Mediaが“Me”で始まることを忘れるな–メディアの未来は個人化の成否が握る

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編集者注記: ゲスト筆者Ben Elowitz(@elowitz)は、Wetpaintの協同ファウンダでCEOだ。同社は、ソーシャルなWeb上にコンテンツを配布しているメディア企業だ。Wetpaintの前には、ElowitzはBlue Nile(NILE)の協同ファウンダだった。彼はDigital Quartersで、デジタルメディアに関するブログを書いている。

人間という種に神が与えた最大の贈り物は、疑問の余地なく、コミュニケーション能力だ。私たちは、画像や話し言葉や書き言葉や音楽などなどを駆使して考えを創りだし、送り出し、そして吸収できるし、そのための強大な自由を持っている。しかしそれでも、人類の誕生からごく最近までの長きにわたって、メディアという技術の現状は、洞窟の壁画からほとんど進化しなかった。

このことを、もっと深く考えてみよう:

コミュニケーションの大名人と言われるような人は、メッセージを最重視しない。彼/彼女がまず注意を向けるのは、その場のオーディエンスだ。まず事前に、今日のオーディエンスはどんな人びとであるか、その背景的事実を詳細に調べる。また会話の現場では、相手のちょっとしたリアクションを見逃さない。そして、話し方などをリアルタイムで微調整して、話の趣旨がもっとも明確に伝わるよう努める。でもそのために、秘密の公式があるわけではない。幼児ですら、注意深く親の反応をうかがいながら、親が自分に関心を向けてくれそうなアクションや言葉を選ぶ。つまり、最大のコミュニケーション効果が得られるように、相手に合わせるという努力をするのだ。相手とは、それぞれ独自の個人や個人の集合である。

しかし、これまでのメディアはオーディエンスを無視してきた。

それが、今となってやっと、いわゆる個人化技術によって、その目と耳をオーディエンスに対して開こうとしている。これからのメディア産業を抜本的に変えるものが、個人化だと私は信ずる。

個人化(personalization)に話を進める前に、これまでのメディアは、どこが間違っていたためにオーディエンスとその性格や反応等に対して盲目であったのか、それをまず考えよう。

印刷や放送の世界には、オーディエンスの関心や反応に関するデータが本質的に欠けている。だからそれらは、”部屋を読む”*ということができない。彼らの目の前にずっとあるのは、漆黒の闇だけだ。メディア世界のリーダーたちが目を閉じていたのなら責められるに値するが、そうではなくて、目を開けていても何も見えなかったのだ。〔*: read the room, 部屋の空気を読む。〕

その結果、メディア世界を長年、二つの実践原理が支配したが、今ではそれらが、時代遅れのアナクロニズムと化している。

最初の実践原理は、編集者は神のお告げをもたらす巫女でなければならないというもの。その巫女たちの超能力によって、オーディエンスの望むものが分かるのだ(私はこれを”編集者神話”*と呼んでいる)。第二の実践原理は、そのようなデータの真空状態の中で作られるコンテンツは、できるかぎり広範囲に散布されなければならない(これを”大量散布の神話”と呼ぼう)、だ。〔*: Editor Fallacy, 編集者という名の欺瞞。〕

この、元々は印刷や放送という古い業界で生まれた二つの想定(編集者の超能力と大量散布の正しさ)が、今のWebメディアの指向性を完全に支配している。

そして、そこから生まれている誤った…Webメディア全体を貫く…公式が、Prophesize, Publish and Proliferate(予言せよ、広めよ、そして増殖せよ)だ。

メディアは毎日、このような古代の占い板を使って、自分たちの憶測が正しく、大量散布が大量のオーディエンスを釣り上げると期待する。憶測が外れると、パブリッシャーたちは声を大音量にしたり、センセーショナリズムに頼ったりする。Huffington Postがそのけたたましい見出しで成功しているのも、ある部分はそのためであり、またあの悪名高いHenry Blodget様のおかげで、私たちもWeb 1.0時代のWebメディアの総体をBlodget化してしまった。〔*: Henry Blodget, 株価に関する報道のいいかげんなセンセーショナリズムで詐欺罪有罪になった人。〕

でも、これからの100年のための新しいメディアモデルを作るために必要なのは、そういう古い誤った原理に退場していただくことだ。そしてメディアのための新しい原理は、オーディエンスの個々のメンバーがこれまですでにやってきたことから、スタートする。それは、それぞれの個人が自分が消費するメディアを慎重に選択し、自分独自の文脈の中でメディアを独自に把握理解してきたことだ。

それをもっとシンプルに言うと、今後のメディアにとっての最大のチャンスは、「正しいコンテンツ」をそれに合った「正しい人」に、「正しい場所と時」において、もたらすことにある。

そしてそうなってこそ、メディアという仕事が真におもしろくなる。

私には私の世界をくれ

Webのソーシャル化により、私たちは個人化された未来に向かう道の半ばまですでに来ている。

私たちは今やっと、Webが人でできていることを認め、Facebookなどは人間とその関係が、Webというグラフの主要な節(nodes)であり稜(edges)であるという状態を作りだした。もうそれは、ページでもリンクでもない。ソーシャルWebは今や人間中心であり、しかもソーシャルはますますWeb全体のオペレーティングシステムになりつつある。もっとも印象的なのは、”友だちが好きなもの”を見つければ、それが、”その人の好きなもの”を知る手がかりになることだ。Webはこのような手法で、人間に奉仕していくための方策をすこしずつ見いだしつつある。

しかしこのような大きな進歩はあるものの、今のWebの大半はデータによって構成され、人びとによって構成されてはいない。サーバのデータはアカウントに結びつき、クッキーはWebブラウザに、そしてアクティビティのログはIPアドレスに結びついている。まさにその人、という”人”には結びついていない。

しかしそれでも、ソーシャル革命が証明しているように、このところの変化の真の価値は、人をIPアドレスやブラウザやアカウントとして見ることを止めることにある。Webは今、これらの向こうにいる本物の”人”に到達したのだ。

だからWebは、サイトの集まりとしてのWebから、人間個人々々の”私”の集まりへと変わっていく。そこに、大きなビジネスチャンスもある。URLやIPアドレスの向こうにあるものは、もはやページでもサイトでもなく、個人なのだ。

メディアは今、重大な変曲点にいる。これからはオーディエンスを、憶測の対象として見ることも、大量散布の対象として見ることも、こんりんざい止めなければならない。「人」として見なければならない。しかもそれは、もはやthemでもusでもなく、一人々々のmeの集まりだ。(Monty Pythonのこのビデオは必見だ。)

したがって、コンテンツの大量散布原理は21世紀の時代精神から完全に外れている。それは”一度だけ作って至るところにばらまけ”というすり切れた呪文を唱えるが、それはオーディエンスが不透明で流通チャネルが一本太いパイプだった時代の遺物だ。この原理と呪文は、オーディエンスを構成する多くのmeたちを、完全に無視している。コンテンツの作成と、配布の、双方において。

メディア体験は、one-size-fits-all(一つのサイズが万人に合う)から、それぞれのme専用へと、変わらなければならない。

未来のメディアはFacebookなどからそれぞれのme(個人)を知り、そのmeに合った世界、そのmeが必要とするものを、提供しなければならない。それらの起源は、もはやどこでもよい。

メディア個人化の六大要素

ソーシャルは、完全に個人化されたメディアに向かう進歩を表しているが、しかしごく一部の要素でしかない。

私の見地では、メディアの究極の個人化に貢献する重大な要素が、少なくとも六つはある。これらの要素は、未来のメディアの、成功の基盤でもある。

  • それはソーシャルである – 私(me)に近い人びと、私にとって重要な人びとに、何が起きているか。それが重要な要素の一つ。
  • それは加工されている – 人は単純にコンテンツのソース(sources, 源)であるだけでなく、コンテンツの加工者でもある。私(me)を知ることは、私好みの加工や制作をしてくれる人たちを知ることだ。
  • それは単なる情報ではなく経験である – Facebookのニューズフィードやタイムラインには、情報の経験化の端緒がある。Twitterの140文字形式は、内輪の人たちには良いかもしれない。でもうちのおじいちゃんには、チンプンカンプンだ。だから、メディアの個人化は形がかぎりなく多様でなければならない。単なる一本のフィードではない。それらが、多くのmeたちが身も心も浸り込むような”経験”を作り出すことによって、より強力になり、強力な収益源にもなる。
  • それはリコメンデーション機能が超優秀である – それは今日のFacebookやTwitterと違って、あらゆるコンテンツではなく、(meにとって)正しいコンテンツを運んでくる。世界を、私向けに正しくフィルタしてくれる。数十億の情報の中から、私にとって重要なものをハイライトしてくれる。
  • それは自己洗練機能がある – たとえば私のためなら、それはデジタルメディアに関するニュースや、私の会社に関する、私の友人によるシアトル、LA、ニューヨークのレストランのリビューに関する、そして冬にはスノウボードのコツに関する、ニュースを自動的にフィルタしてくれる。Glenn Beckに関する記事や、Brian Stelterの最近の発見に関する記事も、持ってきてくれるだろう。もう、”ごみは要らない!”と叫ぶ必要はない。フィルタが、フィルタ自身を掃除し、磨いてくれるから、余計なものは入ってこないのだ。
  • 個人化されるものはコンテンツだけではない – 広告も個人化される。今ある広告の個人化は、とても原始的で、あるWebサイトを訪れたらそこの広告が一週間私をつけ回したこともあった。むしろ、私の地理的住所や関心や意図などに合った広告だけを、見せてほしい。

この六つの要素で今あるものを評価すると、なかなかいい線(近い線)行ってると思うのは、Facebook、Twitter、AOL Editions、最近のFlipboardクローン、NetFlix、そしてSiriでコントロールするApple TVだ。

これらのどれもが、メディアの新しいビジョン: 私の世界を私に持ってこいを、多少なりとも体現している。

データは個人化の通貨だ

新しいメディアとして成功するためには、データ企業でもある必要がある。なぜなら、正しい個人化を支えるのは、正しい、大量の、そして最新のデータだから。データが、個人化を実現するための通貨だ。オーディエンスを喜ばせるための道筋も、データから得られる。

ニュースサイトは、どんな話題や記事を誰に送るべきか、というデータを持っていなければならない。これまでのような、(たとえばスポーツ報道なら)特定人気チームの記事をとりあえずトップに置けば売れる、という根性では個人化は成り立たない。

ニュースの個人化では、Yahoo!が先鞭をつけている。それによって同社の広告収入(CTRベース)は大きく伸びた。私たちも、それを見習うべきだ。

結局のところ、未来のメディアについて言えるのは、もはやコンテンツ先行ではない、「初めに人ありき」ということだ。それは、メディアの性格の180度の転身を意味する。

「何を」ではなく、「誰に」がつねに優先する。

そしてそこに、デジタルメディアの未来がある。それを、今日から、開始する必要がある。なぜなら、オーディエンスは今すでにそれを求めているのだから。コンテンツにではなく、この私自身に関心を持ってくれ、と今日のオーディエンスは叫んでいる。オーディエンスを、真の個人として知ること、そこにメディアの未来が開ける。

あなたがパブリッシャーなら、その課題はこうだ: あなたのオーディエンスの一人々々は、全体としてどれだけ多数であっても、一人々々の個人として、あなたにとってもっとも重要な人である。あなたは、個人にとって意味あるコンテンツを毎日届けることによって、個人と親密になり、個人との関わりを日に日に深化させていく。

画像クレジット: Shutterstock/almagami

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(翻訳:iwatani(a.k.a. hiwa))