[jp]なぜGoogle検索ではだめなのか––人生は単純な文字列で表せない

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2010年はインスタントメッセージング(IM)が死んだ年になるのか?

インターネット以前の、いわゆる’パソコン通信’のころには、主催サイト(たとえばnifty)の各種サービスの一つに「売ります買いますコーナー」ってのがあった。とくに、”買います”のほうは便利でよく利用した。たとえば、もうどこでも売ってない、メーカーもサポートしてない古い製品や、その部品、用品などは、必ず誰かが持ってて売ってくれるのだ。それは、助け合いの精神にあふれた、良質なコミュニティでもあった。

かつてのパソコン通信大手の多くは、今ではインターネット接続プロバイダになっているが、niftyのようにプロバイダ化と同時に、ポータル的にいろんなコンテンツやサービスを提供しているところでも、”買います”のコミュニティは消えている。一般向けの、健全で適切に管理された、そしてビジター数が常時多い、”買います”サービスは、私の知るかぎり、ないようだ。あらゆる意味でマイナーな”買います”サイトは、いくつかあるようだが(女子高生の汚れた下着買いますとか)。

“買います”という用語は、どうも稚拙でたどたどしいから、ここで新しいインターネット用語を提案したい。日本語では「オンライン求札ネットワーク」。’求札’は、’入札を求める’、つまり売り手候補を募るという意味だ。’オンライン’を略して「求札ネットワーク」でよい。英語なら’Call for Bids Network’、略してCFBNあたりが妥当だろう。

一般的に手に入りにくい製品や部品などの提供者を探すことが、CFBNの第一の目的〜存在理由になると思うが、しかしそれだけではない。そもそもインターネット上のショッピングというのは、時間と手間がかかり、しかもフラストレーションのたまる行為なのである。なぜなら、どこで、何を、いくらで、どんな納期条件で売っているかということを、この文字どおりグローバルな(==地球サイズの)広大なスペースの上で、ユーザ自身が徒手空拳で–手作業で–調べなければならないからだ(価格.com的な有料会員制のところはその作業を代行してくれない)。

私みたいな、毎日ほかのことで忙しい人間は、インターネットショッピングが嫌いだ。時間がかかりすぎて、疲れる。むしろ、たとえば、「キシラデコール4リットル缶を送料込み8000円未満で今週中に送ってほしい」と、買い手である私がCFBN上に公示して、メールなどでノーティフィケーションが来るのを待つ方が、だんぜん楽である。運良く、6000円台や5000円台で売ってくれるお店や人が、現れるかもしれない。

うちのおやじは90歳代という超高齢なので、もうすぐ確実に死ぬはずである。しかし、死んだらどうしたらいいかというのが、私には全然分からない。「お寺」とか「葬式」、「お墓」といったものには、根っから拒否反応を感ずる文化世代の人間であるし、だいいち、そんなものとつきあえるほどのお金を私は持っていない(こんな本もある)。

これからは、インターネット上のメモリアルサイトの上に、各故人のメモリアルページないしメモリアルサブサイトがあればいいのだ。そこに、みんなが’お詣り’をして、テキストや画像やビデオなどの’お供物’をのこせばよい。料金は、最低の「無料」から始まって、3〜4段階ぐらいあればいいだろう。お骨は、太平洋上の共同散骨とか、どこかの大木の下の共同樹木葬とか、それ的なものでいいや。それももちろん、メモリアルサイトの収益源とする。

ここでも、インターネットビジネスの新語を提案しておこう。オンラインメモリアルサービス、略してOMSだ。残念ながら私は、日本の若者のボリュームゾーン(最多層)の例にもれず 、資本アクセスに完全疎外されている人間–ただし振り込め詐欺はやんない–だが、どなたかが、本当に感じの良い、センスの良いOMSを立ち上げたら、タイミング良く(?)うちのおやじをそのユーザ第一号にしたいなと、ひそかに念願しているのである。〔参考例: ベンチャーが支えるアメリカのメモリアルサイト(ビジネスモデルがまだない段階から投資してくれるのは、すごいな!)。〕

ご近所に、無名だが実にすばらしいイラストレータ(画家と呼ぶべきか)がおられる。技法が独特で、A4サイズぐらいの用紙にクレヨンで絵を描き、その上を、極細の彫刻刀のようなものの先端で、つまり人間の手で、細かく細かくエッチングしていく…クレヨンの表面を掘ってひっかいていく。すごく時間のかかる、気の遠くなるような制作作業だ。

完成した原画は、その細かくて膨大な量のエッチングの奔流が、見る人に、気が遠くなりそうなほどの深〜い、すいこまれるような快感を与える。お世辞ではなく、初めて見るタイプの絵だ。

ところが問題は、今それらの絵は、自費で絵はがきとして印刷されて地元のフリマで売られたり、あるいは本人のブログの上で、いわゆるWebサイズの小さな写真として紹介されている。どちらも小さすぎて、また発色が悪すぎて、原画の、微細なエッチングの大量の集積と奔流がもたらす、美と快感の世界をほとんど伝えていないのだ(原画を想像しながら見ると、Wow!と思ってしまうが)。

だから、写真や絵画、イラストといった美術作品をインターネット上で見せるときには、その美しさやすばらしさをできるだけ最大限、コンピュータの画面上に再現できるための“最適化”という作業が必要なはずなのだ。ただ単に撮った/スキャンした結果の.jpgファイル等をIMGタグで囲めばいい、というものではない。

このような場合に必要なサービスとテクノロジは、これも作りたてほやほやの新語だが、Web for Arts and Artists(WAA)という。このサービスおよび技術の提供者は、PhotoshopやGIMPなどの名人である前にもあとにも、本物の美術的創造性の持ち主でなければならない。視覚的美のノウハウについて、造詣が深いこと。

さて、かつての<はてな>のRimoとか、最近登場したNowmovなどは、YouTubeの”ぐうたら見”を提供するサービスだ。でも、私の個人的趣味でいうと、欲しいものは、どこかの固定(動いててもいいが)カメラのビデオ画像をウィスキーでもなめながら茫然と見ていて、やがて知らない間に寝入ってしまうことなのだ。

そういうリアルタイムビデオは、人のプライバシーを侵さない範囲内で、いろんなものがありえると思うのだけれど、このいわばリアルタイム長時間YouTubeみたいなサイトは、なかなか見つからない。性的なものとか、お笑いものなどではなく、見ててまったく疲れない日常的で平凡な情景がいいのだが。

この、自分の部屋から外の世界を見るための’窓’がたまたま一つ増えたような、Windows to the World Service(WTWS)は、疲れているときにはまったく意味のないものを見ていたいという欲求は、すべての人に普遍的にあると思うから、広告の「目玉」も相当稼げると思う。

以上挙げた4つの例: 1)CFBN(Call for Bids Nework, オンライン求札ネットワーク)、2)OMS(Online Memorial Service, オンラインメモリアルサービス)、3)WAA(Web for Arts and Artists, オンライン美術最適化技術&サービス)、4)WTWS(Windows to the World Service, リアルタイムYouTube)は、実はこの4つの特定のサービスに特別の意味があるわけではない。生活の中のニーズに基づく、あらまほしきWebサービスの例は、読者の心の中にもいくらでもあるはず。(ちなみに私の5)は、DPS(Distributed Party Service, 分散パーティーサービス)だ。事業所や社員が世界中に分散している企業が、楽しいグローバル忘年会などを演出するために利用する。)

検索というものは、必要なものを探し出せなければ意味ないが、今の、Googleに代表されるようないわゆる検索エンジンは、技術の基盤が文字列インデクシングである。だから検索結果の上位10〜20ぐらいの中にすでに、珍妙なものやirrelevantなものがたくさんある場合が多い。また、検索結果が、(単純にインデクシング可能な)”ドキュメント”のようなリソースを指しているのか、それとも”アプリケーションやサービス”を提供するサイトを指しているのか、この基本的な区別すらはっきりしない。

ちなみに上の1)〜4)は、Googleの文字列マッチング検索では役に立つ結果は得られない。たとえば1)は、”買います”でも”Call for bids”でもだめだ(女子高生の汚れ下着のCFBは見つかったが!)。2)や3)では、適切と思われる検索文字列の例すら、思い浮かばない。4)は、”リアルタイム動画”や”リアルタイムビデオ”、”リアルタイムWebカメラ”などでは求めるものは得られない。いずれの場合も、文字列マッチング検索の結果からは、まず、必要とするサービスの存否がそもそも分からない。

一方、毎日のようにTechCrunchやTechCrunch Japanと接していて、いつもいらだたしく思うのは、「どんなにすばらしい/おもしろいWebサービスでも、かんじんのユーザ層(一般大衆〜一般企業)に知れ渡らなければ意味がない!」という思いだ。今のTCやTCjpの形では、記事で紹介されるスタートアップにとって、営業〜経営上のメリットが少ないし、同時に、主宰サイトの収入(広告、物品、有料イベント等による)にも限界がある。

企業や消費者が、なにかしたい・ほしい、と思ったときに、今の原始的な文字列検索のようなものではなく、ザッハリッヒ(sachlich, 言葉ではなく事象による)な検索ができる、という状態を作り出さなければならない。セマンティック検索という言葉は、今、定義の曖昧なbuzzword化しつつあるので、あえて避けて通りたい。

なお、ある程度役に立つレベルに成熟した時点以降のザッハリッヒ検索は、大きなグラフ状のデータ構造の動的定常的な構築をベースとすると思われるので(さらに、いずれはそういうデータ構造が複数個、グラフ〜ネットワークを形成していく)、コンピューティングの、コードの時代からデータの時代への遷移の、基調と基盤を提供するだろう。

p.s. 苔むし、誰も訪れない、石に彫られた文字列になるより、インターネット上のグローバルな、不死の可利用データになるほうが、これからの、死に行く人のシアワセではないかな。

[写真クレジット: Gigazine]