クラクフでプログラミングを独学した連中からポーランドのテクシーンが生まれ育った

次の記事

中東欧のスタートアップは最初から英語で世界を目指す–ブカレストのHowToWebイベントより

最近ぼくが、わくわくしながら訪ねることができたヨーロッパのある都市は、今日のヨーロッパでテクノロジが社会と企業を変えつつあることを如実に示す、すばらしい例だった。そのクラクフ(Krakow, クラカウ(独), クラコウ(英))という都市は、かつてはアウシュヴィッツに近いことで悪名高く、また、宗教も民族も多様に異なる多くの人びとが平和に平凡に暮らしていた社会を、ナチスが無惨にも破壊してしまった都市の例としても、有名だった。ソ連の占領時代は、ポーランドの地味な都市の一つにすぎなかった。しかし、1980年代後期の解放と、1990〜2000年代における強力なポーランド市場の台頭により、クラクフはテクノロジの世界に一角を獲得し、ワルシャワというハブ的大都市とともに、イノベーションの坩堝(るつぼ)となっている。

ぼくがクラクフに飛んだのは、Hiveという、今人気上昇中のスタートアップイベントを見るためだった。このイベントでは、主にポーランドのスタートアップたちが、世界市場を目指して売り込みを行う。そこでぼくが撮った’ミニドキュメンタリー’のビデオがこの記事の下にあるが、それを見ると、ポーランドにおける駆け出しスタートアップたちの雰囲気を、感じることができるだろう。

しかし、この新興の業界を支える立役者は、Applicakeだ。ポーランドと中東欧が今、テクノロジにおける強力な新人プレーヤーになりつつあることを示す、もっとも恰好の例が、この若い会社なのだ。

ファウンダたちに最初に会ったのは3年前で、そのときすでに創業から2年経っていた。Ela、Bart、Pawel、Agata、4人の若きファウンダたちは、プログラミングを文字どおり独学、古い工場を借りてオフィスに、そしてアウトソーシングの請負でスタートすることに決めた。主に西欧の、ゲームプレーヤーたちのためのWebアプリやWebサイトだ。

でも、彼らは、そこらにいくらでも転がっているふつうの会社ではない。

彼らがすぐに悟ったのは、必要とする人材を生み出すためには、当地のテクシーン全体の底上げに自ら尽力する必要がある、ということだった。彼らは各地でミニ集会を開き、CEOのEla Madej(両親が二人とも当地草創期のコンピュータ科学者)は西欧のテクカンファレンスを訪ねてまわり、VCたちとのコネを築いた。それだけではない、彼らは意図的に、ブログとツイートを英語でやった。ぼくが彼らのことを知ったのも、そのおかげだ。

さらにもっとも重要なのは、アウトソーシングではない独自製品を作って、スタートアップの世界へ入っていったことだ。今でもApplicakeは、いくつかの人気スタートアップのための製品開発を手伝っているが、しかしその一方で、FutureSimpleと名付けた中小企業向けのアプリケーションシリーズを、独自開発している。

クラクフでは運良く、ciufcia.plのRafał Hanにも会えた。これの発音は“ChoofChaa(チュフチャ)”で、就学前児童のためのエデュテイメント(edutainment)ゲームをやっているポーランド最大のWebサイトだ。幼児が、蒸気機関車を走らせながら英語を覚えるとか、玩具を売るショップAngry Bords(not Birds)がある、といったサイトである。

では、下のビデオでクラクフのテクシーンの感触を味わっていただこう。

[原文へ]
[jpTechCrunch最新記事サムネイル集]
[米TechCrunch最新記事サムネイル集]
(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))