マイクロソフトの「妥協しない」の解釈は、「妥協」の定義そのもの

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一方で、Windowsの開発責任者、Steven Sinofskyは評価すべきである。非常にオープンで先見性があり、MicrosoftがWindows 8を披露することに熱意を持っている。すばらしいことだ。しかしその一方、彼は自らを非常に大きな穴に埋める過程に入っているのではないかと思う。

この数日間、インターネットには新しいWindows Explorerの外観に対する「あえぎ」が噴出した。そこで今日(米国時間8/31)Sinofskyは、Windows 8に対する彼自身の考えをもって回答した。文中で彼が言いたいテーマは実に明確である。「妥協しない」 ― と彼は4箇所で言っている。残念ながことに、実際伝わってきたテーマは正反対だった。

Sinofskyはこう書いている。

われわれはWindows 8の計画を2009年の夏(Windows 7の出荷前)にスタートさせました。開始時点から、われわれのアプローチはWindowsを考え直し、われわれがサポートするユーザーモデル、プラットフォーム、API、そしてアーキテクチャーの最も基本的な要素にまで立ち返ることにありました。ゴールは、妥協なきデザインでした。

そして、

なぜ、ゼロから作り直さないのか。なぜ、デスクトップ機能をすべて外してMetro体験だけを出荷しないのか。なぜ、すべてをMetroに「変換」しないのか。「白紙」の議論は賛否両論よく知られています。われわれは、妥協なきデザインを作るアプローチを選択したのです。

そして、

Windows 8は、今日あなたののPCが持つパワーと順応性をすべて備えながら、ユーザーをMetroスタイルの体験に没頭させます。みなさんが妥協する必要はありません。

そして、

われわれのデザイン目標は明確でした。妥協しない。ユーザーが望めば、Metroスタイルのアプリと改善されたWindowsデスクトップとの間をスムーズに切り替えられます。

私には、果たしてSinofskyが「妥協」の定義を理解しているのか不明だ。彼の記事に対するコメントのいくつかも同じ疑問を呈している。復習しておこう、

妥協、名詞:矛旬する意見あるいは行動の中間状態。両者の譲歩または修正によって達成される。

ふむ、これはWindows 8そのもののように聞こえるが。

Sinofskyの説明にある通り、Windows 8は従来型Windowsと新しいMetroベースの体験の両方を提供する、それは、どちらのやり方を取ることにも議論があったからだ。だから彼らは・・・えーと・・・妥協した!

これは重要だ、なぜならこの手の妥協がうまくいくことは稀だから。そう、誰もが今あるものも新しいものも欲しがる。しかし、時にこの優柔不断さをユーザーに押しつけた結果、第3の選択肢を強いる危険を冒すことになる、それは「無」だ。

Frederic Lardinoisがこう指摘している。

問題は、もちろん、果たしてWindows 8ユーザーインターフェースに対するMicrosoftのどこか変なアプローチが、両方の世界の最良部分を提供するのか、完全に分離された2つの体験を提供するだけなのかである。Microsoftの主張は「Windows 8は、今日あなたののPCが持つパワーと順応性をすべて備えながら、ユーザーをMetroスタイルの体験に没頭させます」である。しかし、MicrosoftもAppleも、過去にこの同じアプローチを、メディアに特化したMedia CenterとFront Row体験で試みたが、いずれもユーザーに2つのインターフェースを切り替えされることを説得できなかった。

もちろんAppleも、OS X LionとiOSという二本立てのアプローチをとっている。しかし、この2つは全く別のオペレーティングシステムであり、どのデバイスにおいても共存していない。たしかにOS X LionはiOSの方向に動きつつあるが、これはAppleが未来のコンピューティングとして明確に見据えている方向への遷移だ。iOSはサブ・オペレーティング・レイヤーとして位置付けられていない。そして、OS X Lionで最もiOSライクな要素であるLaunchpadは、最も不満を呼んでいる要素の一つのようである。

以前にも書いたように、私はMicrosoftのMetroのアプローチをかなり気に入っている。しかし、気に入っているのはスマートフォン(もしかしたらタブレットも)環境での話だ。Windows自身に代わるものとして、どれほど好きになれるかはわからない。しかし、実際に使ってみる前に知ることは不可能なので、待つしかない。

私は、Windowsの将来は単純に一つのアプローチで行くのがよいと思っている。Microsoftが、それを恐怖に感じていることは理解できる。私には、Sinofskyの記事全体が一種のお詫びに見える。Microsoftは、自分たちがWindowsを再考し作り直す必要があることを知っているが、全面的にそれにコミットできない。なぜなら、数億人の既存ユーザーを遠ざけてしまうリスクを冒すことになるからだ。

しかし、いずれはMicrosoftも決断せざるを得ない。いつまでも優柔不断でいることはできない。いずれ彼らは「妥協」しなくてはならない、Sinofskyが明確にそう考えているこの単語の定義に従うなら。

[原文へ]

(翻訳:Nob Takahashi)