広告に争いを持ち込んだ「Love Apple」広告に効果はあるのか?

次の記事

Skypeの画面共有は仕事用のツールとしてすばらしい(しかも無料)

誰も他に言う人がいないようなのでここで書いておこう。Adobeよ、変な広告キャンペーンはやめるべきだ。自分で自分の首を締めているように思える。

Adobeは技術系の広告スペース(TechCrunchのものを含む)を買い漁るのに大金を投じている。そこで展開しているのはジョブズ相手の喧嘩腰のメッセージだ。こうしたメッセージはジョブズをさらに怒らせるに過ぎない。事態はいたずらに混迷の度合いを深めているに過ぎないように思える。確かに議論は「オープン」かもしれないが、このようなやり方がなんの役にも立たないことは認識すべきだ。

広告の狙いは、見る人々に自分たちが正義の味方であることを印象づけようということだろう。「We Love Apple」と言いながら、本当にLoveな気持ちなど持っていないのは明らかだ。いったいAppleに対してLoveを感じる理由があるものだろうか。現在のところAppleは完全にAdobeと敵対していると言って良い。それでもApple Loveだと言うのなら、何かが狂っているとしか思えない。

つまり広告で本当に言いたいのはAppleへのLoveなどではない。「我々は選択の自由を信奉している。同じように考えている人がいるのなら、ぜひAppleにプレッシャーをかけてもらいたい」というのが本音だろう。ただ、こうした方法がAppleに対しては全く無力であることも理解しておくべきなのだ。このことはApple自体が何年にも亘って明らかにしてきている。Appleは外部の意見などに耳を貸さない。市場調査すら意味を持たない。Appleはやりたいようにやるだけなのだ。このことはApp Storeでも証明されている。膨大な数のブログ記事(TechCrunchでも多くの記事を掲載した)がAppleの閉鎖性や、ときとして偽善的であることを論じていた。それで何か変わっただろうか。答えは否だ。閉鎖性に磨きをかけたとも言えるかもしれない。

もし広告が何かしらの影響を与えるとするなら、広告を見た人がApple製品を買わなくなるという場合だ。しかしこれもあり得ない想定だ。良い製品を作ればそれは売れる。もし作っている会社のことが嫌いだったり、方針に反対する部分があっても、良いと思う製品は買ってしまうものなのだ。結局のところLove Apple広告などは消費者に何のイメージも伝えることはできず、もしできたとしても広告の意見に左右されたりしないということだ。消費者たちは自分が良いと感じたものを購入するのだ。

Adobeとして望みがあるのは政府にかけ合うことだけだろう(やれやれ)。こちらの手段も既に試しているようではある。ただ、これもうまくいかないだろう。Appleは市場における人気を独占しているようではあるが、コンピュータ分野にしてもスマートフォン分野にしても、実際の市場シェアを独占するには至っていない。MP3プレイヤーの分野では独占状態にあったかもしれないが、こちらは産業規模自体が縮小している。iPadについてはどうかと言えば、タブレットコンピュータ自体が新しすぎ、現段階で政府が何らかの規制を考慮することはないと思われる。

つまるところLove Apple広告など、何も益するところはないということだ。

Adobeに対するネガティブなイメージが広がりつつあり、せっかくの広告も台無しという状況になりつつある。但し、これは自ら招いていることでもあるのだ。

Appleが2007年に第一世代のiPhoneをデビューさせたとき、もしモバイル向けの軽量Flashがあれば、Appleも使わざるを得なかっただろう。結局のところデスクトップ用のブラウザではFlashをサポートしたわけで、iPhoneはインターネットを携帯デバイスで利用しようとするものだったのだ。当時、Appleのこの試みが成功するかどうかは全くわからない状況ではあった。この新たな環境を利用して成功を収めるチャンスはみなにあった(Flashにももちろん機会はあった)。しかし当時、iPhone上で動作するFlashはなかったのだ(パフォーマンスやバッテリーの問題だったのだろう)。当時からまるまる3年以上を費やして、ようやくモバイル機器上で動作するFlashが登場してきたというわけだ。

この3年でジョブズは十分検討する余地があった(iPhoneの売上状況など)。そしてFlash必要なしと判断したのだ。iPadが将来のコンピューティング環境に与える影響は未だ不明ではあるが、Flash無用との判断をこちらでも踏襲した。そしてiPadの人気を見たサイトなどもジョブズの側に立ちつつある

Adobeの問題はそれだけではない。

現在AppleがAdobeに対して行っているのと同様のことを、知らず知らずのうちにかは分からないが数年前にAdobe自身が行っているのだ。2005年に刊行されたジェフリー・ヤングとウィリアム・サイモンによる『スティーブ・ジョブズ-偶像復活』から引用しよう(訳注:訳書が手元にないので翻訳は書籍とは異なります)。

ジョブズがAppleに復帰した1997年、Adobeのエグゼクティブを招いてビデオ編集ソフトウェアのMac版を作ってくれるよう頼み込んだ。20年前にAdobeを有名にしたのはジョブズとAppleのおかげであったのだが、この依頼は断られてしまった。

そうなのだ。以後10年ほどAdobeがAppleを軽視していた(ないしは製品によってはMac版を出さなかった)ことは周知の通りだ。こうした流れに着目しているのは私だけではない

もちろん、ひとそれぞれに理由はある。Macのシェアが小さかったのでWindowsに注力したというだけのことだ。しかしそこで意思決定はなされたわけだ。自身で行った決定には責任も生じる。自分の行為を棚上げにして都合の良いことばかりを言い募るわけにもいかないはずだ。たとえばAdobeは次のように言っている。

消費者には、所有するコンピュータ、好きなブラウザ、ないし必要から利用しているハードウェアなどに関わらず、好きなコンテンツやアプリケーションを自由に選ぶ権利があるはずです。

1997年にMacに対して行ったことを思い出すべきだろう。あるいは1998年、ないし1999年のことでもかまわない。当時のMac利用者は「好きなコンテンツやアプリケーションを自由に選ぶ」ことなどできなかったのだ。そしてその原因はAdobeにあったのだ。

思い出は美しいものかもしれない。ただ思い出の背景にあった真実によって痛い目を見ることもあるのだ。

厳しいことを書いてきたが、Adobeの希望が全て断たれてしまったわけではない。戦いに勝利する可能性はまだ残されている。非常に簡単な方法で、Adobeがその可能性を無視して時間とお金を下らない広告に浪費しているのが信じられないほどだ。

Adobeが採るべき方法とは、キラープロダクトを生み出すことだ。

それなしでは立ち行かない製品を生み出せば、Appleも採用せざるを得なくなる。Appleが採用しないなら誰もApple製品を買わなくなるようなプロダクトを売りだせば良いのだ。困難なことではあるだろう。しかし市場に出すプロダクトの目的とはつまりそういうことだろう。「絶対的ベスト」を目指して開発を行っているはずだ。Flashについてはそうではなかったということだ。少なくとも今やベストではないということだ。そのことはAppleの売上成績が十分に証明している。

ただFlashについても関係を深めつつあるGoogleとの連携でブラッシュアップしていく可能性はある。Androidおよび間もなく登場すると噂されるタブレットコンピュータでFlashをより良いものに改良していく可能性は考えられるだろう。成長が見込まれるプラットフォームと良い関係が築けるなら、それを使っていけば良い。そしてAppleが間違っていることを証明すれば良いのだ。Flashを巡る争いに決着をつける方法はそれしかあるまい。

Adobeは広告に争いを持ち込んだ。これは良い選択とは思えない。時は繰り返す。AppleはFlashは無用だと主張した。次はAdobeの番だ。正当な主張なくしては、いつまでも敗者の苦渋をなめることになる。

P.S. あちこちのウェブに、自分たちがいかにオープンなテクノロジーを信奉しているかというメモ書きを掲示するのなら、「®」や「™」の記載についても一考してみてはどうだろう。

[images: Paramount Pictures]

原文へ

(翻訳:Maeda, H)