Ken Olsen
Digital Equipment Corporation
DEC

私を作った人Ken Olsen

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長さ10メートルの巨大タッチスクリーン–同時に100タッチを感取

写真クレジット: Yunghi Kim, Boston Globe

昨夜(米国時間2/7)、Digital Equipment Corporation(DEC)の創始者で、ハイテク産業のパイオニアの一人であるKen Olsenが逝去された。1990年代に初めてコンピュータを知った人は、彼の名を知らないだろうが、今という視野の中では彼は伝説の人物で、しかし個人的には、ぼくの人生にすさまじく強大な影響を与えた人なのだ。

2年前にMike〔本誌編集長Michael Arrington〕が、SGNのファウンダShervin Pishevarの、企業家精神に関するメールについて長い記事を書き、それに対してぼくが、こんなコメントを書いたことがある。そのコメントを、以下に再掲したいと思う(すこし編集した)。

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ぼくが生まれる1年前に…ぼくは今〔2011/2/8〕34歳だ…、父DavidはDigital Equipment Corporation(DEC)に入社した。その会社はぼくの家族全員に深い影響を及ぼし、ぼくとぼくの人生が今ある形をも、その会社が作ったようなものだ。

DECは、愛称/略称で‘Digital’とも呼ばれ、イスラエルでは主に後者で呼ばれていた。同社は、どの側面から見てもふつうではない会社で、30年前のイスラエルでは畏敬の対象ですらあった。今でも思い出すが、父が人びとに、自分はeメールを使っているという話をすると、相手はただ、ぽかーんとした顔をするだけだった(時代は70年代の後期だが)。当時は、通常の郵便ですら貴重がられていたのだから、”電子メール”なんてまるで雲の上のような話だった。

ぼくの記憶の中では、Marc Andreessenがかつて、DECが史上初のベンチャーキャピタルの投資対象だった、と言ったことがある。同社は長年、上にはIBM一社あるのみというメジャー企業で、1987年には「クイーン・エリザベス2」を海に浮くホテルとして借り切り、同社のエキスポであるDecworldの会場として使った。同社は、インターネットが普及する90年代半ばまでは、世界最大のeメールネットワークを持つ企業だった。

父は、家庭につねに必ずコンピュータがある、という状態を維持した。DECのコンピュータだから、必ずモデムがついていた。だから当時から、ぼくの成長環境そのものが、オンラインやネットワーキングが日常的に当たり前にある環境だった。

1984に父の転勤で、家族はボストンに引っ越した。ボストンで過ごした3年間で、今でもよくおぼえていることが2つある。ひとつは、アメリカに来た最初の日に父が、ぼくをToys R’ Us(トイザラス)に連れて行ったこと。ぼくは、あまりにも圧倒されてしまい、何も買わずに店を出た…あんなに大量の玩具を見たのは初めてだった。もう一つの記憶は、当時のまるで絵に描いたようなアメリカふう住宅の居間で、父と一緒にRainbow 100の前に座っていたことだ。父は、DEC Israelにいる同僚と、チャットを始めた。チャットを見るのは、それが初めてだった。1984年だ、手ぶらでトイザラスを出てきた子ども〔7歳〕なのに、イントラネットやルータ、サーバ、モデムなどの概念を完全に理解していた。

あのころを思い出すと、思わず笑ってしまう。

ボストンの3年間では、テレビ漬けにもなった。テレビから、ありとあらゆるアメリカ的なものを吸収し、消化した。

それによって英語がよく分かるようになり、誰も予想しなかったほど早くESLの全課程を終了した。

1991年に父は、新規の支社であるDEC Hungaryの支援に回された。それから3年間、ぼくたちは、一つの国が資本主義化していく過程を、最前列の特等席で見物することになった。DECは、うちの子3人全員が私立校…American International School of Budapest…へ通う費用も払った。でもそのお金のおかげでぼくたちは、異文化と、多様なものの考え方を、深く知ることができた。

ハンガリーでは、父はDECのマシンを2台家に持ってきた。ひとつは家庭用のデスクトップ、もうひとつはぼく専用のラップトップ(ノート)だった。1991年でぼくは15歳、ラップトップは学校へも持って行った。だから、幼児のころすでにオンラインとかネットワーキングとかを知っていただけでなく、大人の文章なんか何も書けない年頃で、コンピュータを携帯できることは知っていた。

家族は、ハンガリーからスイスのチューリッヒへ移った。ぼくは、大学へ入るために合衆国へ飛んだ。父がDECの高給取りでなかったら、それはあり得なかっただろう。

2000年にはイスラエルに帰国してハイテク企業で働いた。ぼくに分かることといえば、それしかない。

早回しして2011年…ぼくは二児の父親になってイスラエルに住んでいる。イスラエルのスタートアップに関する記事を、TechCrunchのために書いている。ぼくはSolutoという会社の製品開発担当で、同社は世界の何十億ものPCユーザをハッピーにするという、慎ましやかな仕事をしている。また、イスラエルのスタートアップの界隈では、ぼくは社交界の名士のような立場になっている。いつも、多くの起業家、投資家、デベロッパ、設計者などと会いまくっているからだ。

ぼくの人生は、とても運が良かったほうだと思う。それは主に、二人の人物のせいだ。一人は父David Carthy、父は1960年にルーマニアからイスラエルに移住した。裕福だった家が何もかも失い、トタン屋根の小屋で暮らしていた。しかしそんな家の子が20年後には家族で世界を駆けめぐり、子どもを外国の名門私立学校や大学で教育できるまでになった。父の志(こころざし)と決意には、並々ならぬものがあっただろう。でも、それもこれも、身を寄せたところがたまたま、DECという会社だったからこそだ。

二人目の人物は、Ken Olsenだ。誰に話を聞いても、あるいは彼について書かれている何を読んでも、彼は謙虚な人だった。テクノロジ企業を興した技術者だが、彼は間違いなく、前世紀のアメリカのもっとも重要な起業家の一人だ。彼は、人間の生活を大きく変えるような会社を作りたいとは思わなかったはずだが、しかしぼくという人間を変えた。だから、今ここに、こうしている。

今日では、Apple、Google、Facebookといった企業が、冷笑をもって迎えられることが、ますます多くなっている。Googleって悪を為すじゃないの、何が一体’オープン’なのさ、’クローズド’って好き勝手ができることかよ、などなど。でも実際には、これらの企業は人間の生活を大きく変えつつあるすばらしい企業だ。子どもたちの、より良き未来も彼らは築きつつある。

それが、ぼくがアメリカで学んだアメリカ的やり方(American Way)だ。そして、それを誰よりも強烈に体現している人が、ぼくが一度も会えなかった人、しかし、その人なくして今のぼくはない、と言える、あの人だ。

ありがとう、Mr. Olsen。

〔訳注: この記事(かんじんのOlsenの話はまったくない!)は、記事本文よりも、原文の最初のコメントが、とてもおもしろくて、しかも感動的です(本文は感動的とはいえない!)。ぜひ、お読みになることを、おすすめします。難しい英文ではありません。〕

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))