Codecademyが“Program or Be Programmed”の著者Douglas Rushkoffをエヴァンジェリストとして招聘
Program or Be Programmedの著者でCNNのコラムニストでFrontlineのドキュメンタリー映画の監督でもあるDouglas Rushkoffが今日(米国時間7/26)自分のブログで、これからCodecademyの仕事をする、と発表した。CodecademyはWeb上で無料のプログラミング学習コースを提供している人気の高いスタートアップだ。Rushkoffによると、Codecademyでの彼の役割は、エヴァンジェリストだ。Vint CerfがGoogleで“インターネットのエヴァンジェリスト”を演じているように、Rushkoffの役もCodecademyの宣伝ではなく“プログラミング大衆化(code literacy, コードリテラシ)”の啓蒙役だ*。
Rushkoffはサイバー文化をその初期から自分の著作に取り上げてきた。彼の最初の本Cyberiaは、90年代初期に書かれた記事を集めている。彼はその後もMedia Virusなど次々と本を書き、またMercants of Coolやdigital_nationなど、Frontlineのドキュメンタリーも監督した。
Rushkoffは2010の著作Program or be Programmed〔仮訳: プログラミングしろ, でなきゃプログラミングされちゃうぞ〕で、コードリテラシ運動の口火を切った。その後、CodecademyやCode Academy、ProgramrなどのWebサービスが登場して、彼らが、プログラミングという技能および概念理解の大衆化に実践的に取り組み始めた。今では、子どもにプログラミングを教える絵本まである。
Rushkoffはすでに今年の1月に、CNNのコラムでCodecademyについて書き、プログラミングの大衆化はきわめて重要である、と述べている:
そして、今の世界にはテキストだけでなく、コンピュータのアプリケーションやネットワークが充満している。われわれは株式売買のアルゴリズムを、その中身を理解することなく利用している。そして、プログラミングの学習はかつては難しくて費用のかかる取り組みだったかもしれないが、Codecademyを作ったドロップアウト学生たちは、まさにグーテンベルグがテキストを大衆化したように、プログラミングを大衆化した。Codecademyへ行けば誰もが、そのシンプルで楽しくて対話的なウィンドウの上でプログラミングの勉強を開始できる。しかも無料で。
Codecademyへの一般的な関心は、とりわけ高い。同社の実験的なカリキュラム“Code Year”には数十万人のユーザが登録し、その中にはなんと、ニューヨーク市の市長Michael Bloombergもいた。先月Codecademyは、Kleiner Perkins、Index Ventures、Union Square Ventures、Yuri Milner、Richard Bransonらから1000万ドルの資金を調達した。
Codecademyは、今後もコースは無料で提供し、コースを終了した人をスカウトした企業に課金することを考えている。もちろん、Codecademyのコースを終了した人が明日から即、プロのプログラマとして仕事ができるわけではない。しかしRushkoffが指摘するのは、GoogleやFacebookなどは人材の獲得のために毎年巨費を投じているのだから、Codecademyは生徒たちの中から見込みのある上位優等生を発見すべきだ、ということ。Living Socialが投資しているHungry Academyも同様のやり方で、有料のプログラミング学習を提供している。こちらは、‘卒業生’が18か月、Living Socialで働かなければならない。
しかしコードリテラシというRushkoffの概念は、プログラミングを教えることだけではない。“デジタルリテラシという問題に対する、たった一つのWebサイトのソリューションを宣伝するつもりはない。むしろ私が強調したいのは、プログラミングが分かるという文化を振興し育てることだ”、と彼は書いている。“それは単なるコンピュータの技能に終わるものではない。今日のわれわれは、プログラムされた世界に生きている。したがって企業や経済における‘コードリテラシ’は、宗教や政治などよりもずっと現実的な意味合いを帯びている”。Codecademyは最近、デベロッパたちに門戸を開き、彼らが作ったチュートリアルを教材として受け入れている。数か月後にはこのサイトは、今よりもさらにおもしろいものになっているだろう。
〔*訳注: 日本語は、illiteracyには“文盲”という最適訳語があり、literacyにはそれに対応する反対語熟語がないので、code literacyの単純明快な日本語化には苦労します。〕