツのブロガーたちが起草したジャーナリズムのための「インターネットマニフェスト」

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Markus Goebel — TechCrunch Europe

ドイツの人気ブロガーたちが、国内を騒がせた「インターネットマニフェスト」の英語版を世界の読者のために提供している。ドイツで人気上位の15のブログの筆者たちが、この、ジャーナリズムの現状はこう変わったという趣旨の宣言文に署名している。マニフェストは17の項目から成り、それぞれ、“インターネットはここが違う”、“インターネットはジャーナリズムを良くする”などと題されている。“伝統はビジネスモデルではない”、“Webは人間の社会活動のインフラとして20世紀のマスメディアより優れている”といった旧体制に対する辛辣な攻撃もある。このマニフェストは大きな反響を呼び、混雑のためにサイトが一時的にダウンした。

内容は主に古いメディアに対する批判と、“インターネットは「こそ泥」だ”と主張する大手メディアへの反論だ。たとえば250種類の雑誌を出版し、ドイツ雑誌出版者協会の理事長であるHubert Burdaは、あからさまにそう言ったのだ。とくに彼は、Googleなどの検索エンジンが彼のコンテンツから得ている広告収入の、分け前をよこせと主張している。

サイトの混雑でなかなかアクセスできない人のために、以下に全文をご紹介しよう。感想、意見などをコメントで述べてほしい。

インターネットマニフェスト
今日のジャーナリズムの動的構造に関する17の宣言

1. インターネットはここが違う

インターネットは新しい公共空間であり、従来とは異なる概念と文化的活動から成り立っている。メディアはそれを無視したり対立するのではなく、業務の方式を今日の技術の現実に適応させる必要がある。利用可能な技術を活用して最良のジャーナリズムを展開することが、メディアの義務である。それには、ジャーナリズムの新しい形としての、新しい製品や方法も含まれる。

2. インターネットはポケットに入るメデイア帝国である

Webは従来のメディアの制約的な枠組みや提供者優位の性質を超越することによって、メディアの構造そのものを再編成する。コンテンツの発行と散布はもはや、大規模な投資を必要としない。幸せなことに、ジャーナリズムはもはや情報の門番ではない。ジャーナリズムに残されているものは、ジャーナリズムとしての質そのもの、それのみである。

3. インターネットは社会であり社会がインターネットだ

西欧世界では、ソーシャルネットワーク、Wikipedia、YouTubeなどWeb上のプラットホーム(platform,人びとが活躍する場)が、多くの人の日常生活の一部になっている。それらは電話やテレビのように容易にアクセスできる。メディア企業が生き延びるためには、今日のユーザたちの世界を理解し、彼らのコミュニケーションの形を受け入れる必要がある。基本的にそれは、情報の単純な受容や消費ではなく、双方向/多方向の対話ないし会話である。

4. インターネットの自由は神聖不可侵である

インターネットの自由でオープンな性質が、今日のデジタルな情報社会のルールの基盤であり、したがってそれはジャーナリズムのルールの基盤でもなければならない。それは、往々にして公共の利益という美名の下に隠れている商業的利害や政治的利害によって、改変されてはならない。どんな形であれ、インターネットへのアクセスを妨害する行為は、情報の自由な流れと、偏りのない情報に基づく個人の自由な意思決定能力を損なうものである。

5. インターネットは情報の勝利である

技術が未成熟な時代には、メディア企業や研究機関、公共団体などの組織が情報の編纂と分類を行ってきた。しかし今日では、一人一人の市民が自分のためのニュースフィルタを作ったり、検索エンジンを使って、これまでにはとうていアクセスできなかったほどの、大量の情報から必要な情報を取り出すことができる。現代の個人の情報摂取能力は、かつてないほどに高い。

6. インターネットはジャーナリズムを変える良くする

インターネットによってジャーナリズムは、その社会的教育的役割を新しいやり方で充足できる。たとえば、情報を、絶えず変化する連続的な過程として提示することができる。印刷メディアのもつ、情報の変更不可能性が失効したことは、とても良いことだ。この新しい情報世界で生き残るためには、新しい理想主義と、ジャーナリストとしての新しい考え方と、この新しい可能性の世界の探求をおもしろいと感ずる感性が必要である。

7. インターネットは網の目のようなつながりだ

リンクは網の目と目の接続であり、結びつきだ。私たちは、リンクを通じてお互いを知る。リンクを使わない者は、情報の社会性を拒否する者である。従来のメディア企業のWebサイトでも、リンクの重要性は同じである。〔訳注: これは旧メディア業界が抱く「リンクは悪」説への反論。次の項目8も同様。〕

8. リンクされ引用されることは利益だ

検索エンジンやニュース集積サイトは良質なジャーナリズムを支える: それらは、優れたコンテンツを見つけやすくし、長期的にその寿命を延ばす〔訳注: たとえば検索で昔の重要記事が出てきたりする〕から、それらはインターネットという新しい公共空間の欠くことのできない重要な部分である。リンクや引用による参照は、原作者の同意や謝礼のないものでも、情報が社会的に公開されるネットワーク文化の基本的な要素である。リンクや引用は、非難するのでなく保護するに値するものである。

9. インターネットは新しい政治の舞台である

民主主義は参加と情報の自由に上に栄える。政治的な議論の場を従来のメディアからインターネットに移し、活発な参加者を増やして議論を一層活発にすることは、ジャーナリズムの新しい仕事の一つである。

10. 今日の報道の自由は意見の自由だ

ドイツ憲法の第五条は、職業や既存のビジネスモデルに対し特権を認めていない。インターネットによって、アマチュアとプロの境界が薄れつつあるが、そのために報道の自由は、メディア企業やプロのジャーナリストの特権ではなく万人の権利になっている。ある意味では、インターネットの上では誰もがジャーナリストであり、その良し悪しを決めるのはそれがお金をもらっているプロの記事であるかどうかではなく、記事や発言の内容そのものだ。

11. 多いことは良いことだ…情報の過剰というものはない

印刷機は個人の心よりは教会の教えのほうが重要とされた時代に発明されたので、当時教会は、印刷機により教会のお墨付きのない情報が氾濫することをおそれた。しかしその後、個人によるパンフレットの制作発行、百科事典の編纂、そしてジャーナリズムの勃興により、情報の豊富化によって社会と個人双方の自由がより強化されることが証明された。そのことは、今日でもまったく変わっていない。

12. 伝統はビジネスモデルではない

ジャーナリスティックなコンテンツによりインターネット上で収益を上げることは可能である。今日ではその例が多数存在する。しかしインターネットは競争が熾烈なので、ネット社会に合った新しいビジネスモデルを開拓する必要がある。従来からの慣行慣例の尊重や、現状維持の心からは、インターネットに適合した新しいビジネスモデルは生まれない。ネット上の良好な収益性のために、ジャーナリズムは他よりも優れたおもしろいコンテンツを目指して、多くの他サイトとのオープンな競争に日々積極的に臨むべきであり、また単一ではない多面的な収益構造…収益化のための多様な工夫…の実装が必要である。

13. 著作権はインターネット上の市民義務である

著作権はインターネット上の情報企業の大黒柱である。散布の形式と範囲を決める原作者の権利もネット上にはある。しかし同時にまた、著作権は陳腐化した供給方式のための安全装置として濫用されてはならないし、それによってコンテンツの新しい流通形式やライセンス方式が閉め出されてはならない。所有には義務が伴う。

14. インターネットには多くの通貨がある

ジャーナリズムの、広告収入に依存するオンラインサービスは、コンテンツを消費者の商品への関心と引き換えに提供する。しかし、読者の時間は貴重である。ジャーナリズム業界では、伝統的に部数と広告料金の比例関係があったが、インターネット上ではもっと多様な収益源を〔物品販売、有料サービス、有料催事など〕編み出す必要がある。

15. ネットにあるものはネットにとどまる

インターネットはジャーナリズムの質的レベルを向上させる。オンラインのテキスト、音声、画像などは、もはや一時的過渡的ではなく、取り出し可能なものとして残存し、ときにはつねにフレッシュに更新され続ける。このようにしてインターネット上には、現代史の資料館のようなものができていく。ジャーナリズムは情報の解釈とそのエラーをつねに意識し、間違いの認知と修正に関しては透明かつ公明正大でなければならない。インターネット上では修正が迅速に行え、そのコストも低い。

16. インターネット上では質がすべて

インターネット上では各社右へならえの均質的報道やコンテンツが嫌われる。傑出しているもの、信頼できるもの、そして平凡でないものだけが、長期にわたって分厚いファン層を形成する。ユーザの要求は高度化している。ジャーナリズムはその要求を満たすことに専念し、そのためには企業の原則をひんぱんに変えてもよい。

17. すべてはすべてのために

Webは人間の社会活動のインフラとして20世紀のマスメディアより優れている: たとえば”Wikipedia世代”は、個人またはグループで、ニュースの信憑性を自力でチェックしたり、最初のニュースソースを突き止めたり、調べたり、チェックしたり、評価することができる。インターネット上の人びとのそのような活動を冷淡にあしらい、軽視するようなジャーナリズムは、逆にユーザから相手にされなくなる。それも当然で、インターネットはそもそも、受け手と送り手の区別と断絶がなくなった、お互いに平等互角な双方向コミュニケーションの場だからだ。インターネットの上では、送り手が受け手から貴重な情報を受け取り、自己の姿勢を調整する。求められているのは、最初から何でも知っているジャーナリストではなく、人びとと積極的にコミュニケーションし、そこから何かを汲み取ることのできる情報制作者だ。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))