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なぜボストンのルート128号は忘却の中に沈み、シリコンバレーがIT産業の中心になったのか?

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編集部:本稿は、起業家出身の学者、Vivek Wadhwaによる寄稿。同氏は現在カリフォルニア大学バークレー校客員教授、ハーバード・ロースクール上級研究員、デューク大学起業および研究の商用化センター主席研究員を務めている。Twitterアカウントは@vwadhwa

〔日本版:第2~第4パラグラフは未訳につき原文を参照してください。〕

今や誰もシリコンバレーが世界のIT産業の中心であることを疑うものはいない。しかし実は昔からずっとそうだったわけではない。シリコンバレーの圧倒的なダイナミズとネットワークがライバルだったボストンのハイウェイ128号線沿いの地域に勝利した結果なのだ。

しかし、そもそもどれだけの人がルート128のことを知っているだろう? 驚いたことにDuke大学での私の学生も、シリコンバレーで私が出会った起業家たちも、誰一人としてルート128を知らなかった。驚いたというのは、シリコンバレーがボストンのテクノロジー・センターのみすぼらしい従兄弟と思われていた時代はそう遠くないからだ。ルート128はボストンを半円形に取り囲む環状高速道路で、この一帯にハイテク企業が集積していた。1960年代から1980年代いっぱい、ルート128はシリコンバレーなど足元にも及ばぬIT産業を代表する地域だった。今や若いIT関係者はルート128がどこにあったかも、その重要性も知らない。シリコンバレーはボストンを完全に打ち負かし、忘却の彼方に沈めてしまったのだ。

80年代には、シリコンバレーとボストンのルート128は双子のように似ていた。テクノロジー系の大企業とスタートアップが入り混じり、世界のトップをいく大学があり、ベンチャーキャピタルがあり、国防予算が流れ込んでいた。当時、目の利く人間は皆、シリコンバレーよりルート128のほうが将来性があると考えていた。なぜならボストン一帯の方が産業化の歴史が長く、トップクラスの大学の数も多い(ハーバード、イェール、ブラウン、MIT、タフツ、アムハースト)、またベル研究所その他、大企業傘下の研究施設も数多く所在していた。ノーベル賞を輩出したベル研究所のことを聞いたことは? とにかくトランジスターが発明された場所だ。ところがバイオ関係の一部を除いて、ボストンは、ことアメリカのハイテク産業に関する限り、シリコンバレーのはるか後塵を浴びる2位に転落している。ボストンが没落した原因は何だったのか?

当時カリフォルニア大学バークレー校の新進教授だったアナリー・サクセニアン(AnnaLee Saxenian)は1994年にこの問題を詳細に論じた本を書いた。当時ボストンはまだIT産業の中心地の一つと考えられていたにもかかわらず、彼女はボストンをテクノロジー産業のレースにおける敗者と断定し、それが必然的であった理由を述べた。Regional Advantage: Culture and Competition in Silicon Valley and Route 128〔現代の二都物語 なぜシリコンバレーは復活し、 ボストン・ルート128は沈んだか(日経BP) *〕と題されたこの本にボストンのエリートは猛反発した。おかげでサクセニアンは母校のMITの友達からも疎んぜられる羽目になった。

サクセニアンには驚異的なダイナミズムがあると指摘した。プロフェッショナルのネットワークは広汎であり、転職は日常のこと、情報交換はオープンで、リスクを取ることを恐れない文化がある。シリコンバレーのエコシステムは起業家精神、実験精神、協力の精神を鼓舞する。言いかえれば、シリコンバレーは巨大かつオープンなソーシャル・ネットワークそのものだったといえる―当時まだそんな言葉は存在していなかったが。

こういった社会的メカニズムの点でルート128はまったく対照的だった。ルート128を支配しているのは大企業で、その多くはDEC、Wang、 Prime、DataGeneralのような垂直統合された閉鎖的なミニコン・メーカーだった。テクノロジー、経験、ノウハウはこうした大企業の枠の中に閉じ込められて自由に流通することがなかった。

他の側面でも顕著な違いがあった。ベンチャーキャピタリストもシリコンバレーの方がずっと地域のプロのネットワークに根差しており、行動も機敏だった。それに対してボストンの投資家は、主に保守的な大学や研究機関だった。シリコンバレーの投資家は大企業にもスタートアップにも投資したが、ボストンでは大企業しか相手にしなかった。シリコンバレーの実績主義、能力主義の空気は異色の人材は移民を引き寄せた。

90年代の半ばに、ルート128はミニ・コンピュータからパーソナル・コンピュータへのシフトに乗り遅れた。シリコンバレーの柔軟なエコシステムの機動性がチップからルータ、オンライン販売システム、検索エンジンなどアプリケーション・ソフトに至る膨大な要素の急速な革新を可能にした。今日、シリコンバレーはITだけでなく次世代の大きな産業と目されているグリーン・テクノロジーの中心地にもなっている。

ボストンも沈滞しているわけではない。ルート128の産業コミュニティーに投資されるベンチャーファンドの額はシリコンバレーに次いで依然アメリカ第2位だ。ボストンにはトップクラスの研究施設がひしめいている。非常に強力な企業も多い。バイオテクノロジーの分野ではボストンはシリコンバレーと肩を並べる存在だろう。しかし全体としてみた場合、シリコンバレーはボストンのはるか先を行っているだけでなく、さらにリードを広げようとしている。

シリコンバレーにやって来た起業家はすぐに当地のダイナミックなネットワークを感じ取る。そして多くはこの文化を愛するようになる。私自身もそうだ。「ネットワーク効果」は単にファックスの普及を後押しするだけではない。とはいえ、こういったことはわざわざことごとしく述べるまでもなく、皆が本能的に知っている。われわれのような学者は手間暇かけて調査した上で結論を出そうとする。しかし起業家は自らの行動で投票するのだ。

〔* 2009年10月出版の日経BP版は10年前の講談社版(絶版)で省略されていた原注、巻末資料がすべて翻訳された初の完訳となっている。〕

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(翻訳:滑川海彦/namekawa01