Amazonがプロの書評家を葬った

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著作家はもう、良いレビューを書いてもらうために古臭い文学者たちを喜ばせる必要がなくなった。Harvard Business Reviewの最新調査によると、Amazonのレビュワーの総合評価はあらゆる点で専門書評家に劣っていないことがわかった。

一方プロの書評家たちは、縁故主義に悩まされている。書評家は自分の仲間や思想傾向の一致する著者に、あるいはその本が別の批評家たちから賞を受けた時に良い評価を与える。調査結果は、Amazonが書評プロセスを民主化し、消費者レビューの方が損得に縛られず大衆読者を代表していることを示唆している。たぶん最も重要なのは、これがかつてAmazonを、間違いだらけで無教養な意見の巣窟と評した書評家たちへの反証だということだろう。

作者と商業的関心との間には、編集者による厳格な防火壁がある。しかし「レビュワーは必ずしも客観的評価を与える動機を持っていない」とDobrescu、Luca、Mottaの三教授が専門書評価業界に関する新しい研究の中で言っている。新聞と雑誌は、以前その媒体に書いたことのある著書のレビューを掲載する傾向が25%高い。レビューがやや好意的になるのもうなづける。しかも専門家の書評は自己満足で組織的な縁故主義に陥る。新参の著者は大御所に比べて叩かれやすい、特に何も賞を受けていない場合。

この調査は、学界による消費者レビューへの批判に対する強力な武器を提供した。彼らはAmazonを間違いだらけで無教養なレビュワーによるサーカスと言っていた。

「書評の民主化は、書評の崩壊と同義である」とMorrison Dickstein英文学教授は嘆く。「専門書評家、この文学的アイデンティティーを持ち、編集者たちの厳格な基準を満たさねばならなかった人々は、実質的にAmazonレビュワーに取って代わられた。金を払っている顧客であり、時に巧妙で勤勉で意欲旺盛で、それ以上に陳腐で鈍感で意固地な人たちに。

Amazonには批判精神のないどうしようもない文学ゴロがいることをほのめかす人たちもいる。コーネル大学のTrevor Pinch教授は、Amazonのトップ1000レビュワーの中に構造的腐敗を発見した。彼らの多くが良いレビューを書くことや、悪いレビューを控えることで特典を受けているという。

しかし、もしAmazonが本当に悪の巣窟なら、なぜDobrescuらは、消費者レビューを平均的にほぼ専門家の書評と同等だと評価したのだろうか(専門家に対する偏見がないして)。それらしい答えは、社会科学者が「群衆の英知」と呼ぶ現象だろう。無作為に選ばれた消費者レビューは専門家のレビューと比較にならないが、素人全員の意見を平均すれば、専門家よりも偏見がすくない。

この事実は、Sir Francis Galtonによる有名な発見で、彼は群衆による牛の体重の推定が驚くほど正確であることを見つけた ― 個々の予測は広く分布していたにも関わらず。バカバカしい答えが正しい答えと同じ比率でバラまかれ、まるで地図上に同心円状に散布された点の中心にある宝物のように、真実を浮かび上がらせる(群衆の英知を説明する楽しいビデオが見たければ、Neil deGrasse Tysonが登場するPBSビデオを下に貼ってある)

さらに心理学者の間では古くから、専門家はよく言われているような客観的知的厳密さの源ではないことが知られている。バークレーの政治心理学者、Philip Tetlockが、専門家は未来予測や証拠の解釈において一般人と変わりがなく、ランダムな予測よりも成績が悪いことを発見したことはよく知られている。Louis Menandに言わせると、専門家の「予測は猿の投げたダーツ以下」だ。Tetlockの発見によると、専門家は自らに刷り込まれた世界観による偏向を受けており、高度に洗練された分析によってすでに信じていることを無意識のうちに正当化しているだけである。

言い換えれば、専門家も素人も偏見を受けやすい。しかし、Amazonでは群衆全体にバラまかれた腐敗や党派性や愚行を、群衆が緩和している。一方われわれは専門家のレビューを複数読むことはめったになく、購入意思決定を単一の意見に任せてしまう。

少なくとも、Amazonに偏見があるとしても、消費者にとっては専門家よりもはるかに共通項が多いだろう。というわけで、次のフライトにどの政治暴露本を持って行こうか迷っている人は、洗練されていない民主的群集があなたのことを一番考えてくれていると思って間違いない。

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(翻訳:Nob Takahashi)