[jp]日本は本当に「起業家に冷たい国」なのか?

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磯崎哲也氏はビジネスやファイナンスを中心とするブログおよびメルマガの「isologue」で知られる公認会計士でありシステム監査技術者であり公認金融監査人。さまざまなビジネスについて金融や会計の知識を使いながらわかりやすく解説してくれるisologueは、絶大な人気を博している。ベンチャーについての造詣も深く、氏自ら1998年からベンチャービジネスの世界に入り、カブドットコム証券の立ち上げやネットイヤーグループの設立に携わっている。このほかカブドットコム証券社外取締役、ミクシィ社外監査役、中央大学法科大学院兼任講師などを歴任している。それ以前は長銀総合研究所で、経営戦略・新規事業・システム等の経営コンサルタント、インターネット産業のアナリストとして勤務していた。

2010年10月18日にVivek Wadhwa氏の「日本へ:経済を立て直すには失敗した起業家を尊重せよ」という記事を読んでツイッターでいくつかコメントをさせていただいたところ、西田編集長から「TechCrunch JAPANに反論記事を」というオファーをいただいたので、いくつかコメントさせていただきたい。

私も今月はじめに、「起業のファイナンス」という本を出しており、Wadhwa氏の「起業を活性化させることが日本経済の立て直しのために最も重要だ」という主張とは全く同意見である。

しかしWadhwa氏の元記事の記述には事実誤認も多い。翻訳のニュアンスの問題もあるかも知れないが、「失敗した企業の設立者は社会的被差別者となる。(the founders of failed businesses become social outcasts)」や「誰も彼らと仕事をしようとせず、資金提供をする者もいない。(no one will work with them again or fund them)」というのは事実に反するし、明らかに行き過ぎた表現だ。

さらに悪いことに、日本やドイツの起業家は、刑事処分の対象となり投獄されることもある。(What’s worse: the Japanese and German entrepreneurs may also face criminal penalties and go to jail.)」という記述もそうだ。犯罪を犯した経営者が罰を受けるのは、世界各国、法治国家ならどこでも当然のことである。日本の法令の解釈が堅苦し過ぎるのは事実だと思うが、少なくとも日本では、事業に失敗したという事実だけをもって犯罪になるということはない。

日本は20世紀末に証券ビッグバンがあったばかりで、自由化した証券市場の経験がまだ10年しかない。人々の耳目を集めるのは不祥事なので、それが目立つのは仕方がないが、この10年の間に、日本は多くの成功したベンチャー企業を生み出し、起業の知識をもった実務家や専門家等の層も、格段に厚くなっている。

元記事に取り上げられているドイツも日本も、ともに第二次世界大戦における敗戦国であり、銀行が預金を集め、それを企業に貸し付けるという間接金融によって、戦後の焼け跡から急速な復興を遂げた。このため、金融を中心とする社会のしくみや考え方全体が「銀行的な考え方」に偏っているのは事実だ。すなわち、「確実に」収益を生むものに資金を回し、返済や利払いが行えないものにはペナルティを与えるという銀行的なファイナンスの考え方が、社会のあちこちに浸透している。

しかし、戦後の復興期や高度成長期と違って、銀行は株式市場からのプレッシャーやいわゆるBIS規制を受け、取れるリスクは限定されてきている。また今、世界は国境なきグローバルな競争に突入しており、日本において「確実に成長する事業分野」などというものにはほとんどお目にかかれない時代となっている。こうした時代に、これ以上銀行から資金を既存企業に流そうとしても無理があるのだ。今必要とされているのは「確実に収益があげられる(リスクの小さい)事業」ではなく「やってみないと結果は誰もわからない革新的な(そしてリスクが非常に大きい)事業」なのだから。

そして、そうした事業においては、「銀行からの借入れ(デット)」でなく、大きなリスクが取れる「株式(エクイティ)による資金調達」を志向しなくてはならない。

またそもそも、私の周囲では事業に失敗して社会的に冷遇されているという人というのには、ほとんどお目にかかったことがない。実態は逆なのだ。従来の日本では、高齢になってからでないと会社全体を統括する「経営」を行うポジションに付くことは困難だったので、(Piku Mediaの取締役会でいつもお会いしているJeff Char氏も元記事内で述べているように)、経験ある経営者は圧倒的に不足している。

事業がうまくいかなかった経営者が「今度会社をたたむことになりました」と挨拶して回っている段階で、「うちに来ない?」と何社からも引く手あまたになるケースが、私が知っている限りでもいくつもある。

一言で起業家といってもいろんな人がいる。犯罪に手を染めたり、苦難に陥った時に責任放棄して逃げ出したり、何も知らない取引先に実態をごまかし、債務の額を膨らませるだけ膨らませて倒産するようなアンフェアな起業家をも含めて、「失敗」のすべてを尊敬しろと言っても、それは無理というものだ。それは日本に限らず、どこの国でも同じはずである。

資本主義社会なら当然だが、どんな「風土」の国であれ、「前の事業に失敗したから」というだけで次に起業できるチャンスが生まれるはずがない。「次の起業が成功しそう」であってこそ周囲の協力も得られるのである。次の起業が成功するために、過去の失敗の経験やノウハウ、以前の会社で形成された人脈が生かせることもあるし、投資家等の付き合いの中で「君のスキルセットには、こういう事業が向くのではないか?」とお呼びがかかることもあるだろう。しかし、アンフェアなことをやって倒産した会社の元経営者や、「どうせ俺なんて」と、ひがみ根性が染み付いてしまった取り柄の無い元経営者を、前途洋々な事業の経営者に据える必要なんてあるだろうか? 日本には、いくらでもほかにいい人材が隠れているはずなのだ。

元記事のWadhwa氏の「失敗した起業家を尊重せよ(Honor Your Failed Entrepreneurs)」というメッセージはありがたいが、それ自体は、日本が直面している問題の解決策にはならない。民主国家である日本には、「何を尊重するか」といった個々の人々の思想を強制的に統制する手段は存在しない。

問題は、Wadhwa氏が指摘するような思想の変更や法律の改正というよりも、日本の社会人や学生全体に「新しい時代に必要なファイナンスの知識が無いこと」なのだ。

リスクを大きく取るために株式で投資を受けられないか? 必要な設備投資を減らして銀行の借入れを減らせないか? 借入れをどうしてもしなければいけない場合には、社長が個人保証しなくていい方法は無いか? そもそも全く別の、銀行から資金を借りなくていいタイプの事業をやった方がよくないか……?

まずは、そういったことを考え、専門家や経験者の指導もあおいで、できる限り、「失敗しても大丈夫な態勢」を整えるべきなのである。

知識がないために取ってはいけないリスクを取って失敗してしまったら、いくら「失敗した起業家を尊重する風土」なるものが存在しても、経営者は契約に従ってペナルティーを受けるだけである。つまり、社長が「個人保証します」という契約をしていて失敗したら、保証の履行を要求されるのは当然。日本はアメリカ同様、「法治国家」なのだから。すべてのケースでうまくいくとは限らないが、経営者があらかじめ「個人保証しなくていい方法」を模索することが重要なのだ。

どんな社会にも改善の余地はある。しかし、私は日本はすでに「起業家(特に非常にイノベーティブなことを志向する起業家)に冷たい国」ではなくなっていると思う。

日本はとにかく起業家の数が少ない。しかしそれは「日本が失敗した起業家を尊敬しないから」ではなく、「まさか自分が起業できるなんてありえない」「日本では事業で失敗したら個人破産するしかない」と思い込んでいるからだ。「知識」がないのだ。

つまり、必要なのは、誤った事実に基づいて「日本はダメだ」と煽ることではない。

「どうすればうまくいくか」という知識を広げること、そうした知識をもった経験者や専門家を見つけ出すこと、そして優秀な人材をベンチャー企業の生態系に呼び込み、1つでも多くの成功例を作り出すこと。それらこそが、起業の生態系を活性化させ、日本社会の体質を改善し経済を立て直していくことに繋がるのだ。