Facebookよ、手遅れにならないうちにユーザーデータをユーザーの手に戻せ

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私は今までFacebookのすることについてはおおむね好意的に解釈してきた。特に、プライバシー問題でマスコミの強い批判を浴びたときがそうだった。理由のひとつは、プライバシーに関するユーザーの認識がリアルタイムで変化するものだからだ。数年前、私はユーザーデータの売り買いという行為を非難したが、今ではSalesforceがその会社を買っても誰も驚かない。

Facebookがプライバシーに関するルールを変更して事実上プライバシーを消滅させたときでも、私は落ち着け、様子を見ろというアプローチを取った。データポータビリティーの問題についても同様だった。

この2、3年、われわれはFacebookがユーザーデータを公開してくれるのを待ち続けている。Facebookはユーザーデータに関してはひどく出し惜しみをしており、中でも肝心のデータ、ユーザーのメールアドレスについてはカギをかけて固くしまいこんだままだ。

2008年にRobert ScobleがPlaxoのスクリプトを使って大量にFacebookから自分の友達のデータを収集したとき、FacebookはScobleのアカウントを停止した。当時Scobleの取った方法はスクリーン・スクレイピングと画像文字認識を組み合わせた力技だった。メールアドレスは文字ではなく画像として表示されていたからだ。

この出来事で私はFacebookの立場を擁護した。その理由は、大規模なスクリーン・スクレイピングはシステムに負担をかけて不安定にするおそれがあるし、私のメールアドレスは私のものであって、Scobleのものではないと考えていたからだ。それにもう一つ、Facebookは当時、今ほど巨大ではなかった。既存の巨大企業と戦っている若いスタートアップには多少のひいきをしてもいいと私は考えている。

さて、そういった状況は今やすっかり変わった。FacebookがサードパーティーがAPIを通じて利用できるかたちで自発的にユーザーデータを公開すべきときが来ている。

なお、この記事では 今GoogleとFacebookとの間で戦われているユーザーデータをめぐる争いに立ち入ることは控える(要約はここに)Googleが正しいかどうかということは興味ある問題だが、別の話だ。

ここではFacebookがなぜユーザーがサードパーティーのアプリを利用してメールアドレスを含むソーシャルグラフ情報をダウンロードすることを認めるべきなのか、その理由を述べる。各論点についてはこの後それぞれ詳しく説明する。

1. これはユーザーが希望していることだ。同時にユーザーにはその権利がある。

2. これほど巨大化したFacebookには、インターネットのエコシステムを健全に維持する責務が生じている。またFacebookがサービスをデザインし、利用ルールを設定するにあたってはユーザーの希望が考慮に入れられねばならない。

3. Facebookはユーザーデータを公開しない理由について、ユーザーやマスコミに―今日も―嘘をついている。彼らの動機は「ユーザーを保護すること」などではない。

4. Facebookが先月リリースしたユーザーデータのエクスポートのためのツールは問題から目をそらさせるための煙幕に過ぎず、まったく不十分なものである。

5. Facebookに残された時間は少ない。司法省もクラス訴訟の弁護士もこれほど絶好のチャンスをいつまでも見逃してはおかない。

そうするのが正しいことだからだ。Facebookはわれわれのインターネットのハブになりつつある。ユーザーはたとえ不満があっても、もはやFacebookを止めるわけにはいかなくなっている。何千万人ものユーザーにとってFacebookを止めるのは電話を止めるのと同じくらい深刻な問題となる。つまり「いやなら使わなければよい」という議論が通用しないレベルになっているのだ。Facebookは向こう10年間の独禁法訴訟や向こう数年のクラス訴訟などの標的になりたくなければ、今すぐ対応する必要がある。それは単に正しい行いというだけではなく、有利な戦術でもあるのだ。

Facebookはあまりにも重要なサービスになっている。 この1年、Facebookのせいでインターネットの構造は劇的に書き換えられた。Facebook Connectを始めとするFacebookのデータとツールの利用がこれほど普及した以上、そのあり方はFacebookだけの都合で決めてよいものではなくなりつつある。インターネットの健全なエコシステムを維持するためには、今すぐにも手を打つ必要がある。ユーザーのレベルではFacebookはすでに世界の中心だ。Facebookはユーザーにとって最も重要なアドレス帳であるにもかかわらず、このアドレス帳はユーザーにダウンロードを許さない。

Facebookにはユーザーの声を代表する存在が必要だ。サービスの機能やルールを決めるときには、「どれほど会社の都合を押し通せるか」ではなく、「全員にとって最善の道は何か」を考えねばならない。常にユーザーの立場に立ち、その利益をFacebookに思い出させるための役員を置くべきだ。また社内でその議論をするときには、誰がどういう意見だったかを公開し、透明性を確保するべきだ。

Facebookは嘘をついている。 Facebookの今日の主張は煎じ詰めればこういうことになる。Facebookがもっとも重要と考える原則は、誰もが自分自身のデータを所有しコントロールできるようにすることです。友達リストはたしかにそれぞれのユーザーのものですが、友達の情報はそのユーザーのものではありません。1人のユーザーがメールアドレスを含む他のユーザーの情報を大量に一括して獲得し、利用する権利はありません。それは他のユーザーがアップロードした写真アルバムを一括してダウンロードする権利がないのと同じことです。

これは2年前にScobleに対して用いたのと基本的に同じ議論だ。しかし、それ以後、Facebookはユーザーの友達のメールアドレスを含む情報を大量に一括して外部に提供するようになった―その条件が気に入る限りは。FacebookはMicrosoftに対してYahooに対して、おそらくは他のパートナーに対しても、そういうことをしている。FacebookはMicrosoftとの契約で、自ら設けたプライバシーの原則を自ら破った。この原則はすでに無効になっている。

本音を言えば、Facebookはユーザーの友達のメールアドレスはその友達のものだ、などとは思っていない。Facebookはそのデータを自分のものだと思っている。文字通り所有物扱いしている。だから、「1人のユーザーがメールアドレスを含む他のユーザーの情報を大量に一括して獲得し、利用する権利はありません。それは他のユーザーがアップロードした写真アルバムを一括してダウンロードする権利がないのと同じことです」と言うとき、本当は「ただし、われわれのパートナーが十分利益の上がる条件を提示してきたときはその限りではありません」と付け加えるべきだったのだ。

データのエクスポートツールは目くらましに過ぎない。 先月、FacebookはユーザーがFacebook上に持つ大部分の情報をダウンロードすることができるようにした。多くの人々がそれをFacebookがオープンになってきたことの表れだとして歓迎した。はっきり言ってナンセンスである。もちろんユーザーのデータの一部がダウンロードできるようになったこと自体は好ましい。しかし、この機能はサードパーティーが自動的に使うことが一切できないようになっている。しかもユーザーの友達のメールアドレスは依然として含まれていない。また自分の写真を一括してFlickrにアップロードするようなこともできない。つまりこのダウンロード機能なるものは主としてマスコミへのPR向けであって、本質的な問題の解決にはなっていない。

Faecebookに残された時間は少ない。 Facebookのライバルには限界なき野望と事実上無制限の資源を持ち、それによって政治家に圧力をかけることもできる企業が存在する。もしFacebookが今問題に対処すれば、正しいことをする会社だという評価を深めることができるだおる。何もしなければ、状況は急速に厳しいものになっていく可能性がある。結局同じことをしなければならないのなら自分からすることだ。Facebookはすでに2回もそうして事態を収拾している。度量の大きいところを見せても害にはならない。むしろライバルに対して優位に立つ要因になるだろう。

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(翻訳:滑川海彦/namekawa01