Facebookの10億人は、破壊に対する「人間の盾」だ

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Facebookは、以前あったものに膨大な価値を付加することによって、ユーザー数10億人までに成長した。その価値とは認証された個人情報だ。もはや他のソーシャルネットワークにこれ以上の飛躍は期待できないかもしれない。そしてそれがFacebookが長く王座に君臨するであろう理由だ。

そこに現れたものは、具現化されたネットーワーク効果だ。どんな機能も、ユーザーインターフェイスも、マーケティングキャンペーンも、これに勝つことはできない。スタートアップ諸君には気の毒だが。

誰かに何かに登録して欲しければ、その理由を与える必要がある。それは彼らがすでに持っていない決定的に重要なものであるか、あるいは気にかけている人たちと繋がるための新しい機会だ。

しかし、インターネット上で本当の自分自身でいられる能力ほど決定的なものは他にないだろう。そしてFacebookは、その利点を活用する機能を内蔵するべく積極的に進化してきた。アバターを使わないコミュニケーション、サードパーティーアプリへの簡単な登録、友達とゲームをすること、そしてウェブ全体で使える「いいね!」ボタンなどだ。

この結果ライバルたちには、小さな価値とニッチな機能や異なるデザインくらいしか加えるものが残されていない。必要なものの殆どがすでにFacebookにある。残されたものは、ボーッとした連中や忙しい大人やうぶな高齢者たちを、サインアップするよう説得するには力不足だ。アントレプレナーたちには、私が間違っていると証明してほしい。

Facebookは、自らを危険に晒すこともしていない。たとえわずかでも脅威を感じるスタートアップの製品や人材を買うことを非常に深刻に考えている。だからInstagramも買収した。もし危険なライバルが身売りしない時は、Facebookがそれをコピーし、膨大なユーザーベースによって本家を、どうでもいい存在に見せてしまう。

そして月間アクティブユーザー10億人となった今、何かを使って欲しいと思う人の殆どがすでにFacebookにいる。たとえどこかで強力なサービスをスタートさせたとしても、友達がいなければ、あまり使い物にならない。それが10億人が重要である理由だ。そこには、9.55億人よりはるかに強くこの事実を理解させる力がある。Facebookが、友達のいるところなのだ。

カルチャーやテクノロジーはいくつかの段階を経て行く。携帯電話を考えてみよう。17年前、持っている人は少なく、実際それはクールだと思われていた。携帯電話を持つ人が増えるにつれ、持っていることを感心する人はいなくなった。

そしてしかし、それがほぼ完全に普及すると特別なことが起きた。クールかどうかは問題ではなくなり、それは現代世界で生きるために必要な生活基盤になったのである。社会契約が効力を発し、携帯電話を持ち応答することが義務化された。おばあちゃんが持っていても関係ない、自分にも必要なのだ。

今日、10億人ユーザーの発表と共に、Facebookはこの第3段階に入った。うるさい弟や嫌な上司がFacebookにいても関係ない。あなただって同じだ。そして、当分これが変わることはない。

いずれ第4の段階になって、われわれがFacebookを使う時間が減る時が来るかもしれないが、それはFacebookのように見えないものになるだろう。紙、ラジオ、そしてテレビは今も存在するが、以前それらを使っていたことの一部に、われわれはインターネットを使っている。Facebookの運命はそのようなものだろう。

人工頭脳の移植でテレパシーが可能になり、ウォールへの書き込みもチャットの必要性も減るかもしれない。しかし、チリの山脈、あるいは東京のアパートのどこかで、人々はMark Zuckerbergの作ったものをまだ使っているかもしれない。彼こそがわれわれをオンラインにしてくれた人物なのだから。

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(翻訳:Nob Takahashi)