[jp] どうすれば次のGoogleが日本から生まれるのか?ー超交流会で出井氏が語る大転換時代

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6月27日に京都でおこなわれた超交流会2010は京都大学大学院情報学研究科の同窓会が元になったイベントだ。京都のスタートアップ、クエステトラのCEO今村 元一氏を中心に、はてなゆめみランゲートなど京都に拠点を持つウェブ系企業が京都大学に集合し、450名の参加者を前に様々なテーマでセッションを繰り広げた。TechCrunch Japanもデモピットイベントの京都Campを同時開催した。

どうやったら次のGoogleが日本からでてくるのか? ー出井氏が語る大転換時代

メインセッションでは、元ソニーCEOで現在はクオンタムリープの代表取締役、出井伸之氏がネットの出現で大きく変化を迎える日本がどうあるべきか、参加者に向けてメッセージを送った。

「大転換というのは明治維新と一緒で、戦後成功してこういう国をつくった。じゃあ21世紀はどうなるか、ということ」。産業中心の資本主義で生き続けられると考えていた日本も、世界をみると中国やインドなど続々と追いかける国が出てくる。出井氏は日本が過去の延長線上でいつまでも同じことを考えていてはいけないと警鐘を鳴らす。

「日本のIT産業に欠けているのはGoogleのようなプラットフォームの概念がつくれなかったこと。次のGoogleが日本からどうやったらでてくるのか」。その原因が社会的な縦割り構造にあると指摘する。

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「今は世界中が繫がるクラウドの時代。繫がっているということがどういう意味かもう一度考えないと」。クラウドのようにいつでもどこでも繫がっているという意識が、横への展開を生み出し、それが新しい変化に発展する。

「日本が日本の価値に気付かない限り、日本で何かをおこして世界を変えることなんて無理。日本の得意な分野を大切にして和を広げていくのがいいんじゃないのかな。日本の技術を待ってる国は沢山ある」とも。

ネットは単なるインフラやアプリケーションではなく、新しい生活プラットフォームになりつつある。ソーシャルウェブは人間関係をリアルタイムに繋ぐようになり、時間と空間を超えてビジネスを活性化させてくれる。産業資本主義中心だった戦後日本からの大転換は、日本から「次のGoogle」が生まれてはじめて実感できるようになるのだろう。

「まずは目の前のことを一生懸命やればいい」ー京大出身の起業家が語る、学生起業の現実

超交流会は3つのメインセッションと11のテーマセッションにわかれて実施された。なかでも京都で産声を上げたはてな代表の近藤淳也氏、ゆめみ代表の深田浩嗣氏、ランゲート代表の喜洋洋氏が参加したセッションは、のぞみ代表の藤田功博氏をモデレーターに、スタートアップするときの現実的な話題が豊富に語られた。

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海外での体験が起業につながる

起業のきっかけは三者三様と思いきや、全員海外体験が元になっているという。「99年に大学院生でアメリカにインターンで3カ月程過ごした。自分で立ち上げてやっていくことのハードルが高いという印象がなく、シリコンバレーという風土もあって、学生ながらにおもしろいなと単純に思った」という深田氏は帰国後にモバイル開発の仕事を開始する。

喜氏も「中国語ができないので上海にいった。相互学習のアイデアはそこで生まれた」。帰国後にmixiが流行しているのをみてランゲートを立ち上げたそうだ。

近藤氏は「京大でサイクリング部に入っていて、日本や海外を津々浦々旅行しまくっていた。アメリカ横断したとき、京大という言葉が全く通じなかった」自分の前提としているものが通用しなかったことに衝撃を受けた同氏は、人生について考えたそうだ。

「死ぬときにいい人生だったなと思えるようにしたいと強く思った。で、それが何なのかという模索が始まって」これが起業のきっかけに繫がる。ちなみに「最初のサービスが人力検索。自分の父親が検索を結構苦労していた。よくよく考えると気のきいた二個のキーワードを思いつけといっているシステムがいけないなと。そういうアイデアをシステムにして運用する会社をつくろうと」いうのがはてなの誕生秘話だそうだ。

創業時の売り上げをどう立てるのか?

藤田氏は「会社を作ったら人件費や色々かかるようになる。売り上げが欲しくなる。アイデアはあるけど売れるのかどうか?実際は起業した直後はどういう売り上げの立て方は?」と3人に投げかけた。

「どちらかというと仕事の方が先についてきたから、創業の1年、2年はほとんど営業してなかった」という深田氏は受託開発が中心だったため、大量の仕事をどうやってこなすか、ということに苦心したそう。仕事先と出会った場所は交流会。だまされているのでは? という思いもありながら「若かった。何かあってもどうにでもなるわと」やってきたチャンスをきちんとものにしたのが今に繫がる。

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喜氏は「最初からサービスだったので、ユーザーが1000人位しかいなくて全然お金にならない。で、受託やろう、と」当時のパートナーが取ってきてくれたホームページに受託開発の仕事を始めたそうだ。

ランゲートならではの多言語化サイトの仕事はちらほら増えてくるも、やはりサービスがメイン。「2年目は資金調達しようということで個人投資家を紹介してもらった」。調達した金額は4名から合計1000万ほどで、切り詰めながら現在伸び盛りのランゲートを運用しているそう。

近藤氏もやはりサービスがヒットするまで受託開発で運転資金をつないだひとりだ。「人力検索のモデルはそんなに簡単にうまくいくはずもなく、半年ぐらいは無給でやっていたのだけど、もうそろそろ底をつきそうになって」始めた受託開発の利益をサービスにまわす。「創業が2001年で、はてなダイアリーがヒットし始めたのが2004年。受託の時に少ない人数でまわしてきたのが重要だった」と語る。

また、営業については「営業ってまったくやったことがなくって(笑)。 どうやったらできるんだろう?と。京都リサーチパークにいたので、施設内のネットの仕事をくれそうな会社にいってなんかくれませんか?と。 最初はちょっと怖かったけど」と会場の笑いを誘った。

ビジネスとして成功するかどうかの境界線

創業まもなく失敗するスタートアップが多数いるなか、どうやったら生き残れるのか?その質問については「失敗したところがなんで失敗したのかよくわからない。自分達は割と目の前のことを一生懸命やってきたというのがあるのかな」と深田氏。また近藤氏も「成功の秘訣みたいなのがあるとして、成功するまでやり続けるというのが真なのかなと」語った。

起業成功のセオリーのようなものはない。セッションで語られた内容は非常に地味ではあったけど、華々しい面や成功の裏には誠実に仕事をこなし、大切なサービスをどうやったら続けていけるのか、常に考え続ける起業家の姿をみることができたと思う。