人と話すことも終わりだね–だんだんと

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本誌が最近"死"を宣告したものがこんなにある–まるで墓場だ

最近のTechcrunchは、いろんなものを殺してきた: 音声電話ケーブルテレビマウス、ほかにもまだまだある。恥ずかしながら、このぼくにも、殺してもいいものが一つある…人と話すことだ。それは、効率が悪いし、遅いし、古くさい。何かについて’話す’ことは、人類が少なくとも何千年もやってきたことで、そろそろ新しい技術によって葬り去られてもよい時期が来ている。

話すことに対する攻撃に拍車をかけたのが、最近発表されたFacebookのMessagesだ。このソーシャルネットワークのトップ企業は、コミュニケーションのいろんな方法を作ってきた: メール、チャット、SMS、通知(Notice)、などなど。でもその中に、人と人が実際に話すものは一つもない。

FacebookのMessagesは、検索ができる。人と話しながら、検索をやってごらん。Messagesでは、コミュニケーションの内容をすべて記録できる。これは、話すことよりもずっといい。昨日自分が言ったことを思い出すのは、難しい。三日前なんかだと、もう絶望的だ。

メールやチャットやSMSは、話すよりもずっとはやい。聞き取れる話し言葉は1分間に150語がせいぜいだ。でも、読む場合は毎分250から300語を読める。古めかしい話(音声による)より、断然いい。

人びとの感覚も変わりつつある。すぐ横にいる友人が、声で話さずにIMをくれたこともある。夜中の人気ない編集室で、いるのはぼくと彼二人きりだった。簡単に話せることなのに彼はIMを使った(1980年代のBASYS(のちのiNEWS)を使った、新聞の見出しのような短いメッセージだった)。そのときは、へんなことをするやつだ、と思ったが、でもすぐにその良さが分かった。それは、彼のぼくへの思いやりで、仕事中に話しかけて邪魔をしたくなかったのだ。IMのメッセージなら、こっちの都合のよいタイミングで読める。

話すことは、かなり同期的な(synchronous)コミュニケーションだが、メールやチャットやSMSは同期的にも非同期的にもできる。大勢の人に同時に話すためには、全員が同じ部屋にいるか、あるいは電話会議をセットアップしなければならない。タイプするテキストなら、メールのCCのように、簡単に一斉同報ができる。こういう、話をしないコミュニケーションは、今では多くの会社で義務化されている。

職場以外の場所、たとえば家庭などでもそれが当たり前になりつつある。子どもに何か伝えたいときはテキスティング(SMS)を使う親が今は多い。夕食の用意ができたら、テキストで食卓に来なさいと伝える。子どもだけではない。レストランでも今は、話をしているよりも、スマートフォンでメッセージをタイプしている人がとても多い。同じテーブルに着いている人同士で、テキスティングをやってる場合もあるだろう。列車、バス、飛行機、それに車の中でも、テキスティングがトレンドだ。つまり人びとは、より少なく話し、より多くタイピングしている。

‘会話’は元々、人と人が実際に会って話し合うことだった。でも、今はそうじゃない。GoogleのGmailは、会話という言葉をメールのスレッドの意味で使っている。

Alexia Tsotsisの最近の記事は、音声電話は死んだと言っている。だから、彼女が、あるイベントの打ち合わせのために、自分の携帯電話の番号をメッセージしてきたのが、意外だった。なんか、言動不一致で偽善っぽいな。なぜ、死んだはずの電話の番号を人に教えるのか、と彼女に尋ねたら、曰く”テキストのためよ、テキスト”。当然だね。Alexiaは、”人にお話をするのは、そろそろ廃(すた)れるわね”とぼくに言った。iPhoneの大ファンであるMG Sieglerも、アプリケーションを使ったりWebを閲覧するだけで、電話はしない、と言っている。彼みたいな人が、今は多い。

人と話をしなくなると、不作法で歓迎したくない’コールドトーキング(cold talking)’を浴びる心配も消える。コールドトーキングとは、人の都合や状況などおかまいなしに一方的に話しかけてくる態度を指す。そういう電話のことは、コールドコール(cold call)という。

でも、友だちや家族や同僚や将来の重要な知己のかたがたは、これからも、どうか遠慮せずにぼくに話しかけたり、電話をしてください。もう人との話はしない、なんて冗談ですよ。だいたいはね。

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))