AnyPerkはどうやってできたのか―日本人初のY Combinator卒業生の半年間(前編)

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テクノロジー業界でスタートアップを起こして、これから活動をして行こうとしている人たちにとって、Y Combinator(以下、YC)の存在は輝いて見えるに違いない。それは米国だとしてもそうだろうし、日本にいる多くのスタートアップにとってもその憧れは変わらないだろう。

AnyPerkはYCを卒業したばかりのスタートアップである。ただ、ほかの数多くのYC卒業生とわれわれから見て違うところは、日本人チームとして採択されて卒業した初のYCスタートアップということだ。国内ではmiepleというスタートアップとして活動していた彼らがYCに採択されるまでから卒業するまでの期間はたった半年ぐらいのことなのだが、どうやらそれはそれで濃密な時間を過ごしたようだ。

ゴールデンウィーク前の取材時にベイエリアにいたAnyPerkの共同創業者の福山太郎と僕はSkypeで話をして、その舞台裏の一部始終を教えてもらった。そこでYCまでの道のりとYCの内側で何が行われていたのかについて、後続を目指す人たちの参考になるように、前編・後編にわけて披露しておこう。

ただし最初に断っていくが、YCはあくまでも起業の通過点でしかないので、彼らが将来を約束されているわけではないし、YCからの投資がすべての人にとっていいというわけではないことに注意してもらいたい。

Paul Grahamとの出会いでYCへの道へ

さて、話は昨年の8月に遡る。Open Network Labの3期生だったmiepleのメンバー、福山太郎とSunny Tsang、高橋篤博は、米国での起業にチャレンジすべくその準備のために日本からベイエリアに訪れていた。滞在中の9月にはTechCrunch Disrupt SFに赴き、その会場でスピーカーとして訪れていたYCのPaul Grahamに突撃でピッチを試みる。実はこれが彼らの米国の起業の方向性を変えることになる。ピッチを実行したのは人懐っこい福山だ。彼の証言から二人の会話はたぶん日本語にするとこんな感じだったのだと想像する。

「僕ら日本からやってきたスタートアップなんです。僕らのビジネスについて話を聞いてください!(おもむろにiPadを取り出してKeynoteでプレゼンし始める……)」
「おい、待て。オレにパワポみたいな資料を見せるな。オレにはプロダクトを見せろ!」(Paul Grahamはプロダクトでしか評価しないので有名だ)
「(あわてて……)あ、あ、オーケー。僕らのプロダクトは……(とっさにiPadのSafariを使って当時作っていたプロダクトのmiepleの説明をする)」
「なんでこのビジネスを日本でやらないんだ?」
「僕らもっと大きなビジネスをやりたいんです。シリコンバレーで」
(そして2、3言会話を交わして……)
「起業のためには本当の覚悟が必要だ。それでもアメリカでやりたいのか? まあいい、お前らはおもしろいから、うちのパートナーを紹介するから話をしてみろ」

そうして、会場にいたYCのパートナーであるHarj Taggerを紹介されるが、結局は時間あわずに2言、3言で彼との話は終わってしまう。

でも福山たちはこのときにある確信を得た。それまでYCは自分たちには高嶺の花で、日本人なんかは投資先として採択しないのではないかと思っていた。しかし、Paul Grahamと話をすることで、シリコンバレーでチャレンジする覚悟さえあれば日本人でもYCの投資先として採択されるのではないかという期待に変わった。

Paul Grahamは何の気なしに福山との会話を許したのかもしれないが、それが福山とYCとの距離を縮めることになった。そうして、福山たちはPaul Grahamに出会ったその日の夜に興奮覚めやらぬままにYCの2012年1月からの投資プログラムへ応募するために書類を送った――。

面接に挑む

米国での起業の下調べを終えて、Open Network Labのデモデーに間に合うように彼らは10月初旬に日本に帰国する。デモデーでは福山らは当然ながらmiepleのサービス内容を投資家の前で発表するが、ステルスモードで開発を進めているために、その内容は僕らのようなメディアでオープンにすることは許されていなかった。次回に詳しく後述するが、これでよかったのかもしれない。というのも、いまではmiepleというプロダクトは存在していないからだ。

話をもとに戻そう。そうこうするうちにYCから最終面接を受けるようにメールが届く。10月の話だ。そして再度、最終面接となるインタビューのために11月に日本を発つ。ひと月ごとに日本とベイエリアをいったりきたりと慌ただしい時間をすごしていることになるが、このとき現地に赴いたのは福山とSunnyの2人で、高橋は日本に残ることになる。理由は少額しか面接のための渡航費が出ないので、金の節約をするために、より英語が得意な2人が出向いたほうがいいと判断したからだった。だが、これが面接当日に功を奏することになる。

いよいよ面接の当日を向かえる。与えられた面接時間は10分。ずらりと並んだYC面接官たちの姿に威圧感を覚えながら、お揃いのTシャツで彼らに挑む―—。

「僕らは日本からやってきたmiepleです。僕らは3人のスタートアップなのですが、ここには2人しかいないんです。もう1人は……(おもむろにiPadを取り出して)Skypeで日本から参加します」
(一同大爆笑)
「おいおい、いままでSkypeでインタビューに参加したやつなんていなかったぞ(といいながらPaul GrahamらはiPadの向こうにいる高橋におどけて見せる)……じゃ君らのプロダクトについて教えて欲しいんだが……(質問がつらつらと続く)」

緊張感ある面接がまさかのSkypeで参加した高橋のおかげで、一気に雰囲気が和んだ。これは考えてもいなかった効果だった。確認できてはいないが、これが彼らを審査員に印象づけたのかもしれない。

とはいえ、面接の質問は矢継ぎ早に繰り出される。それに対して簡潔に答えなければならない。内容は「誰のためのどんなプロダクトか?」「ユーザーの成長率はどれくらいの割合で伸びているのか?」など実際のサービスを運営してきての分析が中心だった。このあたりは最近のこの記事を読めば想像がつくだろう。

徹底して準備する

こういった質問に実は福山らはなんなく答えることができた。それはなぜか。1つはOpen Network Labの3期生として、デモデーを経験して投資家などからの質問に答える準備ができていたことだ。

そしてそれ以上にもっと効果的だったのは、YCの応募面接で何が質問されるのかを徹底的に研究し、そのための答えを準備していたことだ。想定した150もの問答を頭に叩き込んで、面接に挑んだのだ。このために面接までの数日を米国で30人ものYC出身者に会って過ごし、彼らを通じてどんな質問がされたのかを徹底的にリサーチしたのだという。

面接の質問には簡潔に答えることが求められているので、そのための練習もした。だらだら答えない、シンプルな英語にする特訓だ。特に日本人がとっさに答えづらい数字については(たとえばユーザーが何パーセント伸びているかという質問と何人ずつ伸びているかでは答えが違う)英語が自然に口に出るまで練習するという涙ぐましい努力までしている。福山は海外生活の経験はあるが英語ネイティブではない。そういった日本人としてのハンディキャップを克服しなければ、YCの投資プログラムには受からないと思ったようだ。

インタビュー終了後、落ち着かない時間を過ごしていると、その日のうちにPaul Grahamから電話がやってくる。「君たちに投資をしたい」と――。

ここまでがYCに受かるまでの道のりだ。たかだか数カ月の話ではあるが、こうやって振り返ってみると偶然と努力が交差しているのがよくわかる。

福山が言うには、自分たちにはYCにコマを進めるのに少ならからずほかのスタートアップと違ってアドバンテージがあったという。それはOpen Network Lab出身者として過去にメンタリングを受けていたことや、卒業後に投資家めぐりをした経験があって、YCの面接と似たような質問をたくさん受けていたからだ。それにOpen Network Labのネットワークを使って、YC出身者やYCに関連したひとたちに事前に話を訊くことができたことだ。

以前に僕もYCへのインタビューで話を聞いているが、彼らが投資するスタートアップを採択するときには、プロダクトそのものよりも人を見ている。だから、素晴らしいプロダクトを作れること以上に、自分たちがどういった人物なのかをうまく説明できるかのほうが重要なのかもしれないから、彼らの努力の方向性は間違ってなかったのかもしれない。

次回は彼らのYCでの日々に話を移すことにしよう。

(敬称略)