SXSWキーノート:Danah Boydがプライバシー、パブリシティーとテクノロジーについて考察

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今日(米国時間3/13)、SXSWiカンファレンスで、Danah Boydがオンライン世界でのプライバシーとパブリシティーの複雑な関係についてキーノート講演を行った。BoydはMicrosoftのニューイングランド研究所のソーシャル・メディア研究員であり、このテーマについて長年にわたって広汎な研究を行っている。Boydは説得力ある言葉で個人情報が「プライベートか公開か」という二者択一的なものではないことを示した。この点を説明する助けとしてBoydはプライバシー問題に関してFacebookとGoogleが犯してきた数々の失敗を取り上げた。以下に講演の内容を簡単にレポートしよう。

Boydは「プライバシーというコンセプトは死んだわけではない」とした上で、情報の内容を自らコントロールできるか否かがプライバシーを考える上で大きな役割を果たしていることを指摘した。つまり、われわれは情報内容をコントロールできない場合にプライバシーが侵害されたと感じやすくなるというのだ。最近も何度かこの例が見られた。

Buzzのリリース時の失敗

こうした失敗の例としてBoydが最初に取り上げたのはGoogle Buzzだ。BoydはBuzzのローンチにあたってテクノロジー的な問題は一切なかったと指摘した。ユーザーはBuzzの利用をオプトアウトできるし、友達リストを非公開にすることもできた。しかしGoogleのテクノロジー面以外における間違いのためにユーザーの心証を著しく害し、PR的には大失敗となってしまった。

  • Googleは公開を前提とするシステムを考えうる限りもっともプライベートなシステム中と統合するという失敗を犯した。非常に多くの人々がGoogleはGmailの内容を世界中に公開しようとしているのだと思った。
  • Googleは「参加したくないユーザーはオプトアウトするから問題ないだろう」と考えていた。過去にも多くのIT企業が「ユーザーはこのぐらい気にしないだろう」と考えて大量の情報を公開し、その後、ユーザーの反発に驚いて取り消すという不手際を繰り返している。
  • 運営者はユーザーに新しい機能について事前に十分理解させる必要がある。運営者はユーザーの理解を得た上で、コンテンツを公開するよう招待すべきだった。

Boydは次のようなだいぶ以前の例を挙げた。チャットルームでは多くのユーザーがお互いに年齢・性別・居住地域を尋ね合うことに気づいたある運営者が効率化を図って、こうした情報を含んだユーザープロフィールをデフォールトで公開することにした。運営者が見落としていたのは年齢、性別などを尋ね合うのは一種の挨拶であり、見知らぬ相手と会話に入るための重要なプロセスだという点だった。こうした情報がプロフィールで自動的に公開されてしまうと、ユーザーはチャットを始めるきっかけを失って気まずい思いをするようになり、サービスから遠ざける結果となった。

Buzzはいってみればソーシャルメディアにおける(物事がほとんど自然でありながら、ほんのわずかに自然でないと返って不気味に見えるという)不気味の谷にはまってしまったといえる。Googleはメールを単なる個人的なネットワークと考えて多階層のネットワークを崩壊させてしまった。

Boydは続けて公開とプライベートの間の境目は必ずしもくっきりした線ではない点について触れた。たとえば、ユーザーがあるコンテンツを公開の場所に置いたからといって、他の場所で利用されることを承認しているとは限らない。同様に、誰でもアクセスできる場所にコンテンツが置かれたからといって投稿者はそれが広く引用されることを望んでいるとは限らない。

Facebookのプライバシーの取り扱いの失敗

Boydが次に取り上げたケーススタディーは、昨年12月にFacebookが行ったプライバシー取り扱いの方針の変更だった。Facebookはプライバシー設定のデフォールトを「誰にでも公開」に変更した。TechCrunchではこの大失敗について詳しく報じてきた。これによってFacebookに生じた被害は向こう何年にも及ぶほど深刻なものだった。

  • Facebookは35%のユーザーが新しいプライバシー方針に関する文書を読み、何らかの設定変更を行ったと発表している。Facebookはこの結果に満足しているようだが、65%のユーザーはコンテンツを全面公開に設定したままであることを意味する。BoydはITに詳しくないユーザーに「現在のプライバシー設定はどうなっていると思うか」と質問した。すると、彼らが考えているプライバシーの設定が実際の設定と合致しているユーザーをBoydは一人も見つけられなかった。
  • Boydは次のような例を挙げた。ある女性は虐待する父親から遠くに逃れて暮らしていた。女性はいっしょに逃れて暮らす母親と話しあってFacebookに加入した。二人はコンテンツのプライバシーを最高に設定しておいた。しばらくはそれでよかったが、12月に女性は何気なくFacebookのプライバシー設定変更に関するボタンをクリックしてしまった(多くのユーザーが同じようにした)。 女性はそれ以後自分の投稿したコンテンツが公開状態にあることに気付かなかった。内容を読めるはずがないと思っていた相手に内容を告げられて初めてこの女性は自分のコンテンツが誰でも読める状態に置かれていることに気づいた。

Boydはまたユーザーの属性によってプライバシーに関する認識が大いに異なることを指摘した。例えば、ティーンエージャーはコンテンツを公開することで得られるメリットを重視するが、大人は逆に公開に伴なうデメリットを懸念する傾向がある。

Boydはあるティーンエージャーの少女の例を挙げた。彼女はきわどい内容、場合によると違法な行為を自認するような内容の投稿を日ごろ繰り返していた。Boydがなぜそんなことをするのか尋ねると、少女は「ティラ・テキーラ”のようなモデルになりたいから」と答えた。この少女はこうした情報の公開によって得られるかもしれない利益を考えているが、それによって失われるものを考えていなかった。

さらにBoydによれば、 ITに関して知識のある人々は「個人が特定可能な情報」について注意を払っているが、圧倒的多数の人々が気にしているのは単に個人的に恥ずかしい情報だった。人々は自分の弱みを共有することによって相手の信頼を得ようとしてプライベートな情報を友達に明かすことがある。しかしFacebookのデフォールトで一般公開のような設定によってテクノロジー的に増幅されると、被害は
大なものになる。

Boydはソーシャルメディアに潜んでいる人種差別主義についても指摘した。昨年のBET〔ブラック・エンタテインメント〕アワードが発表された夜、Twitterのトレンドにはこの賞と黒人コミュニティーに関するキーワードが大量に現れた。これに対して一部のユーザーは極めて人種差別的なツイートを繰り返した。こうしたオープンなコミュニケーションのプラットフォームには依然ヘイトスピーチの問題がついて回る。

Boydはオンライン上のプライバシーに関しては今後もさまざまな困難が続くだろうと結論した。たとえば、教師はオンライン上で職業人として非の打ちどころのない存在を維持できるだろうか? 通常の生活を送っている場合、これは非常に困難だろう。

「結局、プライバシーもパブリシティーも死に絶えはしない。しかしテクノロジーの進歩は今後もその両者に混乱を引き起こし続けるだろう」とBoydは結論づけた。われわれはプラバシーとパブリシティーを白か黒かの二者択一的に考えがちだが、現実にはコンテンツが置かれた文脈とユーザーの共有に関する意図によってさまざまな色合いに変化するものだということを忘れてはならないだろう。

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(翻訳:滑川海彦/namekawa01