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Kwindla Hultman Kramer

「次のこと」の次にやってくる「次の次のこと」

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minority-report-03編集部注本稿はOblong IndustriesのCEOであるKwindla Hultman Kramerの寄稿によるもの。Oblong Insdustries社は、映画マイノリティ・リポートに登場したインタフェースの実現を目指している。同社は現在ボーイング、SAP、GE、などとの取り引きがある。

コンピュータというものは徐々に「より良い」ものとなっていく。60年の間、徐々に処理速度は向上し、小さくなり、そして安くなる。しかしコンピュータが「よりスマート」になるというのは、違った形を取る。すなわち利用範囲を広げて、一層便利なものとなるには、突然変異的な変化を伴うものとなるのだ。

一般的にコンピュータというものは、なかなか面白いものだ。コストパフォーマンスは常に向上を続ける。つまりできることが年々増えていく。新たなエクスペリエンスが形成され、ソフトウェア面でもハードウェア面でも新しいものが生まれてくる。こうした中では、環境全体をとりまく大きな変化よりも、その環境の中における細かい変化に注目が集まることとなる。というのも、エンジニアリングというものは段階を踏んで徐々にプロダクトを改善していくという進み方をすることが多いからだ。またビジネスというものも新たなプロダクト、ないしプロダクトがフィットする市場を見つけ出すということが大事だ。またデザインについても、やはり利用者に既存プロダクトの「わかりやすさ」を提供することが重要となるケースが多い。

こうして「次のこと」が徐々に完成されて、時代が進んでいく。もちろんこれは重要なことであり、進化の経路としても必須のことだ。しかし「次のこと」の先、つまり「次の次のこと」が時代の中から生まれてくることも忘れてはならない。私たち自らは、「次の次のこと」について考え続けることも必要なのだ。

これまで、コンピュータにおける進化というのは、単位あたりにおけるトランジスターの集積数で測られてきた。集積度合いは密になり続け、そしてコンピュータを利用するコストも下がり続けている。この傾向を示す法則は非常に有名で、ほとんどの人が「ムーアの法則」の名前を耳にしたことがあるほどだ。1960年以来、コンピュータの計算能力は着実かつ指数関数的に伸びてきている。しかし計算能力以外の面にも目を向ければ、コンピュータを使ってできることの広がりは、指数関数を超える世界で進化していることがわかる。進化は一般に「連続的」なものだが、しかしコンピュータの応用範囲については、「連続性」を打ち破る「突然変異」的なものとなることがあるのだ。

ここで言う進化というのは、浮動小数点演算回数でのみ測られるものではない。ムーアの法則以外にも、進化ないし制約の要因となるものもあるのだ。そうした要因の中には、技術的なものもあれば、経済的ないし社会的なものもある。コンピュータのパワーをどのような分野で、どうやって使っていくのかという問題は、まさにそうした社会的進化・制約の中で解決されていくものなのだ。

これまでの歴史を振り返れば、モダンコンピュータの世界において3回の突然変異敵進化(「次の次のこと」の実現)があった。ひとつはインタラクティブで多目的なパーソナルコンピュータの実現、そしてグラフィカルインタフェースの実装、そしてウェブだ。1970年代、コンピュータは専門家が使うバッチマシンから、より広い層が利用できるインタラクティブなマシンへと進化を遂げた。このときからデスクトップマシンの時代が始まったと言える。

そのデスクトップ時代を振り返ってみよう。1980年頃にはVisiCalcが登場して簿記作業がコンピュータ上で行われるようになってきた。1983年頃には、WordStar、WordPerfect、そしてMicrosoft Wordがワープロ市場で覇を争っていた。1984年にはCommodoreのホームコンピュータであるC64は100万台以上を売り上げた。この頃がデスクトップ時代の成熟期であったと言えるだろう。そして既に「次の次のこと」を目指す動きは誕生していた。

というのはMacintoshのことだ。AppleがMacintoshを世に送り出したのは1984年のことだった。コマンドを打ち込むのではなく、グラフィックを用いてコンピュータを操作しようとするものだった。Macintoshの誕生は直ちに注目を集めはしたが、しかしGUIがデスクトップコンピュータ界で導入されるのには10年の時間を要することとなった。そしてGUIの導入が完了する頃には、また「次の次のこと」が準備されつつあった。

すなわちNetscapeが1995年に製品を世に送り出し、ウェブというものをコンピュータ利用者のすべての人の目の前に広げてみせたことだ。これに刺激を受けて、MicrosoftやAppleもインターネットというものを真剣に考え始め、そして商業的チャンスを探し始めることとなった。そして、このネットの概念が広がって、コンピュータがユビキタスなツールとなるのには、やはり10年ほどが必要だった。2005年までにはインターネットが日常的なものとなり、「ウェブ2.0」という言葉も生まれた。APIを提供するウェブサービス(Google Mapなど)も増えてきた。

しかしここにきて、「次の次のこと」に向かう動きが見えなくなってしまっている。もしかすると、誕生の時期にいるので見えないでいるだけなのかもしれない。後になって振り返らなければ見えにくいものというのもあるだろう。いずれにしても、いったい何が「次の次のこと」として実現しようとしているのかを考えるのは面白いことだと思う。段階的な進化ではなく、ある意味で破壊的で、あるいは突然変異の要素を持ち、はたまた人々の考え方を全く変えてしまうような、今生まれつつある「何か」とはいったいなんなのだろう。

ここでヒントになるのが、スマートフォンやタブレットというものの存在だ。しかしモバイルデバイスというのは普及し始めたばかりで、こうしたデバイスを使い何ができるのかということについては探り始めたばかりという状況だ。人気を集めているFoursquareやInstagramは非常に優秀で(かつ重要)なものではあるが、こうして目に見えるものというのは、大きな変化の中では氷山の一角とも言うことができそうだ。

現在のこのモバイル黎明期を経て、「次の次のこと」としてやってくるのは、すべてのコンピューティングデバイスを横断的に組み合わせるようなアプローチだ。GUIはデスクトップコンピュータの操作方法を統一した。また、ウェブブラウザはインターネットの草創期にあって、基本的なクライアント・サーバーモデルの標準化に成功した。そして次にやってくる「次の次のこと」は、複数デバイス時代における統合プラットフォームを実現する。

こうして実現される新たなプラットフォームには、まだ名前はない。「ポストPC」というのが一端を示していると言えるかもしれない。「ポストPC」というのは、現在の「パーソナルコンピューティング」をはみ出すものであり、その面では「次の次のこと」にもふさわしい命名だ。しかしともすればデバイスの進化についてのみ使われることもある言葉でもある。今日的技術により構築されつつある新たな事象の可能性全体を言い表す言葉ではなさそうだ。「次の次のこと」としてやってくる全く新しいコンピューティング体験は「ポストPC」という言葉が言い表すことよりも、より広範な影響力を持って実現されることになるだろう。

デスクトップ時代への移行も、その後のGUI時代への移行も、その背景にはムーアの法則があったと言うことができるかもしれない。しかしインターネットのユビキタス化という流れのあたりから、これまでとはやや異なる流れが生じ始めているのかもしれない。確かに「ウェブ2.0」から始まるコンテンツ配信の手法やモバイルエクスペリエンスの向上、あるいはウェブのアプリケーション化というものは、通信費用の低減化のおかげで生じたものでもあり、これはムーアの法則によるものだとも言える。しかし段階的な進化というよりも、ここには概念的にも、アーキテクチャの面から言っても、全く新しいものが投入されてきているのだ。

この「新しい流れ」の中、現在起こりつつある「ポストPCのさらにその先」への移行のいち要因として、ディスプレイの低価格化をあげることができる。ディスプレイの低価格化は、あらゆる分野に影響を与えつつある。あまり多くの事例を検討する余裕はないが、しかし42インチで200万ピクセルを超えるLCDが300ドル以下で手に入るようになっている。こうしてテレビサイズのディスプレイがあちこちに溢れることとなっている。また、数多くの人のポケットにスマートフォンが入るようになったのも、3インチ50万ピクセルのディスプレイが20ドル程度となったおかげだとも言えるのだ。

「次の次のこと」を考えるひとつの方法は、その時代において新しく利用可能になったデバイスが何なのかを見てみることだ。そして現代にあっては、そのデバイスとはすなわち大幅に値を下げたディスプレイデバイスなのだ。それがわかれば、次には当該デバイスを用いて、いったいどのようなことが可能になるのかを考えれば良い。ディスプレイの価格が下がることにより、さまざまな用途でパブリックスペースにディスプレイが置かれるようになってきている。デスクトップや手中のディスプレイとは違い、インタラクティブに使うことはない。しかし家庭内ではリビングルーム、職場では廊下や会議室、ショップでは陳列棚に、展示会会場では壁という壁に、空港や駅でもあちらこちらの壁にディスプレイが埋め込まれている。

ここに新たなものが生まれてくるのだと思う。あらゆるところにディスプレイが進出してきたこの時代は、少ないピクセル数を一所懸命使っていた時代とは根本的に異なるものとなる。個人的にはここで、新たなインタフェースの基準として、「マイノリティ・リポート」が想起される。

各所に存在するようになったディスプレイは、徐々に操作可能なものとなっていくのだと思う。そしてスクリーンを経由して、必要なコンテンツやプログラム、あるいは利用しているコミュニケーションチャネルの全てにアクセスできるようになっていくだろう。自分の持っているモバイルデバイスや自宅用コンピュータ、街にある多種多様なディスプレイのすべてを通じて、自分の周囲に「ネットワーク」を構築して利用できるようになっていくわけだ。

インタフェースのみの問題ではない。こうした処理を可能にするには、アプリケーション(あるいは連動して動くアプリケーション群)開発時における前提要件から、根本的に変えていかざるを得ないだろうことになる。

コンピュータをGUI化するには、GUIによるユーザエクスペリエンスのあり方というものを考える必要があった。単純にCUIモデルに絵をつけるだけというわけにはいかなかった。インターネットを用いたアプリケーションでも同様で、単純にアプリケーションがネットワーク経由で操作できるということが大事なのではなかった。ソーシャルやクラウドソース、サービスモデルに則って、集中型ないし分散型などさまざまな設計思想を考慮に入れたシステムが出てきたときに、種々面白いものが登場してきたのだ。

本稿で言う「次の次のこと」をアプリケーション化する際にも、同様の「飛躍」が必要となる。まず、アプリケーションが個人によって、ひとつのデバイスで、特定のときに利用されるという考えを捨て去る必要がある。アプリケーションは大勢の人によって、いろいろな端末から、さまざまなスクリーンを経由して利用されることになるのだ。こうした動きは徐々に姿を表しつつある。

インターネット上のさまざまなインフラを統合的に利用するアプリケーションは、次第に増えてきている。クラウドとデバイス間における操作状況やコンテンツ処理状況は自動的に同期されるようになっている。利用者は画面間を行き来して操作を継続できるようになりつつある。ブロードキャストされる情報を消費しつつ、ソーシャルにおけるインタラクションも可能になってきている。またこれによって既存のマスメディアも情報提供の仕組みを再考せざるを得ないようになってきている。自分のモバイルデバイスに表示されていた情報を、自分の大画面デバイスで確認することなどは簡単にできる。今いる場所や状況に応じて、スマートフォンは適切な人々やネットワークサービスを識別して、情報を手元に送ってくれるように依頼するというようなこともできるようになってきている。

ただし、こうした流れは生まれてきたばかりだ。こうした流れの中で、面白いツールなどが次々に登場してきて、一層面白い機能がうまれていくのだろう。プラットフォームやツールも新しくなり、標準的技術もハードウェアも、パートナーシップもビジネスモデルも新たなものに生まれ変わり、そして新たな競争や布教活動のようなものも生じてくるわけだ。何が私たちの生活を正しい方向に導くのか、結論を得るまでにはまだまだ試行錯誤が繰り返されることだろう。

このような中、「次の次のこと」をめざすスタートアップが多く生まれて、そして時代を引っ張る役割を担っていくことになるのだと考えている。

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映画「マイノリティ・リポート」におけるインタフェースはJohn Underkofflerが設計したものだ。MITのメディアラボにおける10年の経験に基づくものだった。2006年、Johnと私はJohnのビジョンを実際のものとするため、Oblong Industries社を設立した。つまり私は「マイノリティ・リポート」の世界が実際にやってくると信じているわけなのだ。Oblongは現在、ボーイング、GE、SAPなどと取引関係ないしパートナー関係にあり、そうした中で激動の変革期を迎えようと準備している。

本稿のタイトルは、Michael Lewisの「The New New Thing」という著作のタイトルから考えたものだ。中身も面白いし、このタイトルも非常に面白いと思う。本の方もぜひお読み頂ければと思う。

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(翻訳:Maeda, H)