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パーティー中に我が家のランプの写真がシェアされたら

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週末のニューヨーク・タイムズにNick Biltonが、「崩壊:ネットワーク時代のプライバシーを求めて」と題した興味深い文章を書いた。記事の焦点は、彼の友人たちがソーシャルツールを使って、自分たちが今どこにいて、何をしているかをみんなに知らせたことだった。これがBiltonにいくつかの不愉快な体験をもたらした。例えばこうだ。

私は決してこういう情報をFacebookで共有しないが、来訪した15人の大部分がそれをやった。

それを知ったのは数日後、仕事関係の電話である人が - その人は我が家に一歩も踏み入れたことがない - 我が家のキッチンテーブルの上にある照明を「すごく気に入った」と私に言ったからだ。

私にもそういうことは何度かあった。つまり、誰かが仕事関係の電話で、たいていは広報担当だが、私がTwitterで言ったことを取り上げて、会話のきっかけにすることだ。時には本当に嫌になることもあるが、そもそも私がツイートしたのだからフェアな話だと思い直す。Biltonが言っているのは、友人間の礼節の変化だ。即ち、「共有していいのはいつで、『非ネット』にすべきなのはいつか」である。

彼の記事にはたしかに考えさせられたし、Biltonは決して友達を非難したりインターネットで自由に使えるツールに文句を言っているわけではないと思う。しかし、これは友達とよく話し合うべき問題のように思える。世界とではなく。そう言いつつも、私が今日これを書いているということは、すでに公の話題だ。

時と場合を知る

Biltonは言う:

3時間の夕食の間に、私の友人たちは7枚の写真をPathに載せ、Twitterでメッセージを6通送り(うち5通は写真付)、Instagramに写真を6枚アップロードし、そして2人がFoursquareにチェックインした。

私がすぐに思ったのは「それで?」だった。もし友達が我が家を訪れたことを喜んで、それを表現する方法が友達(私の知っている人でも知らない人でも)と共有することであるなら、それでいいじゃないかと。もちろんBiltonが一定のプライバシーを望んでいることは理解するが、だったらプライバシーとは何を意味するのか。それは人が他人の位置を公開しないことなのか。もしそうなら私は全面的に同意する。私の家はFoursquareのベニュー(チェックインできる場所)になっているが、正確な住所は公開していない。

少なくともツイートとInstagramに関しては、人々が喜びを共有するための手段である。キーワードはシェアだ。友人たちはどこにでも行けるわけではないし、仮にあなたが友達15人「限定」のディナーに参加しているとしても、それで他の人たちの人生が完全に停止するわけではない。彼らのママはニュージャージーに、友達はオースチンにいて、それぞれのやっていることや一緒にいる人への愛を喜んで分かち合っている。

私はこれで問題ない。正直な気持ちだ。

インターネット以前・・・

さてインターネットが「起きる」前、モバイルアプリやモバイル通信が起きる前にも、人々はやはり自分の参加したパーティーやディナーについて漏らしていた。唯一の違いは時間差があったことだ。当時も人々は写真を撮り、その小さな頭の中に年代順に出来事を記録した。それを後世の人々に向けて公開しなかっただけだ。すればどんなに不愉快にさせたかは私にも理解できる。

しかし、それは友達と交わす会話、本物の会話だ。もし、自宅のキッチンにある照明の写真を誰かがシェアしたことが気に入らなければ、そう言えば良い。何と言っても友達なのだから、もし理解してくれなければそれは友達ではない。

Biltonは不機嫌そうに、次回は何らかに手段を取らざるをえないことをほのめかしている。

もしかしたら、貼り紙という古典的方法に頼らざるをえないかもしれない(140文字以内で)。「Foursqure、Facebook、Twitter、Path、Myspace、その他いかなるサービスにもチェックインしないでください。#よろしく」

もし我が家をニュース編集室のように扱わなくてはならないとしたら、それは残念すぎる。もしあなたのランプの奥深い暗黒の秘密を友達に暴露させないために、そこまでする必要があるとしたら、真剣に話し合うか、新しい友だちを探す必要がある。この話の教訓:人はシェアしたがる。常に。今の方がアプリやツールで簡単になったかって? たしかにそうだが、それは大きな行動の変化でも、神経質になるべきことでもない。

あるいはNew York Timesに書くべきことかどうか。

Nick、私も早くその素敵なランプを見てみたい。私は虎を連れて行こう

[原文へ]

(翻訳:Nob Takahashi)