Googleの正体とは?

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google-focused4編集者注 :Benjy Weinbergerは、foursqareサンフランシスコオフィスのリードエンジニアだ。彼は以前、Twitterのインフラおよび収益エンジニアチームで仕事をしており、その前は、Googleで8年間、検索と広告開発の仕事をしていた。

実際のところ、Google の正体は何なのだろうか。TechCrunchの共同編集者であるAlexia Tsotsisは最近、Googleがフォーカスしている、むしろその欠如と受け取られる姿勢に関する興味深い記事を投稿した。Googleはその触手を実に多くの分野へと伸ばしており、上記の疑問を考えるには、かえって2、3の視点しかないのである。

Alexiaの記事のタイトル:「Googleが検索エンジンだった頃を覚えているか」がすべてを物語っている。ユーザーにとって、Googleは、少なくともかつては、検索の会社であった。一方、投資家と皮肉屋にとっては、Googleは広告ネットワークである。結局、それはお金が入ってくるところである。

しかし、以前のGoogleユーザーで隠すことのないファンとして (これは、完全な公表でもあり免責事項でもあるのだが)、私は違った見方をしている。私にとってGoogleは今でもシステムの会社なのだ。

システム第一

たいていのスタートアップは、ユーザーエクスペリエンス、デザイン、外観、マーケティングといった、製品に集中することから始まる。これらの企業は、最初はホスト型、あるいは既製のシステムインフラストラクチャに依存し、企業を唯一のものとするフロントエンドの要素に業務リソースを集中させる。

しかし、スタートアップの中には、急成長をする企業もあり、そうした企業のトラフィック量は、汎用システムではもはや対応不可能な水準にまで増加する。これは、企業の生涯における重要な節目である。拡大のために必要となる、固有の技術を開発するシステム経験を持つエンジニアを大量に雇用するか、企業を売却して、別の誰かの頭を悩ませるかのいずれかである。

しかし、Googleは非常にまれなテクノロジーの軌跡を辿ってきた。同社はシステムを第一に考えた。これは実際驚くことではない。検索エンジンでフロントエンドのユーザーエクスペリエンスは、少なくとも1998年の時点では大したものではなく、HTMLのフォームに入力ボックスが 1 つと、「検索」ボタンがあるだけだった。

検索で注意しなければならない部分は、ウェブをクロールし、コンテンツをインデックスに登録し、素早く関連する結果を回収することだった。この課題には、大量のコンピュータ上で並行して複雑な計算を実行し、そのうちどれかに障害が起きたとしても実行できることが必要であった。別の言い方をすれば、ウェブ検索とは基本的に分散型システムに関する課題であり、またより明らかには、情報検索(Information Retrieval:IR)の課題である。

結果的に、Googleは初めからシステムにフォーカスしていた。同社が採用したのは、今も名高いJeff DeanSanjay Ghemawat、伝説的なベル研究所の草分けであるRob PikeKen Thompsonのような天才や、その他多くの信じられないくらい有能な、有名無名のシステムエンジニア達であった(注 : 自分自身はその中には入れていない。こういった仲間たちと仕事ができたことは、私にとって実に幸運だった)。その結果、分散型システムは検索よりもGoogleのDNAの中核を成している。

Googleという氷山

ひとたびGoogleの並外れたシステムの準備が整うと、多くのアプリケーションがさらにアプリケーションを産んだ。その中にはGoogleにしか開発できないものもあった。ユーザーが見るGoogle製品のほとんどは、つまり、検索からGmail、広告、Google Docs、Google Books、YouTubeにいたるまで、水面に顔を出している氷山の一角なのである。

一見するとバラバラな製品をつなぐものが、水面下の9割である、Googleの地球規模の分散型システムなのだ。自動運転する車といった、本流から外れたプロジェクトですら、Googleの無類のデータ処理能力から恩恵を受けているのである。

Amazon、Yahoo!、そしてMicrosoftのような世界レベルの熟練したシステムを持つ企業は他にもある。しかし、Googleはシリコンバレーの残りの部分を独特の長い影で覆っている。非常に多くのスタートアップを勢いづける技術の大部分は、分散型ファイルシステムから、MapReduceやNoSQLデータベースにいたるまで、主にGoogleで開発された。同社は、その技術的影響が広範囲に普及したスタートアップにとっては、才能の源泉のような役を果たしてきた。オープンソースの分野に寄与しているのは、ほんのわずかであるにもかかわらずである(※)。

中間からの調整

もちろん、Googleの行っているすべてが技術ありきという姿勢によるものではない。例えば、AndroidやGoogle+は、Googleのコアビジネスに対する戦略的脅威に対抗して取り組んだものであり、明らかにGoogleはこれを追求している。しかし、このあまりうまく成功していないものの裏側にある技術は、第一級である。

Google製品にとって良い時悪い時があることは宿命であるが、同社のシステムの優れた性能は経営陣と従業員の双方に自信を与えており、彼らは拡張現実メガネのような月光問題や自動運転する車を含め、他の誰も取り組んだことのない困難な課題を解決できると信じている。Googleがこれらの課題に取り組むべきかどうかは意見が分かれるところであるが、取り組むことは会社特有の文化である。

しかし、これらの極端な例の狭間で、戦略的でも英雄的でもない中間的なプロジェクトをLarry PageはCEOとして削減しようとしている。Googleがそれを必要としないならば、Googleはそれを行う個性ある企業でなくなるが、なぜそうする必要があるのだろうか。

あらゆる異なったGoogleの成果を一つにつないでいるのは、包括的なプランではなく、根本的な技術プラットフォームである。これは、一貫した見通しを形成するというよりは、偉大な製品がそこから生まれ続けることとなる。同じように、少なからず失敗作も生まれるだろうけれど。

Yahoo!、Facebook、Twitterあるいはその他の企業に大きな賞賛が寄せられているのは、このような技術のオープンソース版を開発しているからである。ただ、それは開発元自身のためでもあり、コミュニティー全体のためでもある。Googleはこういった技術に関する多くの論文を公開はしているが、実装に関する独占所有権を専有したままで(彼らの技術の層には、単なるパーツとしてオープンソースが密接に統合されている)、オープンソースコミュニティーに公開のやりなおしを要求していることもある。

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