FacebookとTwitterの過去と将来―宿命のライバルは衝突コースに入ったか?

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FacebookとTwitterがビジネスモデルを変えてブランド・アイデンティティーを確立する

ジム・シェリダン監督の2009年の映画、マイ・ブラザー(Brothers)にはジェイク・ギレンホールとトビー・マクガイアという正反対の兄弟が登場する。マクガイアのサムは陸軍大尉で勤勉な家族思いの男だ。ギレンホールのトミーは正反対で、最近刑務所を出たばかり、人生の失敗者、自分のことしか眼中にないろくでなし。ところが、事情が急速に変わっていく(いや、ネタばれしていない。みんな予告編に出ている)。サムは性格おかしくなり、粗暴になる。逆にトミーが勤勉な家族思いの男に変身する。2人の唯一の共通点はサムの妻、ナタリー・ポートマンのグレースへの愛だ。

テクノロジーの世界の話にすると、Facebookが勤勉なサム、Twitterがぐーたらな弟のトミーという役回りだ。グレースは、われわれ、つまりインターネット・ユーザー一般である。われわれがFacebookとTwitterの最近の変容を目にしてとまどう中、’どちらもわれわれの愛を求めている。

比喩はともかく、私が言いたいのはTwitterとFacebookが互いにますます似てきたということだ。この事実は明白だと思うのだが、最近のFacebookのプライバシー騒動の陰に隠れてあまり指摘されていない。もしFacebookが始めからTwitterのようだったら、というのはつまり(ユーザー・データの公開範囲に関して)もっとオープンだったら、そもそもこんなプライバシーの侵害だという反発は起きていなかっただろう。もっともクローズドだったからこそFacebookは今日のように5億人近いユーザーを抱えるまでに成長したのだという指摘があるかもしれない。しかし、当初から情報をウェブ全体にオープンにしているTwitterも1億ユーザーを超えて増加中なのだ。

私はこの2週間ほどの間、Facebookのプライバシー問題について投稿された記事をかたっぱしからよんだ。その中にはScobleの極端なプライバシーなんて要らないという意見や、同じくらい極端なJason CalacanisのZuckerbergなんて要らないという意見もあった。TechCrunchではPaul Carrが「Facebookにプライバシー問題などはない、なぜなら始めからプライバシーなんかなかったのだから」と書いた。WiredのRyan Singelは「 Facebookのプラバシーは死んだ、Zuckerbergは自分の作ったものを壊している」と書いた。GigaOmのMathew Ingramは「Facebookのプライバシーは生きていると死んでいるとも言えない。問題は複雑だ」と言いたいらしい。 私の見るところ、Inside FacebookのEric Eldonの詳細な記事がもっとも事実に近いと思う。実際、非常に複雑な問題であることがわかる。

Facebook

なぜそうまで問題が複雑化しているのかとえば、根本的な原因はFacebookがTwitterに変身しようとしているからだ。この点についてはステータス・アップデートがユーザー・プロフィール・ページの主役の座を占めるようになってから冗談のようにして言われてきた。そして冗談抜きに、ニュースフィードはTwitterそっくりに他のユーザーのアバターがずらりと並ぶようになった。ただし、違いはFacebookの方がずっとデータが多いことだ。Twitterのような140文字の制限などはない。Facebookのユーザーは写真、ビデオ、ゲーム、その他何ギガバイトでも好きなだけ利用して会話を積み重ねることができる。もちろんこれらのデータは当初、プライベート、といっても厳密に言えば友達にのみ公開というプロテクテッド程度のプライバシー分類を与えられていたものが多かった。

ことの当否はさておき、Facebookは、従来のほとんどコンテンツが友達のみ公開のプラットフォームからインターネットの将来の主流となるべく、すべてが全面公開のプラットフォームへの移行を図っている。その点、Twitterは当初から正しいビジョンを持っていた。Twitterでは特に非公開を選択しない限り(それを選択しているのはごく少数のユーザーだけだが)、デフォールトですべてが一般公開だ。

念のために申し添えておくと、私はFacebookの意図は正しいと思う。ただし、移行の手際はよくない。プライバシーの設定は混乱を極めている(現在の「友達」を「友達」と「フォロワー」に2分したらどうか?)ものの、向かっている方向は正しいと思う。

それに私はFacebookなりMark Zuckerbergなりがプライバシーの設定を変えてわれわれを破滅させようとする本質的に邪悪な存在だとも考えてはない。もちろん彼らの動機の一部は経済的なものだ。もしかすると動機の大部分がそうかもしれない。しかし同時にFacebookの人々が最良のサービスをつくり出そうと真剣に改良の努力をしていることも確かだ。

Facebookはここ数年でウェブのあり方を根本的に変える絶好のチャンスに恵まれている。一部のユーザーはそれに嫌悪を抱いているようだ。もっとオープンに受け入れている人々も多い。しかしその変化が起こるのは必然だクローズドなシステムのユーザーはしだいにオープンな使い方をするようになる。これは時間の経過に連れて起きる必然的な傾向だ。Facebookもこのことを認識しているだろう。それがFacebookがコンテンツのオープン化を図る理由だ。ウェブを長期間にわたって支配するため、Facebookはその鷹の爪(データ)をウェブの主要な構成要素に食い込ませている。

もしFacebookないしZuckerbergが邪悪だと思うなら、それについて記事を書いたり’、そうするつもりだとTwitterで触れて回っていても仕方がない。すぐにFacebookを止めればよいだけのことだ。そうできないのなら、その理由があるはずだ。

もちろん、たいていのユーザーはFacebookのアカウントを削除したりはしない(そうすると脅しているユーザーでさえたいていはできない)。歴史(といってもここ数年のことだが)が示すところによれば、Facebookのユーザーは何か変更があるため
やかましく騒ぎ立ててきた。ボイコットする、ライバルのサービスに移ると脅す声も上がった。訴訟も多発している。しかしFacebookはそれらに耐え、繁栄を極めている。

今回のプライバシー騒動はいままででも最大の不平不満を呼んでいるようだ。しかし今回も時が立てば騒ぎは収まる。

ただFacebookには物事をわざわざ難しくする傾向がある。現在彼らは誰も彼もなだめようとしてあれこれ努力を重ねている。Elliot Schrageは、いやに長く、不必要に詳しい、その割りに内容のないQ&AをNew York Time’sに掲載したが、逆効果だった。ときどきFacebookはAppleの真似をしているのかと思うことがある。何か起きても、だんまりを決め込んでユーザーの声に率直に返事をしないのだ。即刻答えるのが問題を長引かせない一番の方法なのだが。代わりに、翌日になってから全員による反省会を開いて失敗から教訓を学ぼうとしたりしている。

ご苦労さまなことだ。

私のアドバイスは簡単だ。Facebookは始めたことをそのままやり抜くしかない。傷口から一旦はがしたバンドエイドをもう一度貼り直して、次にゆっくり剥がそうとしても意味ない。傷口を余計に痛めるだけだ。

Facebookが注視しなければならないのはユーザー数だけだ。ウェブ中で全員が文句を言っているように見えても、ユーザー数の増加が止まるのでなければ気にすることはない。FacebookはTwitter(ただし、さらに巨大で強力な)に変身することを決意したのなやり抜くしかない。しかしその過程をスローダウンするということは、その方針にFacebook自身が自信を持てないでいるように見える。

現時点でこれは最大のミスだ。ソーシャル・ネットワークは批判されてダメになるということはない。ソーシャル・ネットワークがダメになるのはイノベーションができなくなったときだ。そのとき、ユーザー成長曲線に追いつかれてしまうのだ。

Twitter

Twitterは依然としてユーザーの先を走っている。140文字のメッセージを交換するだけの単純きわまりないソーシャルネットワークと見ているだけではそのことは分かりにくい。しかしまず第一に、Twitterはコンテンツをオープンにするという正しい基礎を築いている(前述のようにFacebookはまだこれに成功していない)。

そのルーツからして、TwitterはFacebookと正反対だった。Twitterがローンチされたとき私は(それをいうなら開発者のJack Dorseyさえ)、このサービスがある日ソーシャル・ネットワークの将来を変える存在になろうとは思いもよらなかった。当時は単に「今何している?」というステータス・メッセージを交換するツールに過ぎなかった。SMSやハガキに似ていた。シンプルで短く、簡単だった

それがある日、ブレークした。

そうしてFacebookとは反対の問題に遭遇することになった。コンテンツのオープン化は当初から確立されていた。しかし、Twitterはその基礎の上に価値あるデータを含んだ構築物を作り上げる必要に迫られた。当初Twitterの機能はきわめて限られていた。できることといえば公開メッセージ(普通のツイート)、ダイレクト・メッセージ(DM)、相手を指定した@付き返信くらいのものだった。今や機能はずいぶん豊富になった。公式リツイート(RT)、ユーザーリスト、検索等々。またTwitterは以前に比べてはるかに信頼性を高めつつある。

APIを利用した注釈機能Twannotationの導入に踏み切ったことでTwitterは複数のレイヤーの情報を扱う方向に踏み出した。考えてみると、これはFacebookが現在やっていくることと重なる方向だ。ユーザーがある映画を気に入ったとしよう。Twitterでそのことをツイートする際に、注釈機能が利用できるようになると、Twitterで映画を推薦するのが非常に簡単になる。 IMDbのサイトを訪問してFacebookのLikeボタンを押すのと同じことがTwitterでも可能になるのだ。ユーザーはまた自分の「お気に入り」に好きな映画を追加できるようになる。

Twitter自身、この新しい機能を利用して得られるハズのデータをどのように利用するか、まだ詳細には考えていないと思う。しかしその点ではFacebookにしても従来から蓄積してきた情報をどう利用するか、まださほどはっきりしたアイディアはないはずだ。

しかしTwitterに注釈機能が導入されようと、写真やビデオの蓄積ではFacebookははるか先を行っているから心配する理由はないのではないか? いや、そうとは限らない。Twitterもきわめて早い段階から写真やビデオをサポートしているのだ。ただし、直接ではなく、サードパーティーを含めたエコシステムの中でだ。このアプローチによってTwitterはすぐには現金化できない資産である写真やビデオのために巨大なデータセンターを建設、維持する負担から首尾よく免れている。

それに、もしTwitterが写真を内部でホストする必要に迫られば、いつでもそうできる。もしそうすることにビジネスモデル上の合理性があるということになれば彼らは即刻実施するだろう。現在のところ写真やビデオを内部でホストするメリットはユーザーの囲い込みにあると考えられている。しかし上述したように、Twitterはこれまでコンテンツによるユーザーの囲い込みという要素なしに1億ユーザーを獲得している。

もう一つ、FacebookがTwitterに優っている分野はゲームだ。もっともこのビジネスモデルにも、Zyngaの例でも明らかなように、厳しい問題がある。ここでもTwitterは内部処理の道を選ばず、サードパーティーによるエコシステムに任せた。そこでFacebookには少なくとも滞在時間の点で巨大な優位性が生まれている。しかしこの優位性を収益化する上でカギになるFacebook Creditについても具体化されるのはこれからだ。ただし、ゲームを自らのプラットフォーム上に抱え込んでいることは、サードパーティーのエコシステムに依存しているTwitterの場合よりも収益化が容易だろう。この点でここ1、2年の間にTwitter側から何か新しい動きが出てくるのではないかと私は観測している。

位置情報(ジオロケーション)についてはTwitterが市場に参入したのはFacebookより数カ月早かった。Twitterはまだ公式の位置情報のチェックイン機能をサポートしていないが、Facebookはどうやらサポ
ートする方向
らしい。しかしいずれにしても両者はこの分野の主導権を競うことになりそうだ。

Twitterの新しい@anywhereプラットフォームはFacebook Connectに対する回答である。しかしFacebookはすでにOpenGraphの導入によってその先に進んでいる。Twitterもさらに新機能を開発して対応しなければならないだろう。

こうして、一見気づきにくいが、Twitterははるかに巨大なFacebookの打つ手にかなりよく対応してきたといえる。繰り返すがこれができたのは、オープン・コンテンツという(当初からそういう意図だったのではないにせよ)Twitterの正しい方向のおかげだった。しかしTwitterにはさらに別の問題がある。

現在Facebookはプライバシー問題で激しい抵抗に遭遇している。一方でTwitterは機能の複雑化という問題でユーザー反乱の危険を犯している。

Facebookは恐ろしく複雑なシステムだ。不必要に複雑といってよい。複雑さの大部分は(プライバシー設定など)各種の設定がきわめて込み入っており、分かりにくいことから来ている。しかしユーザーはそれが元からあったものだったので我慢をしている。Facebookの複雑さは長い間かかって徐々に形成されてきたものだ。

Twitterはこれと正反対で、現在でもきわめてシンプルだ。しかしこのシンプルさのために、ここに少しでも新しい機能を付け加えると非常に複雑なものにみえてしまう。例えば、公式リツイート(RT)が導入されたときの不満などだ。Facebookの場合と同様、公式RT騒ぎも一過性のもので終り、今では大勢が普通に公式RTを利用しているようだ。しかし、こうした反発は新しい機能が追加されるたびに繰り返されそうだ。

もう一つ、Twitterを揺るがすのは、Twitter自身がエコシステムのメンバー(サードパーティー)と直接競合するような行動を取った場合だ。Twitterはその創世期の成長をを非常に強くエコシステムに依存していた。しかしTwitterが次第に自ら独自に機能を追加するようになると、エコシステムのメンバーの間に、無理もないことだが、警戒感が広がっている。TwitterはトップのiPhoneアプリのメーカーを買収し、自らAndroidアプリを開発した。サードパーティーのクライアントと競合するような機能を自ら実装するかもしれないと述べている。Twitterのエコシステムの中で長く暮らしてきた人々にとっては恐怖だろう。

理想を言えば、Twitterには今後とも出来る限りシンプルなままでいてもらいたい。しかし現実の世界ではこれは無理だ。なぜならこれはビジネスだからだ。Twitterが生き延びるためにはユーザーがウェブで情報を共有するハブになっていくしかない。5億人のユーザーが欲しい。もっと大量のもっと多様なデータが欲しい。つまりはFacebookのオープン版の座が欲しいということになる。逆にFacebookは膨大なユーザーデータを持ったTwitterになりたがっている。

Lost

先日、Twitterの「人気ツイート」に選ばれたメッセージに傑作なのがあった。Facebookの友達はというのはいっしょに学校に行った同級生。Twitterでフォローしているのはいっしょに学校に行けたらよかったと思って憧れていた人々”。 これは皮肉が効いている。しかし、もはや両者にはそれほどの差はなくなっている。両者とも今やどちらにも属さない中央部分の草刈り場を目指している。

FacebookのTwitter化が勝つのか? TwitterのFacebook化が勝つのか? まもなくわれわれの眼前で激突が始まろうとしている。近くたいへんな騒動になるだろう。

おっと、ABCの人気番組、Lostのために、もう一組の兄弟のことも思い出されると付け加えておこう。

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(翻訳:滑川海彦/namekawa01