さらば、Digg

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シリコンバレーのスタートアップは年老いた将軍に似ている。もはや死ぬことはなく、尽きることのないベンチャー資金とそこそこの収入という救命ボートに乗って浮かび続ける。次第に消えゆき、最後にはかつて彼らが持っていた希望の影ともいえる資産を目当てに買収される。Diggがその道をたどり始めていることは明白だ。まだ会社は死んでいないが、ここしばらくの間影は薄く、その魂はすでに去っている。もはや会社はどうなっておかしくない。とどめは・・・ファウンダーのKevin Rose ― Diggにとって長年偉大な資産だった ― が去りつつあることだ。

私は今インドネシアを移動中のため、これを読む頃にはニュースが古くなっているかもしれないが、他にも感傷的な記事があることをお許し願いたい。Diggは、私にとって常に初期のWeb 2.0精神を代表するサービスだった。Facebookは2000年代中頃のWeb復活を象徴する企業ではない、なぜなら彼らは常に本流から外れた存在だったからだ。しかしDiggは ― Delicious、Six Apart、Flickr、YouTube等々と同じく ― あの、まだ誰もウェブの復活を信じていなかった時代に創設された、ごちゃごちゃとしてリスクの高い企業の一つだった。2000年のドットコムバブル崩壊の傷はあまりにも深かった。当時の会社たちは今のウェブスタートアップのように祝福されることはなかった ― 彼らはあざ笑われていた。人々はファウンダーたちが妄想にとらわれていると思っていた。

当時の起業家たちは、Y Combinatorやスーパーエンジェルから容易に手に入る現金や、TechCrunchの見出しに載るなどという誘惑にかられた今日の若者たちとは正反対だった。彼らは、破れた夢の匂いがまだ漂うようなことをしては何十億ドルもの金を蒸発させていた。彼らをそうさせていたのは、ただ一つ単純な理由からだった。自らを止めることができなかったのだ。

そしてDiggは、十年来のオープンソース開発を活かして恐ろしく安上がりに会社を起こせることを最初に証明し、すごい製品を作るためにテクノロジーの天才である必要がないことを最初に証明し、そして狂気じみたコミュニティーによって一つのサイトが驚くほど速く急上昇させられることを最初に証明した一人である。Diggはそんなムーブメントの中で最大の会社であったことはないが、かなり上位にいた方ではあり、何か持っているサービスだった。彼らはごく普通の存在だった。私が2006年にKevin RoseをBusinesWeekの表紙に登場させた理由はそれだった。それは彼にとって初めての表紙であり、私にとって初めての表紙であり、全国誌がWeb 2.0ムーブメントを表紙にした初めてのケースだった。

その表紙は ― ニューヨークの狡猾な編集者たちが部数を伸ばそうとでっち上げた煽情的な見出しと共に ― 多くの反感を呼んだ。あれは私が論争に巻き込まれた初めての経験であり、BusinessWeekにとって初めての大きなブログスキャンダルでもあった。

しかし、あの表紙は刺激をも呼び起こし、その功績はBusinessWeekでも私でもなく、Digg、Jay AdelsonそしてRoseのものだ。サンフランシスコ周辺の若者がBusinessWeekを読んでいるのを見たのは、あれが初めてだった。マガジンラックには、ビジネス雑誌ではなく、FHMやMaximと一緒に並べられた。そして最近BleacherReportのファウンダー、Bryan Goldbergが私に言ったところによると、2006年にあの表紙を見た時彼は、ビジネス誌を読む時にも、アスリートやロックスターを見る時にも感じたことのない何かを感じたという ― 純粋で激烈な嫉妬を。この男 ― Bill Gatesのような天才ではなくアイディアを一つ思いついただけの若者 ― にDiggが作れるのなら、自分でも、後にBleacherReportとなるものが作れないはずはない、と。それは彼が会社を辞め自らの夢を追いかける一因となった。

情報開示:あの表紙は、おそらく他の誰よりも私を助けた。あれをきっかけに、私は自分のキャリアを変えた本の出版契約をする。そして、あの直後に私はMichael Arringtonに初めて会った。彼はWeb 2.0カンファレンス会場の近くで私に自己紹介し、あの記事を気に入ったと言った。あの友情関係もまた私のキャリアを変えた。そしてあれは彼が数多く私を敵から守ってくれることになる最初の1回だった。

あの時Arringtonが気付いていて、他の人たちが気付いていなかったのは、Web 2.0ムーブメントもさまざまな会社もまだ始まりに過ぎなかったということだった。記事中のYouTubeが$500M(5億ドル)で売れるという記述は、「法外に高額な主張」といわれた。1ヵ月ほど後に、その3倍の金額で買収された。記事にはFacebookにはMySpace以上の価値があるとも書いた。これもすぐに、控え目すぎたことが証明された。ではDiggは?実はDiggについては正確だった。われわれは、この会社が$150M~$200M(1.5~2億ドル)で売れるだろうと言い、その後年月が過ぎる中持ちあがった交渉の中で、少なくとも一件の有望な提示が正確にその範囲に入っていた。しかしDiggは ― FlickrやDeliciousなどの仲間たちとは異なり ― ノーと言った。そして最良の日々はこれから来るように見えた。

いったい何が起きたのか。私が見る限り、Diggは多くのことを正しく実行した。百万人以上の人々がそのサービスを気に入っていた ― 〈狂気じみて〉好きだった。その熱愛ぶりはそれまで見たことのないものだった。Diggはトップクラスの投資家を得た。そして、ビジョンも持っていた。Roseはその使命を果たした。Diggは人々のメディア消費の方法を変える一端を担った。2006年にメディアサイトが尻込みをしていた「共有」ボタンは、今やウェブ中に遍在している。人々はニュースの選別をメディアの門番に頼らなくなった。トップページがどうあるべきかを言う人はいなくなった ― みんなが友の助けを借りてそれぞれのページを作るようになった。

不幸なことに、彼のビジョンの大部分を実現したのはTwitterであり、Diggではなかった。これは、私が以前にも論じたこと― 最初に思い付いた会社がそれで成功するとは限らない ― の実例だ(そしてこれは、Roseがあんなに長い時間Twitterにいることを説明しているかもしれない)。

Diggから得た教訓は、シリコンバレーのエコシステムによって会社の設立が簡単になればなるほど重要になる。つまり、優れた製品は必要だが、十分には程遠いということ。本物の企業を作るのはずっと大変であり、実行力とリーダーシップを要する。ニューヨークに拠点を置くCEOとか、時折気が散る共同ファウンダーといったことが、Diggの最も重要な時に大きな犠牲をもたらした。あの表紙の一年後に私が本を執筆した頃、スタートアップ企業はそのファウンダーの個性を反映していた。当時、Slideは静かな集中力が特徴であり、Facebookは散らかってピザにまみれた寮室のようだった。Diggは? Diggのオフィスは夜には殆ど誰もいなかった。

Diggを辞めた後のRoseとAdelsonが、以前より強くなっているに疑いはない。Zyngaの前に、Mark PincusのTribeでさえ期待に答えられなかったことを覚えている人は殆どいない。Pincusと同じく、RoseもAdelsonも最大の成功はこれから先にある。AdelsonはSimpleGeoですでに進み始めているし、Roseも新しい謎のプロジェクトで進もうとしている。

この記事を嫌う人もいると思う。結構だ。しかし、シリコンバレーで小切手を切っている連中には、Diggが礎いたものに敬意を払ってほしい ― ファウンダーたちが目標を達成したかどうかに関わらず。 先週のAsk a VCでMike Maplesが言ったように、賢明な人たちはいつもこういう連中を支えようとするし 、Arringtonや私のような人間は、再び彼らのような人を発掘するだろう。

それこそが、シリコンバレーのシリコンバレーたるゆえんだ。

写真提供:Thomas Hawk

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(翻訳:Nob Takahashi)