マイク・デイジーの苦痛と恍惚

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著名な扇動家、Mike Daiseyのストーリー ― 障害を負った児童労働者たちが、Appleの命令の下Foxconnの邪悪な上司たちから受けた苦難と拷問に関する語られなかった物語 ― の少なくとも一部は捏造だったようだ。彼は、良くて出来の悪いジャーナリスト、悪くすれば詐欺師であることが露見した。はっきりさせておくと、彼はモノロギスト兼劇作家であって、そもそもこのニュースを語る筋合いの人間ではない(彼がその昔Amazonを語った時と同じように)。しかし彼は、多くの創作者がそうであるように、効果を狙って科学や技術に関してまくし立るが、いつも劇的に間違っている。

Daiseyは、意図は良いが厳密さに欠けるダラダラ話のウディ・ガスリーと同じだ。テクノロジー時代におけるわれわれの大いなる罪 ― われわれが使い、愛する物が不幸な人々によって作られなければならない ― を暴露しようとする彼の努力は気高いものであり、彼が何かしらの貢献をしたことを私は信じている。近代的製造業の恐怖を劇的に表現しようとする中で彼が理解していなかったのは、その努力が完全に陳腐だったことだ。自分の鍛冶場で人に強制労働をさせる達人はいない。 薄暗い作業台で労働者の意欲をそぐことに夢中になる番人はいない。そこには明るく照らされた組み立てラインで先輩エンジニアのために働く若者たちがいるだけだ。時間と金を節約するために、エンジニアは部下たちを時間と金の両方を効率化するように働かせる必要があり、その努力に対してわずかな報酬と小さな住居を受け取る。

製造業が恐しいのは、それが労働者を搾取するからではない ― あらゆる計画的活動は、何らかの形で労働者を搾取している。恐ろしいのは、それが世界の消費者の開いた口に消費者製品の無限の激流を送り込むために、資源、そして人間の努力と知性を消費することにおいて、残忍なほど完璧に効率的だからだ。

Daiseyの失敗に関して、人の不幸を喜ぶ気持ちになることは正しくない。むしろ私は、彼の言ったことの殆どが、厳密には真実であることをみんなに思い出してほしい。そして、たとえ彼の話が捏造であっても、虐げられている人々を助けようとする彼の使命は正しく、また真実だった。われわれは彼の事例から、少なくとも、消費を減らし限りなく新しい物を欲しがる気持ちを減らすことを学べる。今後何年かで、Foxconnは変わるだろう。あそこで働く人々は徐々に中国の都市や郊外へと拡散していき、益々器用になっていくロボットに置き換えられていく。男や女が複雑な物を作る時代は、1700年代に始まり、産業革命でその絶頂を迎え、今そのどん底にさしかかっている。工員たちの小さくてすばやい手は、小さくてすばやい金属製の手に取って代られ、深川(シンセン)の肉体労働者たちの役目は終る。これは必然だ。

Daiseyの懸念の数々がこれら変化によって一掃されるまでの間、われわれは期待を加減し、消費を減らし、呪術的パワーを新しいテクノロジーのせいにするのを止めることが可能だ。いや、恐らくそうはならない可能性が高いが。いずれにせよ、100万台のiPadが組み立てラインを流れ、500万の疲れた目が画面の小さな欠陥を探す一方で、われわれ自身の飽くなき欲求はこの地球を荒廃させ、Daiseyがアジアの製造の巨人の無表情な顔に向かって強く訴えようとした人間性から、さらにわれわれを遠ざけている。

彼はジャーナリストとしては失格だったかもしれないが、われわれがあまりにも長い間避け続けてき問題に人間らしさを加えた。少なくともそれに関して、われわれに彼を責めることはできない。

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(翻訳:Nob Takahashi)